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私は新聞を10年以上もとっていません。生ゴミを捨てるために新聞紙が必要なのでお客さんに古新聞をもらっています。決して一行たりとも読んだことはありません。パソコンでウェブニュースを見ているだけです。私もバカの一人であったことに気づきました。ウェブニュースには巧妙に宣伝が隠されているということです。知らぬ間にコマーシャルを読んでいたということになります。テレビだったらそれを避けるためにチャンネルを変えることが出来ますが、ニュース風に書かれているとそれがコマーシャルとはわかりません。そういえばかつてコーヒーメイカーの記事を読みましたが、それ以後いろいろなサイトを見てもコーヒーメイカーの電気器具の宣伝がついて回りました。つまりこのウェブニュースはアマゾンと同じ事をやっているということになります。これらの業界ではこのニュースのことを「ステマ」というのだそうです。レーダーをかいくぐるステルス戦闘機からきています。要は私の警戒心のレーダーをかいくぐり、反対に私はステルス戦闘機のレーダーに照射されていたということになります。それ以後ミサイルがどこにいても飛んでくることになります。もはや命をとられたことと同然になります。私が関心をもったものはウェブの世界ではそれ以後先回りしてミサイルを撃ってくることになり、鬱陶しくてたまりません。単にコーヒーメイカーの器具の宣伝なら危険はないでかもしれませんが、これが政治的だったりするといつの間にかプロパガンダに乗せられるという可能性だってあります。
人間の脳は同じ人間の騙しに対抗するために脳が大きくなったという説があります。私の脳もこれを知って一回り脳が大きくなったように感じました。
今日で夏休みは終わりますが、私が小学校の頃、夏休みの宿題に何かを工作するものがありました。大いに苦しんだものです。何一つ「アイデア」が浮かばないのです。
「アイデア」で思い出すのは落語家の金語楼です。彼はいくつもの特許をとっています。夜道を歩く時に便利な下駄に懐中電灯をつけているものとか、下駄の前後の歯の高さが違うものがあって、坂道を上がる時に便利な下駄というものです。このようなくだらないものでも特許が取れるのかと思いましたが、いざ自分が考えると何一つ「アイデア」が浮かびません。ほかに家庭の平凡な主婦がキッチン道具の新しいものを開発し特許を取り何億も儲けたという話がありました。ちょっとした「アイデア」で一挙に富豪になれるなんてと思いますがいざ自分で考えると何一つそのちょっとしたアイデアが浮かんでこないのが悲しいことであります。テレビやパソコンの原理はわからないで使っていますが、これらを考え出した人というのはアレキサンダー大王やチンギス・ハーンよりはすごい人かもしれません。分野が違うから比較の対象にはならないかもしれませんが、現在の我々がこのような発明品で豊かな生活が出来るのですから大いに感謝しないといけません。
「麗しい」という言葉は、漆からきているということです。漆器の椀の美しさからこの「麗しい」が引き出されました。だから麗しい女ということは「漆器顔」ということになります。
「薬石効なく」という言葉がありますが、この「石」とは鍼灸の鍼です。金属の鍼灸針ができていない時代石のとがったもので体を刺していたということです。私は何かの石を擂り潰して薬にしていたのではないかと思っていましたが、この本によって無知のまま死ぬことをまぬがれました。
