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この本は株を買うための人の本ではなく、「一生株を買うこともない」人のための本であると言っています。日本にいる誰もが経済に関係なくして生きることは出来ません。株が上がろうか下がろうか関係ないといっても、この上がり下がりであなたの収入も変わってきます。株価が大幅に下がると、もしかしてあなたの犯罪への罹患率が高まるかもしれません。強盗に襲われるか、強盗になるかはその人の性格にもよりますが、よりその傾向に傾斜することは間違いないように思われます。飯が食えなくなるというような状態になれば、この前のオリンピックが行なわれたブラジルのように昼間からかっぱらいが横行するようになります。反対に株価が天井を目指すとき、夜な夜な金余りの男たちがホステスをはべらし、女たちはミニスカートをはき、扇子をもって、お立ち台で踊ったりしています。世の中相当騒がしくなり、寿司屋で何十万も取られてもそれが当たり前のように感じられます。今頃回転すしでも高いと思っている御仁には信じられない光景です。
低金利の時代、株は定期預金よりはましだと考えられていますが、ここ50年間の統計を見たところ、株そのものが下がっているので、そのまま定期預金に入れたままの今日と、株を長期持続した今日を見ると、かえって株を持ったほうが損をしているということになっています。表面あでやかな株取引に騙されてはいけません。
アメリカ大統領選挙のある年は株価が上がるというのは常識になっています。どうしてそうなるかははっきりとわからないことですが、この著者によると、「少なくとも10%や20%程度は誰かの都合で決められている側面」があると言って、「神の手」になる「自由な需給バランス」で成り立っているわけではないと言っています。日本の株価も安倍総理の手が加わっているのでしょうか?株も八百長賭博と変わりないのかもしれません。
中国は漢字の国ですから、彼らが使う熟語も何となく判るような気がします。「向銭看」とは拝金主義、銭を見ることに向かうということですから、カネの亡者と分かります。「官倒」はちょっと分かりにくいが、「清廉潔白な」共産党の幹部の役人が、不正に手をつけ、金儲けに邁進すると、官などどうでもよくなって官の名目などホッとかれてしまうという意味ではないかと思われます。「赤包」とは賄賂のことで、日本では菓子折りの底に札束を入れてもって行くように、中国ではめでたい赤の風呂敷に現金をつめて持っていくのでしょう。NHK中国語講座で最近中国ではやっている言葉を紹介しています。「神器」とは、日本の三種の神器をいっているわけではなく、優れた機能を持っているものを指し、「美白神器」とは、美白の化粧品のことであり、「自拍神器」とは自撮り写真がきれいにとれるカメラのことを指します。「爆表」とは爆発するメーターということで、「度を越してすごい」という意味になるそうです。「火星文」とは日本でもオジサンには今頃の若者言葉がさっぱりわからないように、中国のオジサンも意味不明の若者言葉をそうよんでいるのです。「吃貨」とはカネを食うということで、働かないで飯ばっかり食っている居候のようなものを指していましたが、今では美食家と言う意味になっています。
この本にまた戻り、「三陪女郎」とは「男と飲み、食い、セックスする」女のことで、共産党の国でも、経済開放の折、このような女が増えています。経済格差が広がると、「紅眼病」という病気がはやっています。「他人の豊かさをねたむ社会現象」のことを指しています。中国では自国の粉ミルクが怖ろしくて誰も買いません。そのために乳の出る女性が求められています。でもこれはただ乳幼児をかかえた家庭だけではなく、大金持のオジサンが巨乳の持ち主の女性を雇い、毎日乳を吸っているという奇妙な社会現象もあるということです。
去年2015年の自殺者は2万3971人で、ここ4年間は3万人を越えていないようです。と言っても、不審死が何万とあり、この中には自殺者もいるでしょうから、はっきりした数字はわからないでしょう。世界で自殺の一番多いところは南米のガイナナで、2位が北朝鮮で、3位が韓国だそうです。日本は18位ですが、先進国では唯一日本だけが順位の高いところにいます。日本は先進国と自認していますが、この順位を見れば中進国であり、先進国の体裁を無理して装っていると考えてもおかしくない。また、北方アジアの三国がこのような高い数字を出しているということは、民族的にある共通点があるのではないかと、思われて仕方ありません。稲作文化圏であり、とりわけ米作りには共同体としてまとまっていなければ、水の管理一つとしてもうまくいかないでしょう。