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「現在起こっていることは、過去にも起きている」といって「歴史を正しく学べば、自然と富は蓄積されていく」と言っています。現在の日本の状況は過去のどの辺にあったのだろうか?日中戦争前後の、日本が不景気で満州に活路を見出そうとした時かもしれない。今は立場が逆で、中国の膨張政策に対して日本が何とか歯止めをかけようとしている状況であると思われます。清朝時代「眠れる獅子」であったものが現在では周りを恫喝する「咆哮する獅子」になっています。・日本は中国に対抗するのか、または卑弥呼の時代のように中国の承認を受け、東海の孤島でひっそり暮らすのか、重大な時期にさしかかっているのでしょう。で、このような状況ではどのように金を投資したらいいのでしょうか?日本の軍需産業に投資すべきか、中国の巨大化する会社に投資すべきか、迷うところであります。またソ連の動向にも気にかかり、北方四島に住民を呼び寄せるためにタダで土地を提供しています。やがて中国とソ連とが手を結び、日本とアメリカが手を組んで第三次世界大戦になるかもしれません。戦線は朝鮮半島、尖閣列島、北方四島、へたをすると沖縄、日本列島そのものも戦場になるかもしれません。こういう状況になると金持ちたちは一はやくアメリカやオーストラリアに逃げ去っているでしょう。サラエボでのテロリストの銃の一発で第一次世界大戦が起こったように、ドローンによる皇居への爆弾投下で第三次世界大戦が勃発するかもしれません。予想外のことでこのようなことが起こるということは、それまで国同士の関係化悪化しているということですから、日本は過去の経験から外交で何とか相手を説得して、一触即発の事態を避けねばなりません。かつての軍部のように怒り狂って、拳骨を上げては、また同じことを繰り返すことになります。青年の怒りは破壊だけをもたらすものです。我々は十分にトシをとった老人の国家なのですから、過去の間違いを頭に入れ、上り坂の国家に対して、かつて日本が失敗したようなことになるかも知れぬと注意を喚起すべきです。
おおむね公平な姿勢で書かれています。日本の右側が言うように彼女らは売春婦であり、金儲けでしていたのだというのもおかしいことで、韓国の言うように20万人が慰安婦にされたというのもおかしいということです。日本が敗戦して日本の施政者がまず考えたことは進駐してくる米兵に対して女をあてがうことで、その方面の業者を呼んで女性の募集と施設の建設を要請しています。このことからして慰安婦は軍に関係していないという発言は疑問視されます。暗に業者と軍はつるんでそのような仕組みを作ってきたのだと推察されます。戦前の日本では遊郭が男の遊び場所であり、そういう男たちは女性を虐げているという意識を持ったことがなかったでしょう。貧乏だから売られてきてこのようなことをしているけどやがて、稼いで借金を払いこの業界から足を洗うこともできるので、別に問題はないと考えていたのでしょう。何ら女性に悪いことをしているという思いはなかったように見えます。一部のキリスト教者がこの娼婦制度に反対を唱えていましたが大部分のものはこれも一つの商売で、他の商売に引けをとるものではないと考えられていました。江戸時代に至っては日本文化の華であり、花魁はさしずめ今で言うところの人気スター、江戸の男たちの憧れの的でありました。このような文化の土壌を朝鮮合併で明治以降朝鮮にも普及さしたということになります。韓国側が言うところの20万人ほどの朝鮮の妙齢な女性を全部慰安婦にしたというのは間違いで、それは「挺身隊」という形の募集で工場などへの労働者としての募集であります。「強制」であったというのも微妙なことで、宗主国である日本と植民地である朝鮮の関係で、朝鮮人自らそうせざるを得なかったという状況でしょう。この本では伊朝鮮の慰安婦は4,5万人と推定されています。慰安婦の募集も堂々と新聞に出ており、日本の業者も朝鮮の業者もいました。ここでも「強制」という言葉は微妙で、金儲けでそこに入った女性もいれば、村の貧乏な娘で、村の村長の案内で業者と日本人警察官とが一緒になって慰安婦に応募させたということもありました。宗国と植民地の関係で村の村長も「お上」の意向に従わないといけなかったのでしょう。業者も日本人であろうと朝鮮人であろうとやはり「軍」の意向に沿って行動していたのでしょう。
韓国はこの慰安婦の問題でアメリカに慰安婦の像を建てたりしていますが、そもそもこのアメリカ自体アフリカから黒人を連れてきて、奴隷として働かし、あまつさえ、強姦などをして今日のようにブラックブラックした人もいますけど、白人の顔つきをした黒人もいます。まともな結婚でこのような子らが生まれ来たとは思われません。おまけに沖縄や世界の基地で慰安婦を利用している国です。第二次世界大戦でオランダの女性が慰安婦にされたという人がいます。それはそれで非常に悲しいことですが、そうかと言ってオランダをはじめヨーロッパの先進国がアジアやアフリカで何をしたかを問うてみなければなりません。このオランダ自身インドネシアで胡椒の栽培でいうことを聞かない原住民を飢え死にさせ、代わりに中国系の移民を運びそこで胡椒を作らせていてという事跡もあります。同時にこれら荒くれ船乗りたちは現地で女性を調達し、自分たちの種をばら撒き、後は知らん顔で去っていきました。宗主国と植民地の関係はどの地域でもあったことで、それが悪いというのであれば、世界の先進国は日本の慰安婦問題でああのこうのと言う筋合いはないということになります。
