[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
人間がこうも増えると、将来なまこにならざるをえないでしょう。人間はなまこを目指して進化すべきだと思います。なまこの体は「キャッチ結合組織」といわれるもので、「筋肉に比べ10分の一以下のエネルギー」で動き、これを「維持するためのエネルギーはほとんどいらない」ということで、完全無敵のエコカーといえるでしょう。だから「栄養価のない海底の砂や泥だけで生きていける」ので、農業などをして自然を破壊することもありません。栄養価のないものを食っていますから自らも栄養価はなく、それ故捕食者もこれを捕らえて食おうとは思いません。ただし日本人、とりわけ中国人は世界から高級食材として乾燥なまこを輸入していますから、唯一の天敵といえるでしょう。寿司もそうですが、肉食を中心にした欧米各国に魚の旨さを強調して、彼らがそれらに目覚めたら魚の資源はますます取り合いになり、日本は窮地に陥るでしょう。最近金回りがよくなって、世界からなまこを「爆買い」する中国にはもう少し考えてもらいたい。なまこなど見向きもしなかった人々の関心を喚起し、なまこを食ってみようとする人たちが増えてくると結局は自分たちの首を絞めることになります。それになまこ本来の進化の趣旨にも違反します。栄養価がないということで捕食者の食う気がしないように仕向ける戦略が無効になり、なまこの繁栄が阻害されます。エコを邁進するなまこの涙ぐましい精神を、スモッグで覆われた北京に象徴される中国の人民たちは少しは取り入れようと努力すべきです。
残念ながら直感で「危険な人物」かどうかを見分けることはできないとオトゥールは言っています。殺人現場に行って、直ちに犯人像を言い当てるという、ドラマや映画などで出る鋭敏な探偵や捜査官など現実にはいないに等しい。オトゥールがFBI心理分析官として仕事のやり方は、犯人と思われる人物に接触し、対話しつつ、その中から徐々にその人の性格のパターンを抽出していくという方法をとっています。ある連続殺人鬼の男は自分の子供を車に乗せ、獲物の売春婦を漁り、殺していました。この男は地域の世話人でみんなから尊敬されていた人物です。何十年も犯罪を行いながら捕まりませんでした。このような犯罪をするのは気が狂ったものと思われがちですが、いたって正常でただ人を殺すのが楽しいということが常人と違っていただけです。また死姦する趣味も持っていて、埋めた死体を掘り出し、陰部にたかったうじ虫を除けながらセックスしたそうです。
連続殺人者は急に連続殺人者になったわけではありません。初めは手探りの時代を経て、それから自信を持ち、本格的に人を殺し始めます。はじめは女性の下着を盗んだりしています。それからレイプに成功すると、歯止めが利かなくなり殺人にまで直行します。また学校などで銃を持って無差別に殺す男は、もともと「インジャスティス・コレクター」というものがあり、長年の間に被害妄想を高めていくタイプもいます。一種の花粉症ととらえられ、被害妄想が一定の敷居を越すと、一気に破壊願望の症状が現れるということになります。こういう傾向のある男を調べるテストがあるそうです。
外国人が日本に来て、電車などで寝ている人を見てびっくりしています。ニューヨークの地下鉄では寝ている人はいません。寝ていたら財布を取られたり、命だって保証できない危険な状態だそうです。いまからゴールデンウィークが始まりますが、海外では平和ボケの日本人を狙う犯罪者が手をこまねいて待っています。日本での常識は海外では通じません。
日本の帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの第三番目の妻は驚いています。85歳にならんとしているライトは毎日3回もセックスを所望するというのです。妻は医師に相談して性欲を弱める「硝石」を渡されましたが、妻も好き者であったのでしょう、「彼を弱らせて、あのすばらしい喜びを奪ったりすることは、私にはとてもできなかった」と言って、彼の要望にこたえています。ライトの若い頃、施主の夫人と不倫をし、ヨーロッパへ逃避行しています。フロイトの理論によると、性欲を昇華させて文化なるものが生成されると言っていますが、ライトは強引に直接自分のペニスで建物の設計を描いたといえるでしょう。建築の才能がなければ連続レイプ魔になったかもしれません。天才とはやはり凡人とどこかが違うようです。しかし詩人ではない小説家などは案外凡人が多いのかもしれません。原稿用紙何万枚もの小説を書くのは詩人のように一瞬の激しいミューズにとらわれることはなく、まるで企業のように毎日不良品を出さないようにコツコツ努力する人間が大成するようです。
