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料理の本ほど心慰められるものはありません。見るだけで満腹になり、眠たくなります。人間にとって食べ物があるだけで他のものはなくてもいいのではないかと思われます。難民で今問題になっているシリアの内戦をYouTubeで見ますと、砂地の場所で草木が育つようなところではなく、街中では戦車が行き交い、しきりに大砲を撃ち、建物を壊しています。このようなところでは食事もままならないでしょう。水道や電気ガスも止まっていることでしょう。料理のできぬ場所は人が住める場所ではありません。アメリカとソ連の代理戦争のようを呈してきて、いまやソ連そのものが乗り込んでいます。今世紀も覇権国家同士の戦いになりそうです。
缶詰も今は進化してプラスティック缶詰も出来ています。明治屋製の「ニューコンミート&ポテト」というもので、値段も248円で、高いのか安いのかわかりませんが、いっぺん食さないと判別できないでしょう。高い缶詰では、国文製の「缶つま極・松坂牛大和煮」が5400円とでています。とんでもない値段ですが、やはりそれだけのものをつかっているのでしょう。私には一生手がつけられない食べ物です。私の感覚では缶詰とは100円そこらで、200円を超えたら生のものを買ったほうがいいのではないかと思っています。しかし産地が遠くにあるとかということで生では食べられないものもあります。そういうものは旬のときに缶詰にするとそれなりに旬の味を秘めたものになるかもしれません。それならば少々高くても文句は言えないでしょう。
有名な缶詰にスウェーデンのシュールストレミングというニシンを発酵したものがあります。これを開けるためには屋外で、合羽を着てやらないといけません。臭い匂いが充満するからです。フィリッピンのホステスさんが日本人の男性は「うんこ」臭いとよく言っています。日本の発酵食品味噌とか醤油とか納豆とかが日本人の体臭になっているのでしょう。フィリッピンのホステスさんの強い香水も悪い匂いではありませんが、もう少し弱めたらどうかと思われます。店の前を通る女性で香水が漂ってくると、大概フィリッピンのホステスさんです。口臭も体臭も自分ではわかりづらいものですから、他人の指摘が必要です。
ユリウス・カエサル、ロドリコ・ボルジア、レオナルド・ダ・ヴィンチ、カラヴァッジョ、ジャコモ・カサノバ、ジャコモ・プッチーニ、ベニート・ムッソリーニの7人を物語風にいかに女たらしかであったかを書いています。ロドリコ・ボルジアと、カラヴァッジョがはじめて知る人物です。ロドリコ・ボルジアはローマ法王で、宗教者であるにもかかわらず、毎晩3pなどしていたようです。カラヴァッジョは絵描きで、賭博かゲームのトラブルから殺人を犯し、イタリア中を逃げ回っていました。レオナルド・ダ・ヴィンチだけは不特定多数の女とやりまくるということはなく、弟子からはホモかとおもわれたくらいです。しかしモナリザのモデル、ミラノ公爵ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァの妻イザベラ・ダラゴーナで、夫の死後、ダ・ヴィンチと寝床を一緒にし、モナリザを描きあげたということになっています。ムッソリーニについては、私の中学生時代、図書館で歴史写真集があり、愛人とともに反対に吊るされた写真を見ました。一時期イタリアの総統とあがめられた人物が電信柱なんかに吊るされているのです。この写真集にはポーランドに侵入したナチがポーランドの抵抗分子の男女を斧で笑いながら首を切りつつある写真も載っていました。人間社会ほど怖ろしいものはないと確信しました。また戦争は人間を怪物にするとも思いました。ユダヤ人虐殺に関わったアイヒマンも一見すると真面目な公務員にしか見えません。職務に忠実すぎて、ある面優秀な人材であったのでしょう。
話は変わりますが、今アメリカのイージス艦が南沙諸島を回って中国を挑発しているようです。変なことにならなければいいがと願っています。アメリカでは遠くの町だと感じられていますが、日本では自分の庭先のことです。ここで拳銃が発射されればいつ何時流れ弾がこっちの方にくるかもしれません。こうなると日本もアメリカを助太刀するために銃を取って戦いに行くのでしょうか。中国には我々いろいろな思いはあるかもしれませんが、再び戦火を交えることがあってはなりません。
鈴木大拙には実子ではなく養子にした男の子がいました。名は勝、別名アラン、大拙にとって「不肖」の息子です。父親は三越に勤めていたスコットランド人の裁断師で、日本人女性と関わって生まれた子供です。大拙にはビアトリスというアメリカ人の嫁さんがいたのですが、子供ができなくて、このカップルにふさわしい子供がいたので養子にとった次第です。ところがこの子は小さい頃から虚言癖があり、外人の血が入っていますから早熟で、もう中学校くらいで女と遊びまくっています。戦前の軍国時代に「あいの子」は結構つらいものがあったと思われます。男連中からは排斥されましたが、この西欧顔は、今もそうですが、女性からもてもてだったということがわかります。同志社大学に進み、元首相の宮沢喜一と一緒に日米学生会議にアメリカに二年連続参加しています。こういったいいところもありましたが、素人娘をはらまし、大拙に200円の手切れ金を払わせたこともありました。当時の200円は今に換算すると300万円くらいにはなるのではないかと思われます。アランの女癖の悪さに大拙は手を焼いていて、アランが日米学生会議で知り合った東京女子大の久保ノブとの結婚式には出席しませんでした。敗戦後、かつて京都のダンスホールで知り合った歌手の池眞理子と結婚します。二重結婚です。その後ノブとは協議離婚します。この頃がアランの絶頂期です。「東京ブギブギ」の作詞家として名が知られるようになりました。ところが、好事魔多し、2,3年後高名な学者・式場隆三郎の娘・美香子に手をつけ、池眞理子とも離婚します。アランは酒で荒れるようになります。とうとう最悪の事件を起こしてしまいます。事務所のホステスを連れ込んで、裸の写真を撮り、なおかつ強姦しようとしたのでそのホステスは3階の窓から飛び降りました。大々的に報道されました。これに対して大拙はこう述べています。