要は20世紀は野獣の世界であり、この世紀に入っても未だに野獣の資質は収まっていないということになるようです。
洪水を防ぐために護岸をコンクリートで固めたり、ダムを作ったり、田圃も用水を「パイプライン」で送ったりすると、以前いたウナギ、ドジョウ、メダカ、カエルなどこのような環境では生きられなくなります。アサリもそうで、干潟を埋め立て工場用地にしたり農業用地にしたりして、段々とれなくなっています。私が小さい頃は川でシジミがとれ、海に近いところではアサリも取れました。今では川で貝を掘る人などみかけません。人がとらないところを見ると広島のアサリには毒があるのかもしれません。私が子供の頃は貝を掘るだけではなく魚釣りもよくしたものです。竹と釣り糸と針と鉛の錘があれば簡単にハゼが釣れたものです。餌のゴガイは川底から掘ってとってきたものです。フナも釣れました。ウナギはドカンを川底に沈めてとっていたものです。東雲に当時まだ田圃があり、そこでオタマジャクシやカエルを取っていました。田圃で取れた小魚と、わけのわからない水生昆虫をいっしょに大型のビンに入れていたところ、この水生昆虫がヤリのような前足でこの小魚を突き刺していました。これを見て私ははじめてこの世は厳しいところだなと感じ入った次第です。子供ながらにしっかりしないとこの小魚のように力あるものに食われてしまうのだと思ったものです。おたまじゃくしを見て「可愛い」といった次元ではありません。自然の厳しさをこの大口の壜の中身は教えてくれてということです。
三輪節生は1946年生まれで私より一歳年上です。熊本県出身ですから、私と同じような自然環境の中過ごしてきたのでしょう。あれから半世紀経って、何もかも変わってしまって、まるで浦島太郎の気分です。今の時代がいいのか昔がいいのかわかりませんが、昔は今より自然が残っていたのというのは確かです。
中学生の「ノエル」が国会議事堂近くでドローンを飛ばそうとして捕まりました。中国製のドローンですが、いま一番売れているドローンです。中国のこのドローンの制作会社が世界の7割のシェアをとっています。中身は日本製の部品が使われているようですが、そのうち自前でその部品も作るようになるでしょう。私も小さい頃から模型飛行機の愛好者であったので、空を飛ぶものは何でも興味があるのです。You Tubeはドローンによる空撮がアップされています。高いビルにすれすれに接近してビデオを撮ったりしています。このようなことはヘリコプターではできないことです。ミュージック・ビデオでもこのドローンを利用して空中から撮影しています。中南米では麻薬の取引にこのドローンを使っているというニュースも出てきています。コロンビアの麻薬組織では自前で潜水艦を作っていましたが、この船の建造費は2億4000万円だそうです。大量に麻薬を運ぶにはいいかもしれませんが、捕まれば一挙に何もかも失われます。それよりはドローンを使ってやれば費用は安くて済みます。たとえドローンが捕獲されても匿名性があり、犯人を捕まえることは至難のことです。アマゾンも一時期ドローンを使って配送を考えた時がありましたが、今は研究を休止しています。ドローンで品物を配送する時代になると、きっとその電波をハイジャックしてドローンを盗むヤツが出てくることでしょう。中にはライフルで撃ち落す人も出てくるかもしれません。ドローンはまた刑務所にも禁制品を運んでいるようです。マフィアの親分がドローンで持ち込まれた携帯電話で、刑務所にいながら部下に命令して金儲けにいそしんでいるということもここに記されています。
ホワイトハウスにもドローンが落ちました。レーダーが張り巡らされているホワイトハウスも低空で飛んでくるドローンにお手上げ状態です。テロ集団もこのことを頭に入れて作戦を練っていると噂されています。
サラリーマンを主人公にしてそれに合いそうな話を綴っています。色気づいた高校生の娘に心配する父親、いじめられているかも知れない息子を心配する父親、もはや同士としての夫婦関係、等々などが書き込まれています。会社の女子社員との関係が不倫にいたるのではないかという期待を持たせますが、単なる相談相手に終わり、あっけなく主人公の破綻は回避されます。会社での業績も可もなく不可もなく、リストラという危機的状況もありません。とりわけ運のいい男でもなく、さりとていってとてつもなく運の悪い男でもありません。極平凡な男が主人公で、ドラマになりにくい男が書かれています。これはつまり清水義範そのものであり、夫婦仲良く海外旅行に行き、安定した生活を得ていて、とりわけこれといった深刻な問題はいまのところないといった状態であるということなのでしょう。破綻のあるところにドラマは生まれますが、破綻がないといっても、いつ破綻がおきるかもしれないという危険性はある生活なので、ある面破綻のないように生きようとするのは平凡な男のいじましさが感じられて、このようなこともあるよねという共感が呼び起こされます。