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無性に食べたくなるものにカレーもあります。国民食と言われていますが、明治か大正時代にできたもので、長い歴史があったわけではありません。それまではたくわんに米や麦などを食べていて、時たまイワシなどの魚を食べて、それを贅沢だと思っていた、日本の食生活史があります。獣の肉などあまり食べなかったのです。それが明治維新になり、西欧のパワーの根源は肉にありと洞察し、恐る恐る肉を食べ始めたのです。獣臭を消すために醤油を使って、すき焼きができました。カレー粉をまぶしてカレーが出来上がりました。とうとうカレールーの固まったものができて手軽にカレーライスができるようになりました。我々戦後時代のカレーは大のごっそうで、カレーの匂いがすると浮き浮きしたものです。本場のインドのカレーとえらく違ったものであったかもしれませんが、欧米とインドからもたらされてエキゾティックな食べ物だと思っていました。いまや街中にはインド人が経営するインド料理店もあります。私は行ったことはありません。きっと本場のカレー食べさしてくれるのでしょう。煎餅みたいなパンもあることでしょう。しかし本場のカレーを食べたとしても、子供時代に食べたカレー以上にうまいとは思わないでしょう。幼少期に刷り込まれた嗜好の傾向はあまり変化しないように感じます。今頃の若者がコンビニの薬品臭にまみれた食品を食べるのも見るにつけ、やがてこれら添加物が彼らにとって一つの薬味として感じられるようになり、これなしではうまいと感じられなくなる嗜好になっていくのでしょう。
野口体操を発案した野口三千三の言っていることの二番煎じかもしれません。風邪を上手にひくことは、自分の体のゆがみを治してくれるきっかけになるというようなことを言っています。風邪も引かないようではもっとたちの悪い病気になりやすいと言っています。野口の言っていることにビックリしたものです。風邪の症状を押さえる薬や注射など飲んだり打ったりしてはいけないともいい、高熱は病原菌を殺すために肉体がそうしているのであり、咳は体内から有害物を出そうとしていることだから、そういった体の症状を抑えるのは愚の骨頂というわけです。それで私もレモン汁だけ飲んで風邪を治そうとしましたが、最近トシをとったせいかもしれませんが、なかなか治りません。とうとう肺炎にまでなり、病院に行き、点滴や注射や飲み薬でやっと治りました。何事もやりすぎはよくないのかもしれません。抗生物質を打つときは死ぬか生きるかの瀬戸際だけにしろと言っていますが、まさしくその時は死ぬか生きるかの瀬戸際であったのでしょう。歯の治療で歯を抜いたとき、痛み止めと抗生物質をもらいましたが、飲みませんでした。帯状疱疹のときは痛みにたえかねて医者からもらった薬を飲みましたが、痛みが止まったら飲むのをやめました。最近肩が上がらなく痛みもありましたが、薬を一回のみ、湿布をしたら治ったので、それ以降薬は飲みません。薬や注射も一種の毒ですから、これを長く服用していたら他の場所が悪くなるかもしれません。病院に行かないことや医者に会わないことは最高の健康法だという人もいます。そこまで達観するほど私は強い人間ではありません。私の信念もちょっとしたことで躓きます。
おのころ心平の文章語は呂合わせが多いように感じられます。これで「腑に落ちる」人もいるかもしれませんが、これは科学的ではありません。病気も科学や医学でスッパリと解明できるものでないかもしれません。精神的なものが大いに関与しているかもしれません。しかしながら尿管結石のことで、おのころ心平はこう書いていますが、やりすぎと思われます。
『石は「意思」かもしれないし、「意志」かもしれない。誰かの残した「遺志」かもしれないし、ひょっとすると、依存してしまっている「医師」かもしれませんね』
これは現在のところだれも証明できません。著者すら証明できないでしょう。
野生のイヌが家イヌになったのはおよそ1万1千年前だそうです。野生のイヌも人間も集団で狩りをします。ライオンも集団で狩をするように見えますが、それは家族単位です。狼は家族もありますが、家族が集まり、大きな集団になっているのです。ライオンは他人の子供のライオンを食い殺しますが、狼は母親のいなくなった子供を他の狼が育てたりします。社会性があるということです。人間が森から出て、草原でマンモスなどを狩などすると、それを遠くから見守る狼がいます。狼も自分より大きな動物を襲いますが、人間が出てきて、狩りの大場を占めると、人間が狩りをした後の腐肉をあさるようになります。また人間もまわりにいる狼にマンモスの肉を投げ与えたりしていたかもしれません。徐々に人間と狼の交流が始まり、そのうち狼の子供を飼うようになります。それが家犬の始まりです。それから人間は自分たちに都合のいいような犬に改良していきます。犬から野生がとれていきます。まず耳が垂れてきます。それから尻尾も巻き方になります。野生の狼では耳が垂れたりすると、音が聞こえなくなり、生存できなくなるでしょう。巻き尾では速く走れなくなるでしょう。いまでは大きいものでは100キロもあるイヌもいますし、手のひらに乗るイヌもいます。残念ながら改良の最先端にいる犬は長く生きられないそうで、大型犬の寿命は10年くらいで、普通のイヌは16年ですから、その改良によってどこか無理を強いられているということがわかります。
私もかつて何度も犬を飼っていました。野良犬を拾ってきたものですが、犬は主人に似るということで、弱いくせに良く吼える犬が多かったと思います。今では街に野良犬が徘徊しているのを見ることがありません。昔は犬が昼間堂々とセックスしたりして、その後尻と尻がつながった犬がいたものです。我々餓鬼は棒を持ってイヌを叩いたりしたものです。そのようなことをすることで、人間も快楽の後には大いなる苦悩があるのだという再確認していたのではないかと思います。
