[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
表紙の絵は宮沢賢治のものです。37歳で亡くなっています。総じて詩人は長生きではありません。若いときは誰だって詩人でもあります。異性に淡い期待を持って何とか自分の内面を表現したいと思っています。AKBの握手会で居並ぶ男たちも別の形で詩人像を表しています。文字で表すのか、実際に行動するかの違いだけです。やはり媒介的な文字で自分の気持ちを表すより、行動するほうが健康にはいいのでしょう。絵画も同じことが言えるでしょう。裸婦像を模写してモヤモヤするより、裸婦とセックスするほうが精神的にも肉体的にも健康になれるような気持ちがします。やはり詩人や絵描きにはシャイな人間しかなれぬものかもしれません。人間長生きするためには直接的なことをするほうがいいので、詩人や絵描きのように文字や色を介して自分の心情を表現していては肺結核になりやすいようです。
詩人でも絵描きでも長生きする人はいます。ヘルマンヘッセは85歳まで生きています。彼の絵を見ると、もはや人物像はありません。全て風景画です。異性や同性と関わらないことが精神を安定させるようです。彼も青春時代学業に失敗で自殺を試みたこともあります。彼が長生きできたのは仏教のお陰だと思われます。欧米人には思いもつかない「諦念」を会得したことによって危機を脱したと考えられます。年をとればとるほど、諦めが肝心だとわかるのでしょう。
カフカの小説に銀行員が何か分からない罪状で逮捕され最後には殺されてしまうというものがあります。伊藤律もある面そういうところがあります。ゾルゲ事件のスパイであったという容疑ですが、現在ではそのようなことはなかったと確定されています。共産党内部の権力闘争で野坂参三などに戦前のことを取上げられて追い込まれたのでしょう。野坂は中国共産党に伊藤の殺害を求めています。中国文化革命のときは殺されかけたこともありました。1980年に日本に帰ってきます。その後で野坂そのものがソ連やアメリカの二重スパイでなかったのかと言われて除名処分を受けています。
伊藤淳は律の次男で、1946年生まれ、中央大学を出て、共産党系の医院の事務長などをしていました。彼の母は戦前バスの車掌をしていて、伊藤律の指導で組合を作ったりして古くからのバリバリの共産党員になっています。律のスパイ説で一時は律との断絶を宣言していましたが、これは党の指導に従ったものでしょう。伊藤律が生きているというニュースがあって、野坂が彼女の家に来て、何で離婚をしていなかったのだと追求されたとことに腹を立てています。野坂には共産党員でありながら派手な指輪をつけていたとか、レストランで豪勢な食事をしていたといううわさがあったと、淳は書いています。
松本清張の作品にもゾルゲ事件で伊藤律がスパイであったと書いているものがあります。淳の抗議により、今ではその作品には注が付けられ、伊藤律の名誉が回復されています。
今では共産党は世間から追い詰められるようなことはないと思われますが、そのような状況にあったとき、赤軍派もそうですが、グループとしてまとまるにはまるで村のようになり、村八分をたたき出さないといけない状況になるのかもしれません。人事の難しさは党でも会社でも同じことでしょう。
医者である森先生が言うのですから間違いありません。60歳を過ぎたら、老化は避けられないので、健康診断など受けないで、少々悪くてもそれは老化であると諦めるべきであるとの主張です。毎年健康診断を受けて、あそこが悪いといわれて薬など処方してもらうと、健康オタク貧乏になるとのことです。例として毎月2万円ほどの薬代を払っている人もいるようです。限られた年金生活で2万円は大した金額になります。多くの薬を飲むと体にも悪い。その2万円を食べ物に使うなら、もっと健康になるでしょう。健康診断も医者が儲けるために、必要でもない検査をしていることが多いそうです。最新式の器具を購入し、その支払いのために必要もない検査をして利益を膨らましています。おまけにこれらの器具に照射されると、被爆して、寝た子を起こすように、がん細胞を活性化させるかもしれないのです。
65歳からゆとりある生活ができるのは、夫婦二人で年金額が毎月35万4千円だそうです。最低でも厚生年金受給者の毎月の年金額は22万円ないとやっていけないそうです。私のような国民年金では埒外ということで、「下流老人」に決定付けられています。たとえ働いていてもその最低ラインには達しようもありません。
スウェーデンで寝たきりの老人がいないのは、日本のように食べられなくなったら胃ろうの手術などはしないで、そのまま自然に死なしてあげる方法をとっているからだそうです。人間食えないということは生きる力がないということで、チューブなど取り付けて生かしても意味のないことだということになります。
毎月生活できるほどの年金をもらっていても、病気をして入院でもしたら、一挙に「下流老人」の仲間入りです。先進国の中でも日本は貧窮率が高いのがこれでもわかります。もはや我々は病気も出来ない。もはやあとがないと思ったら、この前も言ったように、断食を決行して、自分の生命を終えるしかないようです文壇の「定説」にこのようなものがあると言っています。
「いい作家が出る条件は、いい家柄に生まれ、その家にたくさんの本があり、その家が没落することである」
筒井の父親は動物学者であり、いえには多くの本があり、家がその後没落したかどうかはわかりませんが、自分のIQが非常に高く、そうはいっても学校の勉強はあまり出来なく、やっと同志社大学に入り、演劇にのめりこみ、日活のニューフェイス試験を受けたにもかかわらず、面接官の前を歩かされただけで落とされ、自分の顔が俳優なみでなないと悟り、やがてSFジャンルに活路を見出し、作家になったということで、文壇の「定説」に当てはまる一人であると主張したいようです。
筒井の唯野教授の・・・は読んだことがあると思うのですが、何一つ思い出せません。私の場合は胃が弱く、消化できなくて、嘔吐していたのかもしれません。
同じ絵を見るにしても、知識を持っているのとないのでは見方が大幅に変わります。ピカソの絵を見て、ピカソについて何も知らないのなら、小学生のガキの描いた絵にも劣るなと思うことでしょう。ところがこの絵が何十億円もするのだということを知っていると、ウヒャー、これはすごいということになります。屏風に書かれた洛中洛外図を見ても、知識があまりないなら中世の京都のことが描かれているのだというくらいしか思わないでしょう。でもいろいろなことの知識があれば、この絵の中で関連付けられて、とうとうこの絵の中に注文者の人物まで発見し、名前も特定されてしまいます。
まず遊女屋の暖簾から年代が特定されます。豊臣政権から徳川政権に変わった頃で、京都の商家では隠れ豊臣ファンが多かったことが分かります。屋号に「寶」と「光」がつけられ、これは「豊公」さま・豊臣秀吉のことです。おまけに秀吉の最初の妻の高台院が花見帰りで五条橋の上で踊っている姿も描かれています。
当時京都の事件で、不良公家と宮中女官の桃色遊戯が発覚し、不良公家に死罪、女官は遠島になりました。これを期に公家諸法度が徳川政権によって作られたそうです。これに関わった京都所司代板倉勝重もこの絵に記載されています。
この絵の作者は岩佐又兵衛で、注文者は呉服屋の笹屋半四郎であるといっています。大店の旦那であり、この絵の中では裏庭に若松を眺めている、頭が坊主として描かれています。当時はやっていた「市中の山居」という風上で描かれ、ここでわびさびを感じながら、同時に近くの遊女所にも通う通人であったということになります。