「アランはすでに40を超えている。わしとしてはアランのためには正規の大学まですでに出してある。従って、どういう面からみても一人前の人間であるということがハッキリ言えるわけだ。一人前の社会人としてすでに独立しているのだから、いくら親であっても、いちいちとやくいえることはない。チャーチルの娘などの場合は、非常に派手なことをやっているけれども、外国ではいちいち親を引き合いには出さない」
今でも事件を起こした人の親を叩くような報道がなされていますが、大拙の言うようにやめて欲しいものです。
我妻によりますと、海外旅行は単に楽しむということだけではなく、これによって現代人にとって必須なものを獲得できるということを言っています。スケジュール管理、高い目的意識、判断力・情報収集能力、コミュニケーション能力等々などです。旅行会社のパック旅行もいいのですが、自分で格安航空のチケットを調達し、携帯でホテルの予約をしたり、自由に他国の街中を歩いたりすると、日本での慣れ親しんだ緊張感のない生活から、一挙にあらゆるセンサーが開花し、新しい能力も身についてくるのだということです。だからこの本は今から社会で活躍する若い人向けに書かれた本です。まさしく可愛い子には旅をさせよということです。しかし可愛くないオジサンにも旅は彼らの凝り固まった頭を少しは柔らかくしてくれるかもしれません。ミヤンマーで、どういう経緯でこの地に来たかはわからない日本人オジサンが現地の若者に乞われて日本語を教えています。もう5,6年になるそうですが教え子には日本企業に勤めたり、日本に留学する人も出てきました。定年後物価の安いこの国に晩年を過ごそうと来たのかも知れませんが、消費するだけの人間としてではなく、この国の発展に寄与しているという自負も持てて、晩年有意義な生活をおくっているようです。タイにはリタイアメントビザというものがあり、「タイ国内に80万バーツ(約210万円)以上の預金がある」か「一ヶ月65000バーツ(約17万円)の年金収入」があれば、この国に何年もいられるようです。地獄の沙汰も金次第とあるように発展途上国でも貧乏なオジサンは厄介者でしかありません。女に金を使い果たしたオジサンは最後には間男に殺されメコン川に沈められたという事件もありました。
When you travel,the less you spend,the more you enjoy(旅をするならお金を少なく使うほどより楽しめる)(アメリカの旅行作家アーサー・フロンマー)
これは若い人に言えることであって、金持ちではないオジサンが女を漁ろうという魂胆がそもそも間違いのもとであるような気がしてなりません。
30歳過ぎても親の年金に頼って生活しています。大学の非常勤講師をやっていますが年間80万円くらいしかなりません。公務員の女性と結婚して、そのヒモになろうとしましたが、3万円の婚約指輪を返されました。働かないですきなことをやっていきたいというのを見透かされたのです。彼女からもらった腕時計は返すことなくいまだに彼の腕に巻かれています。常識人から見るとまったくな情けない男です。大学院まで出てこのテイタラクでは親はたまらんでしょう。自分の国民年金の費用を親の年金から引かれて、その日を境にして、親子の食卓は非常に貧しいものになったと記しています。泥棒も三分の理ありというものがありますが、彼もプータロウの理屈をこねています。人間は本来好きなことをやっていくことが正しいことで、それをやるためにカネをもうけ、余裕ができてそれが出来るという考えがそもそも間違いで、嫌な仕事をしているうちに本来の好きなことができなくなるのだと言っています。結婚して家庭を築き家を建て、そのために好きでもない仕事をするというのは本末転倒なことで、これこそ「生の負債」を増やし、つまりショッピングモールでいろいろなものを買うというのが幸せと思い込まされているのが現代の病理であり、それら商品を買うためにしたくもない仕事をしているのだということです。彼のようにその日に飲めるビールがあり、本があれば何もいらないという慎ましい生活をすればそんなに稼ぐ必要もないということですが、親が死んで年金がなくなると彼はどうするのでしょうか?生活保護受給者になるしかありません。このような考え方が増えると、嫌な仕事をして税金を払っている、「本末転倒」な人々はやる気がなくなるでしょう。国民全体が生活保護者になるとこの国は立ち行かなくなります。しかし生物界の原理では通常2割がぶらぶらしているそうです。蟻でもミツバチでもその構成員の2割が栗原康なのです。社会性を維持するためには全員がフル活動していては脆弱性を帯びます。2割くらいがぶらぶらしている方が何か問題が起こったときにその社会はよく機能するということです。中国であった食客は平生ただ飯を食っているだけですが、いざ主人に問題が起こると身を挺して問題解決にあたるということが歴史に刻まれています。栗原康ももし日本が国難にあったとき、身を挺して壊れた原子炉に入っていく人かもしれません。