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かつて科学はイギリスの、変わり者の大金持ちの貴族が手慰みにこじんまりとやっていました。それが今は国家や企業が大枚の金をかけてやっています。理研の小保方研究員のSTAP細胞捏造も、もとはといえば予算獲得のために理研全体がそのような構造になってきたところによるものだということです。つまり画期的な研究を打ち上げ、それに予算をつけさせるようなプレシャーがこの研究所に渦巻いていたということです。研究者も自動車のセールスと同じようにノルマを課せられ、それができないとわかると嘘の売り上げを計上しないといけないようになってきているのでしょう。ますますこういう傾向は進み、何百年先を見据えた研究などできなくなりつつあり、すぐにでも応用が利き、金儲けに直結する研究が求められています。ニュートンのように余技で聖書の真理を証明するための錬金術などははなから出来ない状況になっているようです。おまけに今の科学者の置かれている状況は蛸壺研究と称されるもので、狭い分野に隔離されて、他のものが見えにくく、いわゆる「専門バカ」になっていると指摘もされています。ベトナム戦争の折設立された「ジェーソン機関」では高名な物理学者やノーベル賞受賞者もいましたが、ベトコンの死傷者の正確な数を知るにはどうしたらいいかと相談を受け、それに対してこれらの科学者は「ベトコンの左耳を切り取り、これを針金にさしてもってこさせれば正確な人数はわかると解答したそうです。まさしく理知的な科学者の言うとおり正確な人数はわかるでしょう。しかし、こんなにIQの高い人たちでも、やっていいことといけないことがわからないのかと唖然としてしまいます。
英国商船ラベンナ号と日本の軍艦・千島艦が松山沖で衝突して、なんと軍艦が沈没したという事件で、それについて子規が詠んだものです。軍艦といっても排水量750トンで、イギリス船は3000トン、仕方ありません。明治25年(1892)この事件は起こりました。フランスに注文して出来上がったばかりの軍艦です。高校の歴史の教科書にはこのようなことは記載されていないでしょう。枝葉末節のことですから、アレキサンダー大王ほどの価値はなく、これによって日本が大変化したわけでもなく、たかが数十人の海兵が死んだだけですから、新聞記事になるくらいでしょう。しかし郷土史家は、埋もれかかって忘却の淵にあるものごとを掘り返すことに何ともいえぬ喜びを感じることが出来る人です。最近流川で火事があり、メイドカフェが焼け、3人も亡くなりましたが、やがてこの事件も忘れられていくでしょう。しかし50年後にはきっと物好きな郷土史家が掘り返し、そもそもメイドカフェが何ものであるかから解説しているのが予想されます。その当時の町内地図も発見し、この火事の近くにある私の店も紹介してくれるかもしれません。
この本では正岡子規の妹律のことも記載されています。夏目漱石の「坊ちゃん」の「うななり」のモデル・中堀貞五郎の最初の妻でありました。しかし子規の養生のために律は離婚して松山から子規にいる東京に行きます。中堀貞五郎は松山中学から弓削商船の移り、最後には子供たちの教育のために京都に行き、文具屋をやったということです。
女親分麻生イトのことはこの本で初めて知りました。今東光の「悪名」に「実名で登場し」ていると記されています。因島が造船業で沸きかえっていた頃、口入家業で体を張っていたのかもしれません。頭には刀傷があり、写真で見ても親分らしき風貌があります。
懐かしい名前が一杯です。それがほとんど死んでいます。私が物心ついてきたときから、ラジオやテレビで知った芸人たちがいまや大方鬼籍に入っているのです。現在活躍しているお笑いタレントはほとんど知りません。私はいま生きていますが、現在のタレントとは面識がなく、幽界に入ったタレントたちだけが私の脳の中で鮮やかに舞台に上がっています。私もある面死んだようなものです。幽界の有象無象が私を招いているようです。行きたいようでもあり、まだここに留まりたい気持ちもあります。
矢野は夏目漱石の「三四郎」からこの文章を取り出しています。
「小さんは天才である。・・・彼と時を同じゆして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生まれても小さんはきけない。少し遅れても同様だ」
矢野自身は「同時代に生きることの喜び」だと言っています。