タラションコル・ボンドバッダエの短編集です。西ベンガル州ビルブム県出身で、1898から1969年まで生きた人です。私はインドときいても、ガンジーかタゴールしか知りません。それにカースト制があるというくらいです。ベンガルときけば、ベンガル虎くらいでしょう。忘れていた!ブッタが生まれた国です。それにインド映画「スラムドッグ$ミリオネア」を見ました。便所に落ちて、糞まみれになった子供が印象的でした。かつての我々を思い出しました。それにマイケル・ジャクソン以上にダンスのうまい芸能人がいることも知っています。女性の歌手のあの声の高さは、どこの国の女性も叶いません。この選集の中に「花環と白檀」のタイトルの短編があり、インドの門付けする女性のことが書かれています。家々に行って歌を歌い、おカネをもらう女性です。カースト制では低い位置にいるのではないかと思われます。この小説のなかで「信愛派」と「性力派」というのがヒンズー教にあることがわかりました。それぞれに祭る神が違うようです。主人公は「信愛派」であり、13歳で結婚しますが15歳の主人は早死にし、「信愛派」では母がそうであったように一生寡婦で過ごすようです。ところがこの主人公は僧に見初められ、彼の家に行きます。そこには死にそうな妻がいるのです。ヒンズー教の僧は禁欲的ではないようです。元の妻が死んで妻に納まりますが、後にもっと若い女性をこの僧は家に連れてきます。一夫多妻制なのかもしれません。結末としてこの女性はさっさと家から出て行きます。
カースト制で最高の位置にいるバラモンでもその中身はいろいろ格差があるようです。「供養バラモン」では高位のバラモンの雑業をしているバラモンが出てきます。高位のバラモン家で宴会などあったりすると、それを各家のバラモンに告げることをしています。そのあとでその宴会の末席でご馳走を食べたりしています。話の筋は、同じ頃に生まれた赤子を低位のバラモンが入れ替えるのです。高位のバラモンの妻は何度も子供を生みますが病弱で育ちません。今回もやはりそうなりそうですが、供養バラモンがこっそりと自分の赤子と入れ替えます。十何年後、その子は結婚し子を生みますが、死んでしまいます。その葬式で「丸い塊(ピンド)」が出て、それを供養バラモンが食べる儀式があるのですが、この主人公は今回は食べられないと懇願するのですが、最後の場面はこのように記述されています。
「供養に日、牛舎に座って、未亡人となった妻が、死者の好物を固めた丸い塊を入れた器を、チョクロボルティの手に渡した。司祭が言った、「食べるんだ、チョクロボルティ」
丸い塊を本当の親が食べてはいけないことがあるのでしょう。それは不浄な供養バラモンが行うことなのかもしれません。
「マーク・トウェイン」の名の由来は、セラーズ船長なるものがいて、ニューオーリンズの「ピカユーン紙」にミシシッピ河の「水位や状態に関するもの」を載せていた。その時に彼のペンネームが「マーク・トウェイン」なのです。「マーク・トウェイン」を訳すると「水深2尋」(約3.6メートル)ということで、船が航行できる最低の水深だそうです。マーク・トウェインが新聞記者をしていたとき、セラーズ船長が亡くなったときいたので、それ以後このペンネームを使ったということです。
マーク・トウェインは水先案内人に弟子入りして、それになったのですが、この本では水先案内人が船のかじをとったりしています。船長はいるのですが、船長は何をしていたのでしょうか?船客をもてなすホストのような仕事をしていたのでしょうか。
マーク・トウェインの弟も船に乗って仕事をしていましたが、この船の師匠である水先案内人は口が悪く憎まれ者で、この男が弟に石炭を投げつけようとしたので、マーク・トウェインは椅子を振り上げ、彼の頭に激突させました。それでマーク・トウェインはこの船から降り、別の船に移りましたが、弟がいた船は蒸気爆発を起こし、弟は死んでしまいます。
ミシシッピ河はよく氾濫を起こし、以前栄えた街が水没して跡形もなくなっているということを記しています。カテリーナ・ハリケーンでニューオーリンズの街が水浸しなった映像を見ましたが、マーク・トウェインが水先案内人であった頃はもっと多く氾濫し、河の流れも変わっていたのでしょう。それ故水先案内人が必要とされていたのでしょう。水先案内人をしていた頃から21年後、またマーク・トウェインはここに来て、「セントルイスからセントポールまで約800マイル」の船旅で遡上した記録がこの本です。蒸気船は、あっという間に増えた陸上の鉄道に客や貨物を取られ、かつての栄えはありません。
この記録のなかにフィクションか実話かどちらがよくわからない話を挿入しています。司祭の息子で犯罪者の男の話です。ハーバード大学を出ている秀才ですが、とてつもなく悪なのです。ある司祭のもとに、ある信仰者の婦人から、ある男が書いた綴りの間違えだらけ手紙がもたらされます。それには刑務所で出会った男(つまりこの極悪な男)に感化されて、刑務所を出たら真面目に生きるのだよとさとされたということを、キリスト教徒が感激するようなスタイルで書いているのです。やがてこの手紙の内容が広まり、この男の助命運動が起こります。ところがある慧眼の紳士がいて、間違いだらけの綴りであるにもかかわらず、理路整然とした文章を見て、これは無教養な人間が書けるものではないと見破り、よく調査したら、この極悪非道な男が書いたものであるとわかったという話です。手紙の中身は、刑務所を出て有り金がなくなり、男の言われるように神にお祈りしたら、奇跡が起こったという話です。つまり荒れ馬の馬車が疾走してきて、それをこの男が止め、馬車にいた二人の子供を助けたことにより、運が開けていったという話です。