スタイロンは自分の部屋に小説の神様フォロベールの言葉を飾っていました。
「生活においてはブルジョワのように行儀よく規則を守れ、そうすれば仕事においては暴力的で独創的になれる」
その反対に数学者は常人とえらくかけ離れた人が多い。ボロをまとって世界の数学者の家を泊まり歩いたエルデッシュは、寝る時間はたった3時間で、アンフェタミンの錠剤を呑み、濃いエスプレッソを何倍も飲んでいたということです。
「数学者はコーヒーを定理に変えるマシンだ」
欧米の天才たちの共通したものに散歩があります。散歩中に独創的な考えが閃いたと言っています。日本では昼間にぶらぶらしていたら変な目で見られます。仕事をしていないのかといわれます。仕事をしていない若者はコンプレックスから自宅に引きこもっています。この際仕事のない若者やそうでない者も恥ずかしがらずに日中ぶらぶら街中を散歩すべきです。犬も歩けば棒に当たるというではないですか。痛い目に合うこともありますが、すばらしいチャンスを掴んだり、思いも尽かないアイディアを得ることだってあります。
映画の「寅さん」の一人テキヤはいないのです。縁日などで屋台をはるテキヤはみなそれぞれの組織に入っています。暴対法でこれらも取締りの対象になりましたが、賭博を主な収入源とするヤクザとは違うので、暴対法でテキヤもひとくくりにして取り締まるのは少しおかしいのではないかという意見もあります。昔、テキヤの飯島一家の親分倉持忠助がこう言っています。
「侠商の語は何を意味するのか。義による商人という意味なのか、侠客が商売を始めたとのいうのか・・・私は明言しておきたい。私たちは小資本の実業家であると」
またこうも言っています。
「人が生きる為には、人を使うか、人に使われるか、自分で商ふかの三つで、無産者には使われるか、自分で商ふかの二つの法しかない。使われるこのとの出来ぬ者はただ一つ独立することが残されているのみで、私たちは子供の折から独立を以て人間最高の美徳して教えられてきた。私たちは実に国定教科書によれば誠に誉むべき独立者ではありませんか。しかも大道の香具師、夜店商人として蔑まれなければならぬとは、何たる聖代の不祥事でありましょう」
広島でのとうかさんやえべっさんの祭りでも露天商の数は少なくなり、私が子供時代のそれらの繁栄とはまるで嘘のように思われます。しかし考えようによっては今流行のテレビショッピングなどは露天商の系譜を引いているような気がします。それに非正規雇用の人間たちははっきりいって露天商と変わりありません。露天商よりは悪いのかもしれません。露天商は小規模ながら資本を持っていますが、非正規雇用は自分の肉体しかカネに変える手段を持たないのですから。
大正や昭和のはじめにかけて、アナーキストや社会主義者がテキヤになり、糊口をしのいでいました。流しの歌い手もテキヤの仕事に分類されます。そこで主義者は今で言うプロテストソングを作り歌っていたのでしょう。占い師も香具師の中の一つの仕事です。占い師になるためにははじめサクラになり、人が集まったところで、「当たっている」と大袈裟に吹聴していたのです。そのような下積みをやり10年くらいして独り立ちをしていたのでしょう。
私は死ぬまで銀座の寿司を食うことはないでしょう。一人少なく見積もっても3万円はかかるそうです。話のついでにといっても、たかが20貫程度のすしで3万円ももっていかれるのでは、先祖に申し訳ない。銀座という場所はただ食事して腹を太らす場所ではないようです。日本や世界の勝ち組がそこですしを食べるということ事態を自分たちのセレブ性を確認さしてくれる装置だということを認識しているからでしょう。セレブでないものがインターネットの評判を聞いてそこへ行ったとすると、店の者やまわりのセレブから田舎者と無言の視線を受けることに間違いありません。居心地の悪さは最高です。針の筵にいる感じです。これら田舎者は帰ってからインターネットに書き込みをするでしょう。愛想が悪かった、値段に見合うほどそんなに旨いすしではなかった、と。このようなことを言われても銀座の寿司屋はそのような客は志賀直哉の小説「小僧の神様」に出てくる丁稚程度にしか思っていないでしょう。最低でも資産20億ぐらい貯めてから出直して来いと言われそうです。今日も銀座の寿司屋は予約で一杯で一見ではなかなか入れないように盛況です。アベノミクスで潤う人間たちは寿司屋を秘密結社のように使い、明日の金儲けの密談をし、利用すべき人間への接待にいそしんでいるのでありましょう。