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金庫を買えと言っています。それも500キロの重さの金庫ではなく、700キロの金庫だそうです。それは500キロでは数人の男で運び出すことが出来るが、700キロだとクレーンが必要だからだということです。国が倒産すると治安が悪くなり、ギリシャでも強盗盗難くらいでは警察は動いてくれません。電話をかけても殺人になったら連絡してくれといった按配です。日本の借金は1000兆円を超えています。このような借金生活がいつまでも続くとは思われません。5年以内にクラッシュが来ると言っています。そうなるとオデン一本が1兆円になるそうです。食えなくなった貧乏人が金持を襲うそうです。そのために今のうちから自宅を要塞化し、監視カメラをつけ、窓も割れないガラスをはめ込まないといけません。金庫の中には日本円ではなく、ドル札を入れておかないといけません。日本札などもはやゴミくずと一緒です。それかいっそのこと、居を海外に移し、すべての財産を外国のファンドに預けた方が安全だと言っています。
このような本を読むと空しい感じになります。浅井隆が呼びかけているのは、現金でも一億円以上はあり、土地も会社も株も持っている富裕層です。預金も年金もあまりない私などは、国がクラッシュになったら、預金封鎖されて、ある程度の期間を経てデノミを実施されて、例えば100万円の預金が1円くらいの価値しかなくなって、やっと払いもどされるでしょう。愛国心のある私は国が立ち直るには仕方がないと諦めますが、許せないのは、そうなる前に資産を海外に移転して、同胞としても苦しみを分かち合わない金持たちです。さんざん日本で儲けたくせに、国が危機的状況になると手のひらを返したように、資産を持ち逃げする人間たちです。もし日本が立ち直ったら、このような海外逃亡者は二度と日本の地に足を踏み入れてはならないようにすべきです。日本の倒産を逆手にとってそれを儲けの種にしようとする浅井本人気持がわかりません。金持だけに生き残りの指南をしていますが、やがてフランス革命などのようなものが起こると、真っ先に浅井はギロチンにかけられるのではないでしょうか。
植木等は「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ、二日酔いでも寝ぼけていても、タイムレコーダーガチャンと押せば、どうにか格好がつくものさ、チョッコラチョイと、パアにはなりゃあしねえ、あっそれ」と歌っていました。日本の高度成長期のある面華やかさとおおらかさを感じさせる歌でした。ところが今このような社員は即刻首になるようです。
「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ、社長や部長にゃなれそうもないが、停年なんてまだ先のこと、競輪競馬にパチンコマージャン、負けりゃやけ酒また借金あっそれ」
停年までこの会社があればいいですが、知名度の高い会社でもいつどうなるかわからない時代になっています。
名の通った会社の正社員になるのも大変ですが、入ってからも「地獄」がまちかまえています。ブラック企業でなくても、利益追求のために過酷な労働を強いられているのが多いことだと思われます。養う妻子がいたら、野獣のように会社にたてつくことは出来ません。この本でもマイホームを買ったばかりの社員に遠方への転勤を命じています。借金まみれの社員は文句をいえないだろという魂胆です。
日本の会社ではどこもブラック企業になりやすい。驚いたことに資本家が積極的にそうしなくても、社員が資本家の意向を汲み取って、「サービス残業を強要し、滅私奉公押し付ける空気」を作り出します。資本家にとってこのように自分に都合のいい人間ができるかというのはすべて教育の賜物だということになります。
「日本人は一般的にガキの頃から優秀な家畜を目標として教育されてきている。まぁ平たく言えば、いい学校に入り、いい会社に入り、真面目に働いて出世する、ということだ。これが唯一の価値観で、他の価値観はすべてマイナーだ。当然起業家だのをめざす価値観は世の中から否定的に見られるから育たない。この唯一価値観に順応することが出来た者が日本のエリートなんだ。したがって、一流企業になればなるほど、経営者と従業員の価値観は同質化してきて、両者の違いはたんに優秀な家畜とそうでない家畜ということだけになる」
「優秀な家畜」と思われていたものが、今では日本の停滞を引き起こす元凶になっているようです。真面目でなくても破天荒な考え方をする人間はこの教育制度からはででこないようです。でたらめな人間ばかりになっても困りますが、「優秀な家畜」が自分の価値観しか認めない状況を作り出すと、それは結局パブスブルク家の末裔となり、奇形の障害が出てきます。もう一度この辺で、敗戦後のあの混乱の、人間のシャッフルの必要なことがきているような気がします。純粋培養生物は雑菌に弱いものです。今一度、土壌菌に晒し、それに打ち勝つようなものを残していかないと、日本の再生はないと、私は確信するものであります。
将棋の米長が何時間も正座できない人は将棋が強くならないと常々言っていましたが、どうもこれは眉唾物で、強い人は正座ができようとできまいと強いに関わりなく、正座が出来ても弱い人はいます。升田などは胡坐をかいてタバコをスパスパ吸い、前のめりになったり、斜めになったりして盤面を見ていました。正座の概念ができたのは江戸時代で、それまでは胡坐をかいたり、立てひざすわりをしたり、正座もあったかもしれませんが、それが日本人の姿勢だとは思われていなかったようです。世の中が落ち着いて、武士が剣をもって殺しあうことがなくなり、儒教が広まりにつれて、正座が武士の魂を表現するものだということになったのでしょう。要は「格好」をつけたのです。これによって日本人に肩こりの歴史がはじまります。どうも日本人は合理性がなく、我慢比べが大好きで、自虐精神に富み、肩を張り、背筋を伸ばし、足の血行を阻害してしびれをきたし、内面ヒーヒーといいつつ、泰然自若を装うのが好きで、それを他人に押し付け、他人が苦しむのを眺めるのがまた大好きな国民ときています。
