[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
山路商は特高の「黒山」左翼係り主任に捕まり、痛めつけられ、釈放されましたが、喉頭結核に罹り、昭和19年6月26日に死亡しました。あと一年ちょっとで終戦ですが、そのあと原爆が落とされ、たとえ元気であっても住居が比治山と京橋川の間の段原にあったので、死は免れなかったでしょう。40歳の短い人生でしたが、自分の好きなことをしてきたのですから、納得できる生涯だと思われます。
父が満鉄の社員でしたが、大正9年に神経痛で退職し、広島に居を構えたということです。退職金も多くあったのでしょう。長男の商のために画材店をやらせますが、儲けることはなく、やがてそこは商のアトリエになります。自画像を千枚くらい描いたといわれますが、原爆で彼の作品はほとんど塵埃にきします。彼の残った作品を見ますと、写実画のようなものもあり、抽象画のようなものもあり、モディリアーニの似たもの、ダリに似たもの、ピカソの似たもの等々、昭和のはじめ頃、かくも芸術とは縁のない田舎の広島にも世界の絵画の潮流が流れ込んできていたということがわかります。柳橋のふもとにあった屋台で焼き鳥を食いながら酒を飲んだり、新天地や流川で騒いだりしています。広島のロートレックと言われるだけに、歓楽街の女給、辻占い師、喫茶店の店主などに、その辺を歩くたびに声をかけられていたのでしょう。表紙でも出ているようにこのようなおかっぱ頭では一目見ただけで忘れることができません。「商ちゃん、商ちゃん」と呼ばれて、広島では有名人であったと思われます。それにしても商の衰弱のきっかけを作った「黒山」は敗戦後どうなったのでしょう?案外広島県警にしぶとく生き残って、満額退職金をもらって悠々自適の晩年だったかもしれません。
読むのに困難な本でした。全編アート紙でできていて、重量が4キロくらいあるのではないでしょうか。寝ながら読むには腕と手に過大な負担をかけます。何度も寝ぼけた顔にこの本が落ちてきて、はっと目を覚ましたことがたびたびでした。しかしこのような困難さはたかが知れています。帆船で世界一周と比べれば、寝言を言っているのじゃないと言われそうです。航海図もないところに乗り出していこうというは何と勇気のいることでしょうか。当時は海の果ては崖になっていて海水が流れ落ちていると思われていた時代です。それでも船で出て行こうとしたのは金や香料や胡椒のためです。いずれにしても金儲けが主たる動機です。それからとうとう人間も商売の種になります。アフリカから黒人を奴隷としてアメリカや南アメリカに売り飛ばすようになります。この奴隷貿易によってアフリカから「1億1千万人」が大西洋を渡ったという推計になっています。ヨーロッパからも食い詰めた貧困者がアメリカに入植します。先史時代アリューシャン列島をとぼとぼと歩いて渡ってきたインディアンたちの状況とは著しく違います。まるで怒涛のようにこの新大陸に人間があふれかえったのです。インディアンたちはマンモスを絶滅させましたが、これら新しい入植者たちは多くの種の絶滅をもたらします。インディアンたちも絶滅しかかります。
コロンブスが西洋にもたらしたのは梅毒だけではありません。ハンモックもはじめて彼によって導入されたものです。それまでは船員は甲板で寝たりしていましたが、船内にハンモックを吊るすことによって少しは快適に航海できるようになったということです。
私も中学生頃は外国航路の船員になりたいと思ったこともあります。商船大学の日本丸の帆船に乗ってみたいと思いました。NHKでは海賊映画をやっていて、月給取りや商売屋よりは結構楽しい生活だと思ったものでした。主人公は女にもてて、不自由することがありません。歌謡曲でもマドロスはどこの港でも女がいると歌っています。そのようなことを耳にすると是非とも船員になって世界を回ってみたいと思っていました。しかし学力の不足と目の悪さで到底そこには入れないだろうと諦めました。
