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歯痒い感じの本です。隔靴掻痒で、最終的には闇社会ということで、うやむやな状態で何一つはっきりしません。フィリッピンで12000人分買春したという校長先生の話にしても、フィリッピンの日本人社会での何かがあってチクられたそうで、その何かがはっきりしません。闇社会が後に控えているという暗示があるだけです。噂話をあれこれ書いていますが、具体的には何ら検証がないのです。ゴンザレス自身の突撃取材としては、マッサージ店で古い携帯を盗まれたこと、フィリッピンでの手製銃の製作現場に行ったこと、南アフリカで偽警官に財布の中身をとられたことなどですが、携帯ではそれが香港で使われているということで、それ以上のことはわかりません。手製銃の場合、日本のヤクザとの関係などがあるだろうという推量だけで、はっきりした名前など出てきません。そのようなことは銃製作者も言えないだろうし、ゴンザレスも知っていても書けないのかも知れません。タイにもヤクザがいっぱい渡っているようですが、ゴンザレスの知り合いのヤクザも突然行方不明になりました。何があったんでしょうか?これも闇社会ということで、わけのわからない状態です。
安倍総理は日本への観光客を4000万人するといっていますが、このようなことをするとパリの二の舞になるのではないでしょうか。変なのが入ってきて、新幹線を爆破するかもしれません。中国人の爆買いは歓迎しますが、中国窃盗団は入れないようにして欲しいものです。
出版社の優秀な社員のレクチャーによって、出来上がった本です。まず漢文の書き下し文があり、加地伸行の訳があって、その訳をもっと噛み砕いた、この出版社の編集部の訳をつけて、これにたいして蛭子が感想を綴る構成になっています。
我々凡人は孔子と聞けば、うっへーとひれ伏して、中味を批判するような、大それた考え方をしないように調教されている傾向があります。ありがたい孔子の言葉を覚えるだけで、それによって自分も偉くなったような気がしています。まさしく「学びて思わざれば、即ち罔し」です。中途半端な知識人はみなこれです。反対に蛭子は「思いて学ばざれば、即ち殆し」で、大先生である孔子に対して先入観がもともとないものですから、堂々と批判もしています。
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
これに対して蛭子は頑張らないで長生きをすることに意味があると言っています。「命がけで」学問やスポーツをやる必要はないと言い、「生きているだけで楽しいと思えるような人生こそが、一番幸せな人生」と断言しています。顔回のように学問をし過ぎて早死にするようでは、人間として情けない生き方ではないかと言っているようです。
「40・50にして聞こゆる無きは、これまた畏るるに足らざるにみ」
50にもなってパチンコ通いをしても自分の金でやっているのならそれでもいいのではないかといっています。校長先生がフリッピンなどで1万人以上の買春をしたというのも、自分の金で家族にも迷惑をかけないのなら、別に非難することも当たらないのではないかといっています。「畏るるに足らざる」人間であっても、人生を楽しんでいるのなら他人がつべこべ言う必要はないということです。
「不義にして富み且つ貴きは、我に於いては浮雲のごとし」
これにたいして蛭子はカネを稼ぐことで自由を獲得できると言っています。おまけに好きなギャンブルもできて、「人生楽しからずや」だそうです。マージャン賭博で逮捕された蛭子は公営ギャンブルで我慢しているようです。
人間も類人猿も長い間共同生活をしています。おのずとそこにはルールいうものが出来てきます。それが人間世界では、後に道徳や宗教になったのではないかということを言っているようです。もともと哺乳類には相手を思いやるという性格があるということです。それは突発的にできてきたものではないかもしれませんが、長い間集団生活をしていると徐々にそういった性格が形成されてきたのでしょう。群れの中で快適に過ごすためには自分の欲望をセーブする必要があり、相手の思いを理解しないといけません。
どのような宗教もある場所に集まり祈りをささげます。ボノボやチンパンジーでいえば、お互いに毛づくろいをしていることと同じです。傷もなめあったりしています。集団でいることは外敵にも強く、それだけ生命の年数が延びます。孤独よりも皆でワイワイやっていたほうが免疫も高まり、長生きできるのです。
人間は集団にそぐわない行動をしたりすると、「赤面」という反応があります。飼い犬だって、顔は赤くなりませんが、尻尾を巻いてすまなさそうな格好をしています。あるチンパンジーは研究者の指を食いちぎったのですが、その研究者が10年後にこのチンパンジーと会ったとき、このチンパンジーはすまなさそうに、研究者の指がどうなっているのかを心配しているかのようであった記録されています。「犬畜生にも劣ると」とよく人間は言っていますが、犬もチンパンジーもボノボも人間に負けず劣らず道徳性があるのです。
科学万能の世界になったといっても、それで全てを律することはできません。つい最近でも生物学はナチに利用され何百万人もの人が殺されました。フランス・ドゥ・ヴァールはこのような警告を発しています。
