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この本は読んだことがあるような気がします。でも出版は2015年7月になっています。この本に載っている写真も見たことが多い。大男ではじめサーカスで見世物だった人が、ワインのセールスマンになったということも、読みながらこれも読んだこともあるという気分になりました。パソコンの中身を検索し、奇形全書やマルタン・モネスティエがあるかどうかを調べてみましたがありません。狐につつまれた気がします。再読しないためにこの読書日記をつけていますが、このようなことでは自分のボケが進んでいるのではないかと思ってしまいます。読んだような気もしますが、はじめて知るようなこともあります。中国の玄宗皇帝は正常な美人に厭き、奇形の館を作り、夜な夜な小人の女や頭が二つある「二重体」の女と寝ていたそうです。この「二重体」では妊娠し、子供を生んだという記録もあります。二人はこれで大喧嘩したしたそうですが、セックスの時はどのような状態であったのでしょうか?一人は「恥じ知らず」と言えば、もう一方は大いに喜んだくせにといっています。生殖器官は一つしかないのですから、気持ちのよさは二人とも感じていたのではないかと思われます。
今日ではこのような奇形者をさらし者にして金銭を取るようなことは禁止されているようですが、ちょっと前まではサーカスや見世物小屋で盛んに出ていました。これで大金持ちになった奇形者も多い。またこのような奇形者は各国の王族や地位の高い人が会いたがります。結構有名人になるのです。正常な男は奇形の女性と結婚したがり、正常な女性は奇形の男と結婚したがります。見目形が美しいだけでは男女の関係は説明できません。やはりカネが大いに絡むということになります。就職難のおり、自分の身体を傷つけて就職することも出来ました。中国の宦官もその例です。奇形者だけとは言われませんが、奇形者だからこそよくいわれるように、これらが政治に関わるとひどいことになります。中国では王朝が何度も倒れ、スターリンが小人のエジョフを冗談で秘密警察の長官に任命したところ、結局これが1000万人以上の粛清につながりました。奇形侮ることなかれ、とはいいつつも、見た目正常でも精神にモンスターが取り付いた人間ほど怖ろしいものはないように思われます。
明治時代以降あらゆるものが欧米の影響を受けています。最新の文化である映画も、最新である故にもっとも影響を受けやすいものです。日本映画のジャンルの一つである「股旅物」も1910年代、20年代に活躍したアメリカの俳優兼映画監督のウィリアム・S・ハートの西部劇映画の影響を受けていると佐藤は言っています。そういえば江戸時代に興行された歌舞伎で幡随院長兵衛でも女が絡んでどうのこうという話ではありません。町方ヤクザと官製ヤクザ(旗本奴)とのケンカで、「怖れて逃げたといわれちゃあ、名折れになる。人は一代、名は末代」といきがっているだけです。和解の席が罠だと知っていても相手側の家宅に乗り込み、風呂にはいって「フルチン」のときに刺し殺されます。そのとき見得を切って、「人は一代、名は末代」と叫ぶのでしょう。「よっ、日本一」と観客は歓声を上げます。単純なものです。ところが西部劇が入ってくると、荒くれ者のヤクザが美人に出会って、今までの自分の生き方を恥じ、「真人間」になろうとするストーリーになってきます。これも元を正せば、ヨーロッパの騎士道につながるというのです。日本のヤクザ映画は武士道ではなく、騎士道にえらく影響を受けているということです。日本映画の黎明期の映画の監督はとりわけ西欧文明の影響をもろに受けている人たちですから、この考え方には大いに納得されるものがあります。のちのち高倉健が主演するヤクザ映画が騎士道のリメイクだとはなかなか気づきにくいでしょう。佐藤忠男は寅さん映画でも、寅さんは童貞なのかと疑問を発し、なかなかの慧眼の持ち主であります。ウル覚えなので、佐藤忠男がそういったかどうかははっきり断定できませんが、彼ならそういうことも言うだろうと思われます。
死後の世界はあるかないかは死に際の私にとっても大いなる関心事です。あの世で父母兄妹が待っていると思うと、早く死んでもいいかなと思ったりしています。脳科学者のエベン・アレグザンダーが大腸菌による脊髄・脳への汚染で一週間昏睡状態になり、そのとき彼はあの世に行ったという経験談を書いています。その間CT検査でも脳は機能していない状態にあったにもかかわらず、彼は上昇していき、光り輝く天国の入り口に到達し、いままで会ったこともない妹に手引きされたと書いています。彼は高校生同士が生んだ子であり、養育できないで里子に出され、脳科学者の医者に引き取られたのです。その後産みの親たちは結婚し、3人子供をもうけましたが、その中のひとりの妹が若いうちに死んでいました。エベン・アレグザンダーは産みの親を調べようとはしませんでしたが、息子の学校での課題で先祖を調べるというのがあり、コンタクトを取ったのです。病気回復後に送られた妹の写真を見て、まさしく彼を天国に導いてくれた女性が血のつながった妹だと確信したそうです。エベン・アレグザンダーは少年時にはグライダーに乗り、大学ではスカイダイビングのクラブに入っていました。彼の産みの親である父親は海軍のパイロットでありました。血は争えないということになります。