私はYou tubeで世界のミュージックビデオを見ていますが、南米の踊り子たちは転々ばらばらで好き勝手に踊っていますが、日本や北朝鮮、とりわけ韓国などの踊り子はまるで定規で測ったような踊り方をしています。異質を許さない傾向があるのでしょう。北朝鮮の軍隊の行進や、マスゲームの整然さを見るにつけ、感嘆する思いもありますが、空恐ろしさも感じさせます。いまだにこれら北方アジアの国々では、異質なことを許さない村八分が厳然として残っているのだという気持ちにもさせられます。戦後マッカーサーによって、自由であるからなにをやってもいいといわれても、表向きアメリカ民主主義を貼り付けていますが、内実規制がかかっており、本当に何事も自由にできないのが日本人だと思われます。不自由さの中でお互い忍びあうことこそ、これらの国々の人々は連帯感をもてる状態になっていると考えられます。だから村から締め出されると、生きていけなくなるのでしょう。我々の何千年も続いた村心情は都会人であっても、いまだに心の枠組みになっていて、相手の自由も自分の自由も許さない構造になっているのでしょう。
「人生とはペニスとバギナの離合集散のドラマだと、筆者は考えている。とすればそのドラマを見据えることが、歴史と正面から向かき合うことにもなるはずだ」
今地球上の人類は90億人にならんかとしています。これもすべて「ペニスとバギナ」の仕業です。この瞬時に置いても何十億もの「ペニスとバギナ」が「離合集散」し、和語になおせば入れたり出したりして、地球を揺らしていることでしょう。心配性な私は、人類が起こす微小な振動も、「バタフライ効果」によって南海トラフを刺激して、巨大地震を起こすのではないかと危惧しています。それか大陸は北半球に固まっていますから、100億人にでもなれば、重心がとれなくなって、ひっくり返り、南極が北極に、北極が難局になり、その衝撃で多くの人々が宇宙空間に投げ飛ばされるのではないか思ったりもします。
セックスのやり方で「48手」というものがありますが、これは仏教からきているそうです。一向宗の「48願」からいうことで、「阿弥陀如来が理想とする浄土に不可欠な48の条件」のことです。体位が48通りあるというのは相当無理なことで、江戸の艶本の中には馬鹿馬鹿しい図版が載っています。「障子越え」「すのこがくれ」とかいうのがあり、障子やすのこを間にしてペニスを立て、バギナに入れているのです。まともな人間はこのようなことはしないはずです。しかしアホはどの時代でも何%はいるはずです。このような艶本をみて、試みたアホもいたと思われます。昭和になっても、石原慎太郎の「太陽の季節」の影響で、無闇に障子の紙をペニスで突き破ったアホが多くいました。
この書のトーンとしては全体的に暗い。今から先画期的なイノベーションが起こらなければ、停滞的な状況、それかデフレの兆候が全世界的に現れるという結論です。どの先進国も金融緩和を行い、その溢れたカネが産業生成に向かわなく、マネーゲームに投下されて、カジノのプレイヤーに否が応でもならざるを得ない状況になっているということだそうです。なぜ産業界にカネが向かわないかというと、ただでさえ供給過剰になっている工場など拡張しても在庫がだぶつくだけだということがわかっているからです。旧態然とした産業は速やかに退場していただく必要があります。アベノミクスでは公的資金を株に投下して、値下がりを防いでいますが、このようなことをしていては本来時代に合わなくなった企業も依然として残り、産業界の新陳代謝は起こりません。まるで病院の重症患者と同じ事で、チューブでつながり、再び元気になる可能性はなく、費用ばかりかり、手の施しようがなくなっているという状況になるのです。このようなことを考えると恐慌も必要なものかもしれないと思われてきます。産業界も国の手厚い保護で看護していては、いつまでたっても治りもしないし、死にもしない。何もしないで、この際、死ぬべき企業は死んでもらわないといけません。恐慌という劇薬を飲まして、あの世に旅立たせてやる必要があるような気がします。人間も企業もどん詰まりならないと意識を変えようとはしないもののようです。悪くても、急激に変わらないときは、慣れた意識を持ち続けます。それのほうが楽ですから。しかしこのようなことではいつまでたっても埒があきません。恐慌でも来て、みんなが荒野に投げ出される必要がありそうです。まるで敗戦のときの焼け野原を見たとき、私たちの親の世代が感じた気持ち、「自分たちでやるしかない」との覚悟ができるかもしれません。僭越ながら、私の父親は世界で始めて、自動でお茶を飲めた装置を考えた男です。半世紀前、父親は風呂屋の蛇口のようなものをカウンターに並べ、お客が自由に蛇口をひねるとお茶が出てきた装置を作って評判になりました。そのとき特許をとっておれば、息子の私は一生何もしないで食っていけたにと思うと、悔しくてなりません。