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おむすび顔の南伸坊が「あのそのロボット」があればいいのにと書いていましたが、まさしく「あのそのロボット」がインターネットの検索欄です。今の私も南伸坊の名前が思い浮かべなかったので、検索で「おむすび顔、作家」と打ち込んでみましたが、それに該当するものはでてきません。それで「路上観察学会」と打ち込んで、やっと南伸坊の名前を思い出しました。トシをとるとたびたび顔ははっきり思い出すのだが、名前が出てこないことがあります。そのうちメガネにコンピューターが組み込まれたものが安く出回るでしょうから、それをかけていると、知り合いが来てその人の名前を失念していても、検索と命令してその人の名前を呼び出すことができるでしょう。便利な世の中になったものです。
便利なものですが、それが創造的なものを作り出すかは疑問です。創造的なものを作り出すのは生身の人間の脳の「汗を流す」(故米長名人の言葉)ほどの活動です。検索してこちょこちょとまとめたものは、失念してそれを思い出すほどの価値しかないようです。
警察畑でも昔風の刑事はなくなりつつあります。最近ははやりのプロファイリングなどといったもので、データーを駆使して犯人を特定しようとしているようです。地道に足を使って聞きまわるということは「ダサイ」ことになっているのでしょう。映画やドラマをみて私がそう思っているだけかもしれませんが、実際刑事が書いた本でそのような傾向になっていると言っています。どちらが捜査法として優秀なのかわかりませんが、今のところ両方を加味して捜査するのが最も効果的であると思われます。
学問でも検索で「コピペ」した論文などは意味がありません。小保方晴子研究員も「コピペ」の疑いをかけられ、今回の中間結果でもスタップ細胞は出来ていないようですが、ノーベル賞受賞者の名古屋大学の教授もいっているように「何度も」失敗を重ねてやっと結果が出たというのですから、大いにがんばっていい結果を出してもらいたいものです。
いずれにしても画期的なものは「検索」だけでは生まれ出てきません。労少なきものに偉大なものはありません。艱難辛苦で石ころが玉になるのです。そうかといって艱難辛苦しても一生石ころで終わる人も多い。このほうがあたりまえなのです。しかし富士山の裾野のように努力しても報われない石ころがあることによって、高い富士山がその上にのっかかることができるのです。
摘銭法で今日の私を占ってみました。摘銭法とは100円玉3枚で、その表裏如何で陽になったり陰になったりします。第一回目、2回目、3回目は3枚ともすべて表だったので、老陰が三つかさなります。これは「地」です。代4爻は表2枚で裏一枚、「少陽」、5爻は表が一枚、裏二枚で、「少陰」、上爻も同じで「少陰」でこの三つで「雷」になり、全体では「雷地豫」という卦辞になります。「自適の道」とあり、豫は「たのしむ」とか「あそぶ」という意味があります。たぶんこれは店が閑な時インターネットで将棋を見たり、していることを表すのでしょう。ただし注意すべきは、「遊び楽しむと、怠る」ということになるので、「あらかじめ(豫)よく考えて、道理に随ってゆかねばならぬ」との但し書きがあります。易は常々変わりやすいものですから、老陰三つが変爻して「地」から「天」に変わると、「雷天大壮」の卦になります。「陽気盛んな像であるが、これを過ぎれば消えていく」ということで、常に正しい道を心がければ、咎なしということになります。ところが私のような小人にはこれがなかなか難しく、「遊び楽しむことに」淫し、「陽気盛ん」なるときは驕り高ぶります。易は自戒のための問答法であるといえます。占いすべてに共通することですが、自分をある程度距離をとって見つめてみると、何かしら出口が見出されることがあるかもしれないということになるのでしょう。
追記大井良の「鉄道員裏物語」は2010年12月2日に読んだ感想録があります。まったく同じ箇所に注意を向けており、いかに私が進歩しないかがよくわかります。
嫌韓論が渦巻いている今の日本で韓国擁護論を出すのは勇気にいることです。白人と黒人との見かけの違いはあまりないのにもかかわらず、こうも仲が悪いのはやはり積年の関係があります。記録に残っているのでは4世紀「広開土大王碑」というものがあり、高句麗の王が百済と結託して新羅に進入してきた倭を破ったとの内容です。その後朝鮮は中国やモンゴルに戦いに敗れて、属国になっていますが、日本に対しての憎悪をそれらの国に抱いていないようです。李朝朝鮮の王は中国の使者が来ると、西大門に出向いて、額ずいて叩頭します。誇り高い朝鮮の王がたかが使者にこのようにまでもへりくだらなければならなかったのにもかかわらず、現在の韓国の大統領・パク・クネは同胞である北朝鮮よりは中国に擦り寄っています。モンゴル帝国には王族の娘を差し出して、同時に貢物をして、ゆるい統治を願っています。いずれにしても中国やモンゴルとの戦いで多くの朝鮮人が死んだにもかかわらず、日本に対するほど憎しみを持っていないようです。戦国時代の「倭寇」、豊臣秀吉の朝鮮出兵、明治以降の朝鮮統治に原因があるようです。インドも永らく英国の植民地でありましたが、韓国のように宗主国にたいして憎悪を持っていません。日本人には他国の人民に腹を立たせるような独特な性格を有しているのでしょうか?台湾も日本の植民地でしたが、韓国ほど日本人を憎いと思ってはいません。中国ではかつて周恩来がいて、「わが国は倍賞を求めない。日本の人民もわが国の人民と同じく日本の軍国主義者の犠牲者である。倍賞を請求すれば、同じ被害者である日本人民に払わせることになる」とありがたい言葉を言ってくれていますが、今の中国の共産党の二代目、三代目の苦労知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃんにはそのような寛容な精神はなくなっています。