私はこの本を読んで考えてみました。世に言う暗黒物質や暗黒エネルギーは地球上や他の惑星で生存しているものが死んで霊魂になりそれが暗黒物質や暗黒エネルギーに変化しているのではないかと。人間ばかりではありません。犬やネコの霊魂もそれらに変わっているでしょう。もちろん恐竜だってそうなっているはずです。御釈迦さんのいうように、成仏できないものがまた舞い戻り、誰かの体内の胎児に乗り移るのでしょう。人間の胎児には人間の霊魂がふさわしいのですが、時には恐竜の霊魂も紛れて入り、怪物も生まれでてくることもあるのかもしれません。時には人間の霊魂も大腸菌になったり、ミミズになったりしているかもしれません。悟りを得て死んだ人は二度と地球上には舞い戻って来ません。暗黒世界で光り輝く清麗な霊になっているはずです。地獄もあったほうが面白いでしょう。この世で悪いことをした人はやはりお仕置きをしないといけません。未解決事件の犯人は地獄を免れることは出来ません。二句できました。
「だれでもが 入れるわけも ないヘブン」
「地獄では 時効のない 法体系」
コラムとエッセーはどう違うのか?そんなに違いはなさそうです。コラムというものは新聞や雑誌があって、口直しのための個人的な記事ともいえるでしょう。枕草子、徒然草、モンテーニュのエッセーは、そのような媒介物なしで、ただ個人的な楽しみのために書いていていたと思われます。少数の人たちの話題になれれば、それで満足していたのではないかと思われます。識字率が上がり、新聞や雑誌の大衆メディアが出来ると、それらの紙面をうずめるために多士済々の人たちが文章を書くようになります。それからコラムに特化した作家も出てきます。アメリカにはこの手の書き手が多く、政治、経済、スポーツなどありとあらゆるものに関してのコラムがあり、それぞれに有名なコラムニストがいるのです。
雑誌の女性記者が「面白い男」を書いています。女性にとって好まれる男性はユーモアのある男だそうです。それも「センスのいい」ユーモアです。ダジャレ連発の男はもてません。センスのいいユーモアは女にとって、セックスのうまい男のように、女性を、「自己分析繰り返しで凝り固まった人生の殻を打ち破って」外へ連れ出してくれるほどだと言っています。つまりエクスタシーを感じさせるのでしょう。
「人生について」では作家が、自分が年をとるといかに時間が大切かがわかると書いています。残り時間が少ないので、おのずと時間に関心がむくのでしょう。そのために彼は極力睡眠を減らそうとしています。私とは正反対です。私はなるべく睡眠時間を長くして、死の練習をしています。眠るような死を理想としているので、寝ていたら死んでいたということをイメージトレーニングしています。
「ひとりで食事する男」では永井荷風のようなことを言っていると思っていましたが、旅行していてホテルで一人で食事することについての煩わしさについて書いているのです。アメリカのホテルでは「支配人の席」というものがあって、他の客と相席をして食事をする「システム」ができているそうです。
「ニューヨークの憂鬱」では高層ビルから何かが落下して、自分の頭を直撃するのではないかと心配する男のコラムです。心配性の男は山道で車がスリップして崖から落ちそうになったときに大叔母の発した言葉にその心配性が解消されます。
「これがわたしの運命なら、それはそれでしかたないことだわ」
まさしくこれは「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神である」という聖書の一節を彷彿させます。
歴史は変えられないが、もしこうだったらこうなるのではないかと思うことはしばしばあります。私も太平洋戦争で、戦艦大和のような時代遅れの物を作らないで、航空母艦や戦闘機、爆撃機などを量産して、アメリカ本土を攻撃すれば、一方的に負けることはなかったのではないかと思ったりします。でもこれはすんでしまったことを見て、批判できることであって、その最中の当事者はその時代の枠に閉じ込められて、そのような考え方はできないのでしょう。たとえ出来たとしても、資源のない、技術もない日本ではゼロ戦を超え、高高度で飛行でき、レイダーをかいくぐる飛行機は生産できなかったでしょう。それ以上に満州事変により、中日戦争が勃発し、ダラダラと戦争をつづけたのが問題です。年代的に昭和のはじめごろが日本の没落の原因があったような気がします。そしてこれらの原因の遠因は明治維新にたどり着きます。つまり天皇を担ぎ出して、天皇に背くものは逆賊だという考えが再びこの時期に強く出たということです。徳川政権が磐石なときは天皇は影の薄い貴族で、和歌などを作り、政治とは関係しないものとして存在していました。ところが徳川政権が揺れ出すと、薩長や土佐の連中が天皇を担ぎ出して、徳川を逆賊扱いにさせます。このようなことが昭和の初期にも起こったのです。薩長や土佐の連中が軍部に置き換わって、この国の舵取りをしたのです。天皇の威光を笠に着て、好き勝手をします。天皇すらもてあまし気味になります。これら黒子たちは天皇に責任を被らして自分たちのしていることは責任を取らない体制を作ります。天皇を持ち出しては彼らに反抗するものを抹殺しました。こうなるともう歯止めがききません。原子爆弾を二つも喰らい、国土を焦土されたやっと戦争は終わります。この昭和初期にこの本で出てくる「シオン」がいれば、その後の日本はどうなっていただろうかと想像してみます。「シオン」そのものは今現在の目線でありますから、軍部の力を削ぐことに徹するでしょう。軍部は文民の下に管理されるようにするでしょう。外交に軍部がでしゃばってはいけません。中国の蒋介石や毛沢東とコンタクトを取り、粘り強い交渉をし、満州の権益などあえて捨てるほどの覚悟を示せば、今日のような中国の日本への非難はなかったかと思われます。朝鮮にしたって、もはや植民地そのものが時代遅れなものですから、日本がまず最初に朝鮮の独立を認めれば、韓国からこれほどの憎しみは受けないと思われます。ただしソ連だけは警戒を怠らないようにしなければなりません。日露戦争で得たカムチャッカ半島の国境に軍を増員し守りを固める施策をとるでしょう。