明治時代になると、軍隊による姿勢の正しさが強要されます。歩くにも背筋を伸ばし、ナチスや今の北朝鮮の軍の、足をまっすぐ伸ばし、高々と上げるほどのものではないのですが、長距離に歩けないような歩き方を教えています。
山下久明に言うところ、背筋を緊張させて立つものではなく、腹筋を使って立つのが人間には自然だということです。背すじを張ると、交感神経が刺激され、胸式呼吸になり、危機一髪のときは大いに効果を上げるが、このようなことを長く続けると、いろいろ齟齬をきたすようになります。腹筋で立つと副交感神経が刺激され、呼吸も腹式呼吸になり、気分もゆったりとしてきます。バランスが必要なのです。長時間、無理して肩肘張り、背中を伸ばす必要はありません。欧米人にはあまり肩こりがあるとはききません。儒教精神が蔓延する中国、韓国、日本に肩こりの症状があらわれ、ドラマでも肩を揉むシーンがでてきます。「格好」や「型」に溺れて、どうも中身などどうでもいいような世界観があるようです。
後藤充男は日商簿記1級を取得しましたが、公認会計士の資格は取れませんでした。ティッシュペイパーを醤油に漬けて食った極貧の生活から、You Tube動画を活用して、簿記教室を軌道に乗せます。インターネットで買った7000円の新撰組の衣装を着て、You Tubeで簿記を教える動画を流します。ブログも開設し、両方で知名度を上げます。You Tube動画を1500も作って流すと、徐々に名が知られてきます。生徒さんも集まり、簿記の本だって出版に漕ぎ付けます。極貧の生活からバラ色の生活になったということです。
私も極貧に近い生活をしていますが、新撰組の衣装を着てYou Tube動画に出ようとは、とても恥ずかしくてできません。恥ずかしいと思うくらいはまだ生活に余裕があるのでしょう。醤油をたらしてティッシュペイパーを食べるような状態になったら、恥じも掻き捨ててそうするかもしれませんが、つくづく無産者のものがカネ儲けするには恥じも外聞も捨てないといけないのだなということがよくわかります。
よくよく考えるとそのうち日本そのものが「極貧の後藤充男」になる可能性だってあります。世界で日本語が通じるのは日本国内だけです。世界は英語と中国語に二分されて、日本語など「お呼び」ではないのです。そのうちビジネスの世界だって、日本は「ああ、あの太陽の沈んだ国ね」と言われるようになるかもしれません。いま日本で一流企業に勤めているサラリーマンも、国の中枢を担うエリートも、やがて世界から見れば、数段も程度の低い人材でしかなくなるかもしれません。国内ではそれなりに存在感を示すかもしれませんが、国際的には影の薄い存在でしょう。外務省のように領事館でワインなど飲んで格好をつけている場合ではありません。かつての首相池田勇人がパリにトランジスターの売り込みに行って、顰蹙を買いましたが、貧しい日本を何とか豊かにしようという気概があり、今思い出しても涙が出るほどです。今からは「極貧の後藤充男」にならって、恥じも外聞もなく、たとえば外務省の職員は男なら全員武士の格好をさせ、女なら芸者の格好をさせて、日本のアピールをしないといけません。いまからの入社試験や公務員試験では学科の優秀さを競うばかりでなく、「恥」を恥ずかしくないと思う強靭な性格を最優先にして考えるべきです。
SNEP(スネップ)とはSolitary Non-Employed Personの頭文字をとったものです。定義は「20~59歳で未婚の人のうち、仕事をしていないだけでなく、ふだんからずっと一人でいるか、そうでなければ家族しか一緒にいる人がいない人たち」ということで、日本には2011年には162万いたそうです。その中にはニート(Not in Education,Employment,or Training)も含まれるのでしょう。
今日もっとその数はふえているかもしれません。この労働可能な人間が仕事ができないというのは社会的な構造に問題があるのでしょう。移民を増やして労働力を確保しようというより、まずこれらの人々が何とか働くことができるような環境を作らないといけないような感じがします。企業の利益だけを優先して、働くもの賃金を減らしたり、人員を減らしたりするようではますますSNEPが多くなり、やがて生活保護者が多くなり、国自体がやっていけなくなります。
今韓国では財閥の二世三世たちの横暴な振る舞いに激しい非難を浴びせていますが、日本では低所得者たちの、高所得者たちへの非難の言葉はあまりきかれません。何かうまくごまかされて、低所得者は低所得者自身に問題があるように仕向けられて、引きこもっているおとなしくしている人が多い。162万人もいるのなら無業者党でも作って、国会に議員でも一人は作れるはずです。パキスタンの少女・マララ・ユスフザイを見習って、思うところを主張すべきです。日本ではおとなしいことは美徳とされていますが、それによっておとなしくない人が好き勝手をやっているのです。上が潤えばやがて下々まで潤ってくるという経済理論はインチキです。上が潤えば永遠に潤い、下々まで回ってこないというのが今の日本の状態です。マララ・ユスフザイがオバマ大統領に無人機の無差別攻撃に異を唱えたように、日本の上層部のやりたい放題にくびきを刺すようなことをしないと、かつての戦前の軍部のような思いあがった連中が跋扈するようになります。