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この本が出た2010年小谷野敦は文筆業となっています。東大の教授になることをあきらめたのでしょう。学者が決して手をつけないようなテレビのドラマについて書くようになりました。
『いくら「借景ドラマ」でも、あまりに歴史に疎い学生などに出くわすと、せめて大河ドラマくらい観てくれよ、と言いたくなることもある。それと私には、いつか大河ドラマの原作者になりたいという「見果てぬ夢」もある』
とうとう本音が出ました。東大の教授よりも向田邦子のような脚本家になれば、美女たちの俳優に囲まれて楽しい人生が送れるでしょう。文献に埋もれて辛気臭い研究などする必要はありません。かび臭い古文書よりは奮い立たせるような美女の匂いのほうが体にはいいでしょう。でも小谷野敦先生はきっと美女に嫌われることでしょう。なぜかというと細かいことをグチャグチャいうからです。この本でも時代劇なのに一人の俳優が「上杉の攻撃は来週あたり」と言っているのを指摘し、一週間の概念は明治以降にできたものであって、明治以前には日曜日ということもないのだから、商家の丁稚などは働きつめで、「盆や正月の休みがありがたかったのである」と薀蓄を披露しています。
小谷野敦先生はまた自分の好みの女性はこういう女であると書いています。
『片桐且元、「義経」では北条時政を演じている。なおこの時、北条政子は財前直見だが、私は、この、美人ではないのに妙な色気を漂わせる女優がちょっと好きなのである』
最近筑波大学でNHKだけが写らないアンテナが出来たというニュースがありました。これが市販されればもうNHKに毎年何万円かを強制的に払わせられることもなくなります。私としては大河ドラマなど金をかけてやる必要はないと思っています。おまけにNHKの職員は多すぎる。おまけに女子アナウンサーは他局に比べても美人が多い。顔のよさを採用の条件にしているような気になります。不編不党を標榜するNHKなら不細工な女子アナもいてもよさそうに思えますが、見当たりません。NHKはニュースを重点的にやり、ドラマなど民放に任せるべきです。人員も減らし、高い視聴料を取らないようにして欲しいものです。
大正14年(1925年)に頭が白髪で生まれてきたそうです。母が神経痛で「強い薬」を飲んだせいです。中学校受験の時、面接で、マッチの燃えカスで眉を母親が描いたのを配属将校が指摘し、それを言われた途端、母親は彼を連れ出して、この学校の受験を諦めました。
戦後電話局に勤めていましたが、劇団に入り、それから一生俳優として生きてきて2012年87歳で亡くなっています。
私のイメージでは彼は脇役で渋いところを発揮していたという感じがあります。テレビドラマでもこの人が出ると場が引き締まるという俳優がいるものです。彼も主役ではないが、彼が出るとドラマに重厚さが出てくるという感じです。劇もドラマも絵空事ですが、絵空事のフアフア感を地上に繋ぎ止めるのは若い俳優では難しい。もうじき棺桶に入り、やがて遺灰が地中に埋められるといった年老いた俳優でないと、このようなことも現実にあるよなーという思いにはならないでしょう。そうかといって歌舞伎のようなものは、役者が老練で死にそうな人間であっても、この舞台を見て感動することはありません。私には歌舞伎のよさが少しもわからないのです。全くの絵空事であり、江戸時代にはそれなりにリアリティがあったかもしれませんが、歌舞伎の中身は現代とかけ離れていて、一種の教養としてしかの価値がないかもしれません。
いずれにしても昭和の名優がほとんど亡くなってきています。彼らに続く俳優は育っているのでしょうか。韓国のドラマが安いからと言って韓国ドラマだけを流していたのでは日本には俳優がおらなくなるでしょう。相撲もモンゴル系に押されて、日本人の力士は低迷しています。かつては河原乞食といわれた芸能者はハングリーが会ったからこそ芸に磨きをかけて一流になったのです。ゆとり世代に育った人たちの間から名優は出てくるでしょうか?
