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「石火光中 争長競短 幾何光陰 蝸牛角上 較雌論雄 許大世界」(菜根譚)
勝ち組負け組みといったって、所詮蝸牛の角の上での世界ではないかと言っているようです。しかしビル・ゲーツの資産までなると、地球規模代の格差になると思われます。とても蝸牛の角の世界とは言えません。
「人無遠慮 必有近憂」(論語)は将来のことを考えないと必ず憂いな事が起こるということですが、「釈近謀遠者 労而無功 釈遠謀近者 佚而有終」(三略)とは将来のことばかり考えては功がなく、近近の問題を解決するほうが効果が有るということを言っています。どちらも真実のように思われます。ケースバイケースで物事を判断しないといけません。
「功遂身退 天之道也」(老子)成功していない人は何時までも引退できないということかもしれません。私は生きている限り成功していないのですから、働き続けなければいけないのでしょう。こういったひねくれを言う人には、この文言がピッタリでしょう。
「天地本寛 而鄙者自隘 風化雪月本間 而労淨攘者自冗」(菜根譚)
天地は広い、精神の貧しいものがそれを狭くしている。あくせくする人は季節の移ろいにも感じ入ることもなく、反対に煩わしと思っている。冬は寒いといい、夏は暑いと不平タラタラ。
「径路窄処 留一歩与人行 滋味濃的 減三分譲人嗜 此是渉世一極安楽法」(菜根譚)
この言葉はアメリカ大統領トランプに聞かせたい言葉です。
「人生大病只是一傲字 謙者衆善之基 傲者衆悪之魁」(伝学録)驕るものは久しからずということになります。アメリカもそろそろ終わりかけているのかもしれません。
「禍福無門 唯人所召」(左伝}
幸不幸も偶然ではなく、その人が招き寄せるものだということです。
「貧可以節用 病可以保身 何憂非喜也 故達人当順逆一視 而欣戚両忘」(菜根譚)
禍福無門を知った人生の達人になると、幸も不幸の一緒だと思い、その両方に意に介しない生き方をするのだということになります。
「由、誨女知之弥乎 知之為知之 不知為不知 是知之」(論語)
ソクラテスと同じことを言っています。
「上士聞道 勤能行之 中士聞道 若存亡 下士聞道 大笑之 弗笑不足以為道」(老子)
人が笑ってバカにするようでないと立派なアイディアではないということになります。
https://www.franceinter.fr/emissions/un-ete-avec-montaigne/にラジオで放送されたテキストが載っています。この本で最後の40話、「世界の王座」は、このウェッブでは「La conclusion」になっています。翻訳者が各講座の題名をその講座の内容を濃縮したものに変えています。39話では「失われた時」ですが、原本では「Du dementir」となっています。
モンテーニュは生まれて数年間はラテン語だけで育てられたということです。父の教育方針で、ドイツの医者をモンテーニュの家庭教師として雇い、この人はフランス語ができなくて、ラテン語でだけでモンテーニュと接していたということです。だからモンテーニュはラテン語を母国語のように自由に扱えますが、あえてこのエッセーではフランス語で書いています。この時代本を出すということは学問語のラテン語で書くことです。それをあえてフランス語で書いたということは、彼のひねくれた性格によるものでしょう。どの時代もそうですが、私のような「中途半端な者」はよくも知らないのに、英語とかフランス語とかの単語を書き出して、さも能力があるように振舞っていますが、実際は銅であり金ではありません。反対にモンテーニュは金であるにもかかわらず、銅のふりをした人です。崇高な古典の文章もよく引用していますが、それ以上に文化人として似つかわしくないようなことも書き連ねています。
『あの偉大なアイソポスは、自分の先生が散歩しながら小用を足しているのを見て、「たいへんだぞ、ぼくたちは走りながらうんこをしなくちゃいけないのかな」と叫んだという』
あのアイソポスすら若い頃はあのようにアホだったんだから、私たちは心して正しい考え方をするために、あまりある「ひまな」時間をそれに費やさないといけないといっているのです。
モンテーニュはアイソポスでみたように、偉大な歴史上の人物の高邁な言動よりも、些細なエピソードに心惹かれているようです。アレクサンドロスの汗は芳しい匂いがしたしたという言い伝えに対し、ペストがはやっていたモンテーニュの時代、「最もいい状態とは何も匂いがしないときである」と言ったりしたり、アレクサンドロスは頭を傾げる癖があったとか、カエサルは頭を掻く癖、キケロは鼻くそをほじくる癖など、いろいろひまに任せて紹介しています。
図版や写真のたくさん載った本ほど楽しいものはありません。とりわけ乗り物、馬でも自動車でも飛行機でも船でも、見て飽きることはありません。
私が中学生のころ、テレビで海賊映画を流しているのをよく見ました。あの帆船を見て船員になるかもいいかなと思ったくらいです。今もあるかもしれませんが、商船大学の日本丸という帆船があり、優美な姿で海に浮かんでいるのが記憶にあります。映画で見る分では高い帆柱にするすると登っていくのはわけないことですが、いざ自分がそのような高いところまで登っていけるかと思うと、船員になる夢もしぼんでいきました。おまけに中学生の頃から近眼が進んでゆき、大波でメガネでもさらわれたら何も出来ないと思うと、完全にこの夢は断たれました。