「科学が買い被られる原因は、善き社会を築くためにはより多くの知識さえあればいいのだという幻想にたどれるように思える。道徳性の核をなすアルゴリズムをいったん解き明かしてしまえば、安心して科学に物事をゆだねられる、そうすれば科学は最善の選択を保証してくれるという考え方が背後にはある。これは高名な美術評論家はすばらしい絵が描けるに違いないとか、料理評論家はきっと料理の腕も立つだろうと考えるようなものだ。なにしろ、評論家は出来上がった作品に関して深い洞察を示すのだ。適切な知識を持っているのだから、製作も彼らにませてしまえばいいのではないか?ところが、評論家の十八番は事後の評論であり、創作ではない。製作には直感と技能とビジョンが必要とされる。道徳性がどのように機能するかを十分に理解するために科学が成り立つとしても、科学が道徳性を導けることにはならない。卵の味の良し悪しがわかるといって、卵を産むことができないのと同じだ」
聖地巡礼の地中海旅行記の中巻です。ローマからギリシャ、トルコのコンスタンティノーブル、黒海の奥にあるロシア領のオデッサ、そこから引き返し、地中海に出て、いま紛争中のシリアのベイルートに至るまでの記録です。
ローマにおけるキリスト教の多くの奇跡を訪れて、トウェインの感想はこのようになっています。
「19世紀半ばに、充分に教養のある人士で、法学博士、文学上の肩書きのある、考古学の大家によって、真面目に述べられると、実に奇妙な感じがする。しかも私しは、ネリガン牧師の信仰を尊んで。私の不信を喜んで撤回し、牧師に好き放題に、堪え難い事項を書き並べさせることだろう。近頃の万事実際的な鉄道や電信の時代において、この老紳士の疑いをはさまぬ、詮索しない単純さには珍しい新鮮味を覚えさせるものがある」
1900前のキリストをはりつけたクギとか、死骸を覆った布とかが、あちらこちらにあることに、ローマカトリック教会がいかに民衆を騙してカネを吸い取ったかを嗅ぎ取っています。
ギリシャではコレラの発生で上陸許可がおりませんでした。そこでトウェインら4名は深夜に紛れて小船を出し、パルテノン神殿を見学しています。月に照らされた遺跡は、「広い地球のどこにも、この半分も美しい絵はあるまい」と感嘆しています。帰る途中喉が渇いたのでブドウ畑からブトウを盗んだりして、自警団に追いかけられています。それにもまして野良犬が吼えるので往生したようです。検閲官に逮捕されることもなく、船に逃げ帰っています。野良犬の多さはコンスタンティノーブルでもそうで、町内ごとに犬の縄張りがあり、町内を渡り歩くごとにその町内の犬に吠え立てられています。
ロシア領のヤルタではロシア皇帝とその妻その娘に拝謁しています。図々しくもヤルタに避暑に来ていた皇帝家族にお目にかかりたいと頼んで、それが許可されたのです。皇帝への挨拶文はトウェインが書きました。
「私共は少数の、公職を持たないアメリカ市民でございまして、単に遊楽の旅行を、そして私人としての地位にふさわしい、見栄を張らない旅行をしている者でございます。従って皇帝陛下に面接を赦されるに際し、特に申し上げる口上もございません。ただ、褒められましょうが、笑われましょうが、私どもの深く愛する祖国の確乎たる友邦であった国の王者に、私どもの感謝の意を述べたいと願うのみでございます」
この文言はやがてトウェインらの乗った船の船員たちの皇帝芝居の中で茶化されています。
これは読んだことがあるなと思い思い、最後まで読みました。パソコンの中身を検索して、2014年の2月にこの本の表紙などを写したファイルがありましたが、読書備忘録には感想文がアップされていないようです。タイでこじきをしている日本人のことを知って、情けないことだと書いた記憶があるのですが、形として残っていません。70を目の前にしてボケが進行しているようです。あと10年も経つと日本は私たち団塊世代のボケ老人が確実に増えると予想されるので、もし私が生きていたとするとどのような状態なのか、はなはだ心もとない気持ちになります。
この本の出版が2012年12月ですから派遣社員も増え、日本全体がギスギスした状態であったのでしょう。このような日本を飛び出し、生活費のかからない東南アジアに移った人も多かったでしょう。それにしてもこの頃から日本は陰り、かつてに威光はありません。統合失調症の男はタイの女性と結婚して、昼間ひなたぼっとしているので、現地人の子供から「バカ」と言われています。日本人は「黄色いバナナ」と言われていて、顔は黄色いが皮をむけば白いということで、白人のように金持だと思われています。しかしタイのコールセンターでは現地人と変わらない給料で働いている日本人もいます。食えなくなって本を万引きし、捕まった日本人ホームレスもいますが、かわいそうに思われたのでしょう、釈放されます。このホームレスは捕まって刑務所に入れられ、雨露をしのげ、食事が与えられると期待したのですが、豪雨の中に放り出されました。今もベンチで寝ているかもしれません。
きのう動画でタイのポップな歌手を見ましたが、なかなかの美人で、うしろで踊るダンサーもスタイルがよく、かつてベトナム戦争でみた、ボロをまとってやせこけた人々とは大違いです。もはやこの東南アジアの国々も日本を追いつきかけているのかもしれません。そのうち追い抜かれるでしょう。やがてからゆきさんが復活し、ボケ老人ばかりの日本を見捨てて、エネルギッシュな男たちがいる東南アジアに大挙して渡航するかもしれません。