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たとえいい大学を出ても就職できない時代が来ると著者は言っています。コンピューターがますます発達すると知的労働もコンピューターに取って代わられます。医者や弁護士もコンピューターに仕事を奪われつつあります。ましてや普通の会社の事務員など今ではコンピューター一台あれば何人もの仕事をこなしています。一般事務職という仕事はもうないのです。工場でもロボットが人間の代わりに24時間文句も言わないで働いています。「雇用なき経済」の到来です。大学を出てもいい就職先はないとわかれば、大学へ行こうとする人は少なくなります。今のところコンピューターでできない仕事、トラックの運転手とかコックになろうという人が増えてきているようです。そうかと言って全員がそういうものになれるわけでもなく、やがて国民の75%が無職という情けない状態になります。現在のギリシャの比どころではありません。今お金持たちは人を雇わないでロボットを駆使して金を溜め込んでいますが、それが回りまわって自分たちの首を締め付けるようになります。国民の大半が職がなく収入がないのですから、金持が作る製品など買える能力がありません。やがて金持も自滅することになるでしょう。一人だけいい思いをしようというのがそもそもの間違いです。何千年と続いた王朝はありません。情報の伝わり方が遅い古代ではいざしらず、インターネットがめぐらされた現代、このような格差を見せられると人々は暴動を起こすでしょう。現状をこのまま放置していると貧乏人も金持もやがて地獄を味わうことになります。
吉田兼好も言っています。よき友は、ものをくれる人、医師、知恵ある人と。清水先生は医師ではないし、知恵ある人かどうかわかりませんが、ものくれる人に相当するでしょう。物知りであり、知ったことを欲しげもなく公開することで、私も物知りになります。これは「ものくれる人」と言われるでしょう。むかしフォークの世界で「クルセダーズ」というグループがありました。このトシではじめてこの「クルセダーズ」が「十字軍」のことだと知りました。「クルセダーズ」がデビューしたのは50年ほど前ですから、私は半世紀以上にわたって「クルセダーズ」の意味を知らないで生きてきたということになります。清水先生によって初めてその意味を2,3日前に知ったことになります。清水先生自体もアメリカがフセインを倒すためにイラクに侵入した年に知ったということで、先生も何十年間も無知であられたのであります。トシをとればそれなりに物知りになりますが、意識的に努力しないとブッタの言うところ、単に白髪になった人と言われるでしょう。残念ながらこの「疑史世界伝」のブッタのことは載っていません。何しろ紀元前4,5千年前から現代まで、ヨーロッパ史に偏らず俯瞰しているのですから、重要人物もはし折らなければならなかったのでしょう。この本では特に権力の趨勢の記述に特進しています。文化的なものは二の次にしていますから仕方のないことです。日本のように孤島の国では想像できないことですが、ユーラシア大陸ではいろいろな民族が沸き起こったり衰退したりしています。いまモンゴル族は日本の相撲界で席捲していますが、かつてはユーラシア大陸のほとんどを馬で踏破していました。ヨーロッパ諸国は現代では先進国だという顔つきをしていますが、何百年前ではオリエントから見ると西に位置する蛮国だと思われていました。この十字軍からして、サッカーの暴れるファンのようなもので、ゴロツキのような集団で行く先々で略奪や強姦を繰り返していたそうです。
今場所もモンゴルの横綱が優勝した。ここ何十年も日本人の横綱はいない。もはや日本人はあのふてぶてしい、愛想のない強靭な横綱にはなりたくないのでしょう。漬水の言うように、日本人は横綱の責任を担うよりは、幕下の気軽さを選ぶ傾向があるようです。漬水はこれを日本人のネオテニーと読んでいます。「幼形成熟」といっても精神面でもまだ幼形のままでいるのが多いということです。「可愛い」とか「若い」とかが日本人のほめ言葉で「大人らしい」は「ダサイ」ことになります。ということで日本人はますます「可愛く」なっていき、ますます「未熟で、物知らず」になっていくと漬水は危惧しています。日本人のネオテニーでメリットがあったのはマンガとアニメで、世界の子供を楽しがらせています。ハリウッドも日本のネオテニーの影響を受けてロボットが活躍し、ちゃんばらごっこをしています。