船の歴史を大まかに見ると、最初は浮いている木切れ、木材を削りぬいたカヌー、それからオールができ、帆ができ、内燃機関が出来て外輪車を回す船が出来、それがスクリューに変わったということになります。最新式の大型クルーズ船には舵などないそうです。方向転換できるスクリューで船の進行を決めています。
日本の船で唯一この本に出ているものは戦艦大和です。私の父も呉の海軍工廠で大和艦内に設置する椅子や机を作っていました。私の父は上司にへいこらしないものですから、ガダルカナルへ軍属として出張せよとの辞令をうけます。父はそれをはね、通信兵として陸軍に戻り、ラバウル行きになりました。父が作った机や椅子で何人かの大和の艦員らが海に浮いて助かったのではないかと私は思うことにしています。
「車床族」とはカーセックスをする人たちを指します。「御宅族」はオタクです。「傍傍族」とはニートのことです。同じ漢字を使っていますが、わかるときもあればわからないところもあります。「眼花」とは目が霞むことです。「花言巧語」とは甘言で、これは何となく分かります。「愛人」は妻のことであり、日本での愛人ではありません。中国では自分の妻をそれ以外に「老婆」とか「内人」とか言い、夫のことは「老公」「丈夫」と言っているようです。愛人のことは中国では「情婦」といい、最近では高度成長時代のおり、「拝金女」とも呼ぶそうです。「小三」とは小学校三年生ではありません。二号とか妾のことを指しています。「保齢球」とはボウリング。「裸官」とは汚職をする官僚。「貴族」という言葉も復活し、「貴族学校」とはお金持のお坊ちゃんの情ちゃんが入っている学校のことです。「三倍小姐」とはホステスのことで、「陪酒」「陪唱」「陪跳」、一緒に酒を飲み、一緒に歌い、一緒に踊るということで、最近では「陪睡」も加わって、売春も盛んなようです。イケメンは「很帥気的男人」とも「酷」(英語でのクール)とも言います。反対の醜男は「長得抱歉」(申し訳ない顔立ち)ということになります。「菜鳥」とは新人のことで、菜とは料理を意味し、料理される鳥ということで、料理のされ方で、鳥はどうにでもなれるということから、新人を指すことになったのでしょう。「房奴」とは家のローンに汲々としている人たちを指しています。一人っ子政策のお陰で、男に対して女が少なく、女の買い手市場になっています。「有銭、有房、有車、有型」(カネ、家、車、イケメン)を要求しています。最近中国にも、お見合い番組があって、男が二人して自転車に乗って笑い合おうと提案したところ、女はベンツの中で一人で泣ていたいと答えたそうで、これには痛く共産党幹部たちを怒らしたそうです。銃殺刑になっていなければいいのですが。
英語の歌で、歌詞の内容がわからないものがあります。ここではマイケル・ジャクソンの「Beat it」とビートルズの「Golden slumbers」とチャック・ベリーの「Roll over Beethoven」をあげています。
「Beat it」はそれを殴るという意味ではありません。「立ち去る」ということになります。マイケル・ジャクソンのミュージックビデオを見て見ますと、悪い連中といい連中とがどこかビルの地下空間で追いかけっこしているような踊りをしています。「歌詞の内容は、悪党になりたくなかったなら、マッチョを気取らず、大人になってさっさと逃げろ」ということです。このビデオで日の丸の鉢巻をした東洋人がいます。いい連中の一人ですが、なかなか切れ味のいいダンスを披露しています。
「Golden slumbers」はイギリスの劇作家・トマス・デッカー(1572~1632)の「ゆりかごの歌」からの引用です。ビートルズでは「Golden slumbers fill your eyes」として使われています。ビートルズはイギリスの片田舎の労働階級の子弟だと思いますが、シェエクスピアと同時代の劇作家の詩を読んでいるということはなかなかの教養です。
「Roll over Beethoven」は、ベートーベンは漕いでベートーベンを乗り越えろと考えていましたが、全く違っていました。二重に間違えています。Rollとrow、聞いているかぎり「ロウ」と聞こえるので、てっきりロールで漕いでいるのかと思いました。
Roll over,Beethoven, and dig these rhythm and blus
「ベートーベン君よ、墓場で寝返りを打ちながら、このR&Bを楽しんでくれたまえ」というのが正確な意味です。
欧米の科学者の著書のなかで、専門分野でもない文科系の書物からの引用がよくあります。ここまで教養が深いのかと感心していましたが、英語圏では引用句辞典が発達していて、例えば「愛」という言葉で調べると、ずらりと愛に関する有名な文章が出てくるようになっているのでしょう。必ずしもそれらを全て読んでいるわけではないようです。里中も50冊ほど引用句辞典を持っているそうです。チャーチルの皮肉を載せています。
「It is a good thing for an uneducated man to read books of qoutations」