週刊誌で書いたものを集めたものです。2011年から2015年あたりの記事です。「後妻業」なる新語を作っています。青酸カリで何人もの夫を殺した京都の女の記事で出ています。高齢者の婚活が盛況だそうですが、男の考えは甘いというほかありません。貧困老人の老後などどの女がみようとするでしょうか?カネがあるから仕方なくしているのであって、京都の女のように男など邪魔で世話なんかしたくないというのが本音です。残り少ない時間しかない独り者男たちは「諦念」の修行をもう一度しないといけないようです。「女色」を避け、一人で瞑想にふけるべきです。一人で飯を食べる。幸いなるかな、自分が作ったものなんかに毒は入っていない。女の世話になって往生しようとするのは、青酸カリを飲ませてくれと言っているのと同じことなのである。だから漢字でも「妻」は「毒」に見えてくるのです。語源的に言うと、「妻」は草(箒)を手に持つ女であり、「毒」は毒草をもつ女ということで、いづれにしても手にほうきを持てば妻になり、トリカブトを持てば毒になるということです。昔から賢者は危険なものに近づかない。たとえ結婚してもソクラテスのように妻に顔を合わせないために絶えず外をほっつき歩いたと史実もあります。
こう思うのは脳の基底部にそういう「回路」が備わっているということです。それを文明人では前頭葉が辛うじて表面に出ないように抑えているだけです。だから生まれながらの聖人はいないということになります。ブッタも孔子もキリストも努力して聖者になったということになります。
ラッセルもこう言ったと記しています。
「人間の通常の特性の中でももっとも不幸なものは、おそらく妬みであり、自分の持っているものから喜びを引き出す代わりに、他人が持っているものから苦痛を引き出す」
実際に脳の中で肉体の痛みを感じる場所の隣に嫉妬を感じる場所があります。ほぼ二つの痛みは同根といわれるでしょう。同時に他人が不幸に陥ったときに感じる「蜜の味」は「報酬系」といわれる部分で、うまいものを食ったときやカネを儲けた時にドーパミンがドッと出る場所と同じところだそうです。著者が言うとおり、蜜はないけど、蜜をなめている気分になっているということです。
英語で嫉妬はgreen-eyed monsterとも言われます。緑は目の保養にはいいと思っていましたが、白色人種では嫉妬している時は目の玉がグリーンになっているのでしょう。
人間になってどうもこのように脳みそが大きくなったのかというと、人の数が増えたからだという説があります。
「社会を構成する固体が増え、社会が複雑化すると、それに適応していくために相手を騙したり、騙しを見破ったりする能力が必要になり、脳が大きくなっていった」
要は食えない人物の方が人間的に進化しているということで、第二次世界大戦の日本のように、英米豪のいじめ的な包囲網作戦に対してカッとなって真珠湾攻撃をするようでは進化の度合いが少ないということです。
食べ物商売ができたのはフランスよりも100年も早く1657年、「奈良茶飯屋」という店が出来ているそうです。1804年には料理屋番付ができていて、江戸には600軒の飲食店があったと記されています。有名な高級料理屋「八百善」の茶漬けは「一両二分」で、今に換算すると「3~5万円」になるそうです。何しろ高い材料を使っているからその値段になるので、江戸の通は大いに納得していたと書いています。
いつの時代でも金持はいるということです。現代でも一回の食事代が4,5万するところが予約が一杯で、何ヶ月先まで入れない状態だというのに、一回の食事代が1000円にも満たない私のような店はガラガラです。たとえ高いウナギを買ってきて焼いても、3000円と値段をつけたら、だれも注文などしないでしょう。ある有名なウナギ屋は4000円という値をつけていました。原価を知っている私は結構うまい商売をしているなと思いました。
江戸時代のウナギ屋は離れなどがあって、男女がいやらしいことをする場所だということになっています。ウナギの形状から双方盛り上がっていたのでしょう。
「しおらしい」という言葉の語源をこの本で初めて知りました。昔は塩が貴重で、塩を欲しがる女のしぐさを言い当てているということだそうです。
ウィンナーソーセージに切込みを入れたのは日本人だそうです。箸でもたべやすいようにということです。
井伊直弼が水戸藩の武士に殺されたのは、水戸藩の藩主・徳川斉昭が井伊直弼に直弼の地でとれる牛肉の味噌漬けを所望したところ無碍に断られたということが遠因になっています。これも初めて知ることです。尊皇攘夷との関係よりはこちらのほうが強かったりして、忠臣蔵と同じようなものです。