日本が豊かになって、このような傾向が現れた清水は言っています。ニートでもフリーターでもそれなりに食えるということがこの傾向に拍車をかけています。何となく生きていられるのだったら、別に苦しい思いをして、大人になる「脱皮」をしなくても、もとのままが「楽」でいいという考えです。ところがこのようなことはいつまでも続くはずはないと漬水は警告しています。我々団塊世代が死滅した後、子供子供した日本人を誰が対等に付き合ってくれるでしょうか。仕事をしないでいいものが食いたいと泣き叫ぶ子供日本人に誰がまともに相手をしてくれるでしょうか。この本は2005年頃書かれたもので、清水が60ちょっと前であります。あとがきでこう書いてあります。
「私ももうじきまぎれもない老人になってしまう。そうなったら、なるべく礼儀正しく、でも実はふてぶてしい老人になろう、と言うのが将来への楽しい覚悟である」
「ふてぶてしい老人」とは若い娘から「可愛いおじいさん」と言われても、それに迎合せず、年長者に向かって何と失礼なと、どやしてやるほどの骨のある老人になることだと私は思います。果たして漬水は10年ほど経って「ふてぶてしい老人」になっているでしょうか。
この本を手に取ったのは、私のお客さんにパニック障害だという人がいて、またお客さんの中に円広志の親戚だと言う人がいたからです。「飛んで、飛んで、回って、回って・・・」というへんてこな歌の一発屋がこの円広志なのです。この歌以外ヒット曲はないと思っていましたが、森昌子の「越冬つばめ」の作曲は円広志です。
「飛んで、飛んで・・・」の歌がヒット中は活動の拠点を東京に置いていましたが、下火になると古巣の大阪に帰ってきています。そこでラジオやテレビに出て活躍していましたが、ハードなスケジュールと不節制がたたり、まわりが動くような感覚にとらわれます。まさしくヒット曲の「回って、回って・・・」が自分の身に降りかかってきたのです。これを見るといつまでも若いと思って仕事をしていると思わぬ落とし穴に入り込むことがわかります。自分では気づかないうちに自分の肉体が劣化しているということです。
私もこの一ヶ月帯状疱疹に悩まされています。炎症はおさまったものの、チクチクとした痛みはまだ残っています。
円広志は50を過ぎてパニック障害になったそうです。人間も50を過ぎるといろいろな不具合が出てくるようです。その時期を若いときの気持ち抱いてそれまでどおりのペースでやっているとやがて体が悲鳴を上げるようになります。いつまでもあると思うな親とカネといいますが、いつまでもあると思うな健康とカネと置き換えてもいいでしょう。パニック障害になったからと言ってすべての活動や仕事をやめてはかえってよくないそうです。「いやいやながらでも」仕事を少しずつやっていると、やがて体がそれに適合して症状の改善につながるそうです。
清水先生はこれを書くためにいろいろな解説書を読んでいます。多分「資本論」とか「純粋理性批判」とか「存在と無」とかという長い訳書は読んでいないでしょう。ましては原語で書かれたものは読んでないはずです。それよりは短い、ソクラテスに関する聞き書きやデカルトの「方法序説」やニーチェの諸論文やサルトルの戯曲「嘔吐」くらいは訳文で読んでいるかもしれません。読んだとしても清水先生はあとがきでこう書いています。
「この小説で取り上げた哲学者の思想を、私はすべて理解しているとはいえない。真面目に勉強したのだがギブアップなのである」
最も短いウィットゲンシュタインの「論理哲学論考」など何を言いたいのかさっぱりわからないでしょう。清水はウィットゲンシュタインの最も有名な言葉をもじって、「理解しえない哲学者については、沈黙しなくてはならい」と結んでいます。
清水はこの方面の自分の理解力のなさを棚に上げて、これら哲学者の本を訳したりまた解説したりしている人に対して疑問の念を呈しています。
「ああいう解説本って、本当にわかっている人がかいているのだろうか。わからないまま書いていなかな」
ハイディッガーの「現存在」などドイツ人の難解癖で、単に人間と言っちゃあいけないのかと思ったりしています。-