このまえNHKの将棋トーナメントで8段が二歩をして反則で負けました。この8段は加藤一二三の物真似をしたりして人を笑わせています。この将棋のまえにインタビューで自分はあまり実績はないが花のある棋士だからと自慢していました。今の将棋界は真面目でおとなしい人ばかりで、この8段が目立つだけです。かつての将棋界は奇人のより集めで、全うな人間は棋士になれないのだろうかと思うほどです。真剣師上がりの花村元司は八百長試合を提案していました。低段者と真剣に戦うのが面倒くさいものですから、お前が負けてくれるなら対局料の半分をくれてやると提案するのです。なにしろ低段者の対局料は高段者の対局料と比べて格段に低いものですから、高段者の対局料の半分ももらえば結構贅沢も出来るのです。このようなことをいますれば即刻将棋界から追放になるでしょう。理事になったあまり強くない棋士が豪華な家を建て、それが連盟の金をちょろまかして作ったものだとわかりましたが、その棋士が土下座して誤ったので、升田幸三の一言、「みんなゆるしてやれい」で何もなかったことになりました。将棋連盟会長まで勤めた荻原8段は加藤一二三と対戦で待ったをして勝っています。なにしろ会長ですから一二三も文句が言えなかったのでしょう。「棋界の太陽」と呼ばれていた中原もこうした将棋界の奇人の人脈を裏切らず、まじめそのものと思われたにもかかわらず、晩年林葉直子との不倫で、「突撃します」と電話で言ったことを録音されています。升田幸三がそのときでも健在なら、「みんなゆるしてやれい」の一言で、何もかも丸くおさまっていたでしょう。
いまや何百万部と売れる本はありません。1万部でも売れたら御の字です。本作りは金儲けのためでは間尺にあわないでしょう。カネのためならラーメン屋をやったほうが儲かるかもしれません。かつては出版人も100万部の夢を思って、企画などしていましたが、この業界の衰退は目を覆いたくなるほどです。書店もドンドンなくなりアマゾンの一極集中です。本作りはもはや趣味でやるしかないようです。この本にも出ていますが、ミカン畑を耕しながら独りで本作りをしている人もいます。本一本では食えないということです。せいぜい多くて5,6人の社員を雇うて、会社を経営しています。それもこのようなご時勢大変だと思われます。社長も社員も自分たちは文化の担い手だという気概を持たないとやっていけないでしょう。ここに出てくる社長の顔は、強欲猛々しい飲食店主の油染みた顔つきと違って、何かを諦めて達観した顔つきの人が多い。世の中には金持に引っ付いてその余禄を掻っ攫おうとする女も多いが、このような儲からない社長をサポートして何とかしてあげたいという女性も写真に写っています。女子アナのような華やかさはないが、よく見ると知性が顔に乗り移っているようです。
広島では渓水社という出版社があります。「広島のロートレックとよばれた男、山路商略伝」(2014年9月刊)があり、読んでみたいと思います。というのは私の父がある画家に間借りさせていたことがあったのです。その男は東京に出て有名になったと言っていました。
ライブドアの堀江を除いて、ここにでてくる「つあものども」はほとんど死んでいるでしょう。何百億、何千億とカネが飛び交う経済事件ですが、人の命はあっという間です。使い切れないほどのカネを持ってどうするのだと問うてみたい気がしますが、これらカネの亡者はこのような問いを発する貧乏人をせせら笑うことでしょう。
私のように商売していても大いに稼ぐということはしないで、何とか日々食えればいいと考えて、何一つ新しいことをやってみようとしないという生き方もあります。このような生き方は並みの男ではできそうにありません。男に生まれたからには何か一発大きなことをやってやろうというのが普通の男のサガです。このサガを何十倍もした男たちがこの本の主人公たちです。私のように聖人君子は面白みに欠けます。もちろん女性からももてません。私に相対する人はみなあくびします。退屈で仕方ないのでしょう。その反対にここに出てくる男たちは次に何をするかわからない男たちですから、気を抜く閑がありません。女たちもこのような男と対峙するとハラハラドキドキして生きているという実感を覚えるでしょう。長く生きればいいというものではありません。中味が大事です。たとえ短い人生でも中味が充実していると納得して死んでいけるでしょう。たとえ私が100歳も生きたとしても、なんら感動を引き起こすこともないでしょう。