松本哉は法政大学に在学中に抗議の方法を学習したようです。キャンパスに炬燵を持ち込み、鍋パーティーを行い、酒を振舞い、気勢を上げるという方法です。また七輪を持ち込み、くさやを焼き、事務所にいる大学職員を燻し出すという方法も彼の発明です。とうとう逮捕され、執行猶予になります。拘置所で犯罪者に会い、大学では学ぶことが出来ないものを知ることができました。大学側も手を焼いて、とってもいない単位を強引につけて卒業させます。
杉並区の高円寺の商店街でリサイクルショップを開きます。世の中は1%の金持と90%以上のわれわれの貧乏人で成り立っているというのが彼に持論です。
「正社員で働いているし、結婚して子供もでき、家も買ったし、なんとか勝ち組かな、などと思っているキミ!思い上がってはいかん!!!気の毒だがキミもすでに立派な貧乏人だ。本当の勝ち組はちょっと仕事を休もうと、何年もなんにもしなくても、自然とカネが舞い込んでくるシステムを作っている奴らのことだ。・・・我々がちょっとでも仕事を休んだらどうか?たちまち金が尽き、ぐうの音も出ないようになるに違いない。そんな自転車操業の我々はまさしく貧乏人なのだ。今の日本社会の90%以上は貧乏階級だといっても過言ではない!せいぜい優秀な模範囚か問題児の囚人かの違いで、結局囚人であることには違いない。こうなったらもはや脱獄しかないな!」
金持のシステムでは、「社会のために苦労して頑張るー世の中が栄えるーそのおこぼれを頂戴する」という教育を貧乏人に施し、サービス残業をさせ、「散々」絞り上げて、役に立たないようになったらポイと放り出します。それに対して松本哉は「好きなことをやるー困ったことが起こるーもめるー何とかなる(何とかする)」という生き方を提唱しています。
放置自転車撤去に対して反対のデモをしたり、リサイクルショップでは死活に関わる古い電化製品は売ることが出来ないという法案に対する反対のデモをしたりしています。大学時代の抗議の方法、トラックに炬燵を載せ、鍋をつつきながら、街を練り歩きます。それか大きなスピーカーをつけ大音響でロックを流しながら、右翼さながらの運動をしています。とうとう都議選まで出馬しましたが、残念ながら落選しました。しかし1000票超えていたので供託金に30万円は返ってきたということです。
男で千人の女とやったと高言するのはよく聞きます。女が好きで男千人をくわえたというのはあまり聞いたことがありません。商売女でない限り、普通の女ではできそうにもありません。また自慢たらしく男のように高言することもないでしょう。伝説には「紋散らしのお玉」という芸者がいたそうです。「接した男の家紋」を記念として自分の体に刺青していたということです。でも千人にもなると、とても体一つでは入りきれないでしょう。これも中国人の「白髪三千丈」という類の大げさな表現だと思われます。実在の女性で「松の門三艸子」(まつのとみさこ)という人がいて、はじめ芸者をしていましたが、後に和歌の先生になった女性がいます。幕末前に生を受けて、大正3年に83歳で亡くなっています。これも噂で、実際にそうであったかはわかりません。雑誌などで書かれて、話が大きくなり、松の門三艸子もそれを面白がって何ら反論をしなかったからだと思われます。芸者も和歌の先生も一種の人気商売ですから、そのような話も宣伝になってますます認知度が高まります。量がやがて質の転換をもたらします。「千人斬り」は男性が使用する言葉で、女性の場合、「千人信心」となり、女性は男性を千人も抱くと、「生ける観音様」になり、信仰の対象となり、有難く「御開帳」を恭しく望み込むことになります。もうこうなると国宝級になり、めったそこらに「御開帳」はなくなりますが、目も暗やむような「経典」ができて、「御開帳」に代わるものとして、過激さはなくなりますが、以前にはそういうものがあったということを如実として示すことによりますますこの信仰は高まるようなシステムが出来上がります。松の門三艸子はブッタやキリストやアラーの神には及びませんでしたが、一歩間違えば、明治維新後、天皇にも優るスーパースターになったかもしれません。
現在中国が尖閣列島を自国のものだと主張しています。やがてエスカレートして沖縄も中国のものだと言うかも知れません。泥棒も三分の理ということわざがあるように、中国がそういいたがるのもわからないわけでもありません。室町時代、父親の義満が中国の明と勘合貿易をやっていましたが、死ぬと息子の義持はそれをやめてしまいます。たとえ儲かるとしても、明の属国になり、朝貢貿易にプライドが許せなかったのでしょう。その反対に琉球王国は明に朝貢して、明の属国に甘んじ、貿易立国として繁栄していたのです。明治時代に琉球は日本に組み入れますが、それまでは独立国としての体裁をとっていたのです。琉球王国の王様の名前からして、思紹、尚巴志など、まるで中国人のようです。当時としては琉球は日本よりも中国の影響が強かったというのがわかります。
そのうち中国は日本そのものも中国のものだと言い始めるかもしれません。弥生末期においても、中国の銅銭が見つかっています。稲作も中国の渡来人がもたらしたものだという説があります。司馬遷の「史記」には、秦の始皇帝の時代、「徐福」という人物がいて、「三千人の童男童女と百工を連れて」「不老不死の霊薬を」を求めて、船出したという記述もあり、それが日本にたどり着いたということが伝説になっています。現在日本が先進国でいられるのは、もともと徐福と三千人の童男童女と百工のお陰だということになると中国は声高に主張するでしょう。もし徐福がいなかったら、いまでも日本人は「樫の葉」を皿にして、「手を匙のようにして使い」「腕や顔に刺青をし」海に潜っては魚を捕る土人のままであったろうということになるようです。
共産党の国であってもいまだに「中華思想」は根強く生き続いています。豊臣秀吉が朝鮮を通り越して、中国の覇王になりたがっていたというのも、このような中国の何でも中国が一番という態度が気に食わなかったのでしょう。尾張の猿は中国の孫悟空に対してあまりいい気持ちを抱いていないようです。