矢野が書いていない芸人に「かしまし娘」がいます。三人の姉さんが三味線、ギターを弾き、歌も歌い、漫才もするというので大人気でありました。まだ亡くなってはいないようですが、ビートたけしが出た漫才ブームの頃から、その古さが嫌われて解散しました。最後頃は、かつてはドッと客が笑っていたところにきても、まばらな笑い声しかなく、かつては飛ぶ鳥も落とすような勢いのあったタレントが尾羽うち枯らす状態になり、人気商売は時に残酷なものだと感じ入った次第です。
大学を中退し、まともな仕事に就かず、フリーのライターとして、食うや食わずの生活を強いられ、最近やっと余裕が出来、キンドルを買い、キャッシュカードも作り、しかし女を養うほどの収入がないので、結婚もできず、「インスタントラーメンがうまくできたことで」幸せを感じる、慎ましい生活をしています。中途半端な人間として、中途半端な人間がなしえることを日夜酒を飲みながら、探求しているようにも思えます。優秀な人は仕事ができるので、閑がありません。その点中途半端な人は仕事など任せられないので、おのずと閑ができやすい。荻原魚雷はこの閑を本を読むことに徹しています。しかしこのような状態に悔悟の念も生じています。
「なるべく他人と競合せず、どうにか食っていける方法はないかと長考した。その結果、考えているばかりいて働かないと貧乏になることがわかった。・・・世の中をなめていたツケが、どんどんたまってくる。変わりたくても変われない自分に嫌気が差す。使い捨てられることを心配するより、そもそも使ってすらもらえない身であることを案じるべきだった」
それ故彼の読書の傾向は、ライターが「無職並びにプータローの経験」がある作家に好感を抱いているものになっています。似たものの苦悩を読んで共感しているのでしょう。で、彼は「優秀な人」が「やらないこと」や「やりたがらないもの」に注目し、そこに「半人前」の人間は足場を求め、そこを耕していくべきだと言っています。その成果がこの本ということなのでしょう。マイナーな作家の名前も出ていて、「読書のプロ」兼「貧民の代表」といった風格もできつつあります。
この卷からは私の青春と重なります。テレビなどでディズニーランドの提供の映画とかアメリカドラマをよく見ていました。豊かなアメリカに憧れていたものです。ところがこの本を読むと、こういった文化政策もCIAの謀略だと感じられます。CIAでなくてもアメリカの政府が日本の子供たちを洗脳していたことがわかります。日本でかつてあったものはすべてダメで、アメリカ風民主主義が一番優れたものであるというメッセージです。それで私はマリリンモンローこそ世界の美女であると刷り込まれたのです。マリリンでなくても金髪白人の女性が最高にいいのだという、根強い偏見にとらわれたのです。歌手の千昌夫もその口でしょう。女だけではありません。アメリカのなすことすべて人類の進歩に貢献しているのだと思わされたものです。ところがこの本では第二次世界大戦以降世界の覇者になったアメリカはCIAを手先にして、アメリカの言うことを聞かない国には暗殺団を送り、暴虐の限りを尽くしていたということです。インドネシアのスカルノはアメリカの企業を国に摂取しようとすると、アメリカのCIAはスカルノの白人金髪に目がないことを知り、白人金髪を送り付け、スキャンダルを起こそうとしましたが、失敗します。しかし最後にはスハルトという軍関係者に現金や武器を贈り、スカルノを倒します。こういうことを中南米でも南アメリカでも東南アジアでも中東でもやっています。今のシリア内戦でも、もとはというと、アメリカの石油会社の利権を保持し安定させるために、ある一部の者に現金や武器を渡し、自分たちの都合のいいような政府を作りがたっているからです。アメリカの政治家はみな巨大な多国籍企業とつながっています。彼らはこれらの会社の利益を確保するために、軍隊やCIAのスパイを展開しているのです。日本にもCIAの手先がいるのです。テレビのコメンテーターもそういう人がうじゃうじゃいるようです。清廉潔白にみえる学者も信用できません。手放しでアメリカをほめる人は信用しないほうがいいかもしれません。そうかといってアメリカに苦言を呈している人も彼の過去のことを調べないと信用できるものではありません。なにしろCIAは防諜のプロですから、そういった提灯を上げてそれに集まる人員をチェックしているのかもしれないのです。いざ日本に軍事政権ができあがると、CIAはそれまで集めた反政府の人たちの名簿をそっくり軍事政権に渡すでしょう。これはチリのアジェンダ政権が倒され、その後におこったことで、何十万人の人たちが処刑されました。