二日市 壮はもう一度日本は心から韓国に謝り、韓国の請求権も理にかなったものは支払うべきだと主張しています。スペインはアステカ王国に一度も謝ったことはなく、イギリスはインド、アフリカ、中東、中国で悪辣なことをしましたが、これも女王が悪かったと言ったことはありません。アメリカもベトナムやその他諸々の地域で戦闘をしていますが、なにしろ正義の戦いをしているのだと確信していますから、謝罪など一切ありません。もちろん日本に対しても原爆のことですまなかったとはいっていません。それよりは原爆によってはやく戦いが終わって、犠牲者を少なくしたと自画自賛しています。
そうはいっても隣国同士仲が悪いのはよくありません。冷静になり、聞くべきことは聞き、不理尽な要求にはノーを言わないといけません。また最近の在日に対するヘイト・ヘイト・スピーチをやめさせなくてはなりません。アメリカのテレビの番組で、「貴方だったらどうする?」というビックリカメラというものがあります。ニューヨークのブティックで黒人が入ってくると警備員がここでは貴方のような人がくるところではないと言って、追い出そうとして、その周囲にいる人たちの反応を窺がう番組がありました。大方の白人が警備員の態度に怒って、その警備員に文句を言っています。黒人差別で今アメリカはもめ返していますが、やはり良識のある人間はアメリカでも多いと感じられます。文明国と自認するのであるなら、寛容のない態度は慎むべきではないでしょうか。
「裏」と書かれていると、どうしても手にとって読みたくなります。また私が出来ない他人の仕事について知りたいという気持ちもあります。大井良は私鉄の駅員で、30過ぎで年収ボーナスを含めて400万円ちょっと超えるくらいです。平の駅員で、運転手や車掌になる気持ちはありません。それらになると給料も上がりますが、ストレスも相当上がるようです。福知山線の脱線事故を起こした運転手に同情しています。人員削減と過密スケジュールで事故が起こらないというほうがおかしいくらいであると言っています。頻尿癖のある大井良は運転手になれないとはじめからあきらめています。鉄道会社に入って来る人は、まず縁故組み、それから鉄道学校から、最後に大井のように普通の高校からと、だいたい三つに分かれています。普通高校から来た者は、会社が安定しているから入ってきているだけで、高い使命感などありません。平々凡々に定年まで勤めて、退職金をもらい、定年後嘱託でもなって、一生をつつがなく過ごすというのが理想郷なのでしょう。とはいっても、人身事故が起こるとその遺体処理をしないといけません。遺体には切断されてバラバラになっているものと、弾き飛ばされて熨斗イカのようにへらべっちゃになっているものがあるそうです。これらを見るにつけ、大井は人間は弱いものだと感じ入り、かつ、人間とぶつかった電車の前面を見ると人型にへこんでいるので、人間は強い者だとも感じいっています。駅にはいろいろな人が出入りするので、変わった人も多くいます。タイツ叔父さんという人もいます。顔を真っ赤に塗りたくったオバサンもいます。勿論痴漢も居ます。痴漢に勘違いされた対処を丁寧に述べてくれています。
『黙秘を貫くことが一番である。毅然とした態度で、女性と駅員らにこう言おう。「私は無罪です。弁護士を呼んでください。この女性を名誉毀損で訴えます」これで形勢逆転である』
最近は弁護士の数も増えて食えない弁護士も多いとききます。正義の味方を標榜する弁護士も食えないと、正義などあったものではありません。もともと弁護士なる職業は明治時代、三百代言といわれた、人の争いごとに介入して話をまとめるゴロツキであったものを、欧化政策にあわせて、資格を与えられたというものです。いいように言えば、侠気をもったヤクザ、悪く言えば、街のゴロツキだったということになります。大概は強い者に同調して、弱いものを泣かせていたのでしょう。
村上静雄によりますと、自分が頼んだ弁護士が、国税と組んで払うべきはずもない税金を1億数千万も払わされたと言っています。その弁護士は国税に恩義を売って、ほかに大いなるメリットがあったのでしょうか?弁護士の無作為によって、証拠の時効が切れるまで裁判を長引かせ、結局国税の言い部分が通るようにしたと言っています。もしこれが本当だとすれば、官、弁護士、裁判官の三すくみになるとどんなことでもでき、一般人はそれに対抗する術がありません。法律用語など駆使してもっともらしいことを言っていますが、それは素人をていよくごまかすための手段なのでしょう。意味不明の難解な言葉を作り出すのがこれらの人たちの特徴ですが、このようなことに頭を使うより、もっと人類に貢献するような科学とか医学に頭を使って欲しいものです。いまノーベル賞の授賞式をテレビでやっていました。真理を究めるのはすがすがしいものです。とはいっても、やはりこれがカネが絡むとやっかいなこともでてきます。ノーベル賞の一人は自分が発明したものが、たった2万の報酬しかなかったといって裁判を起こしました。その後和解して億の金をもらいましたが、どうもいまだに会社と教授との間にはしっくりいかないものがあります。すべて人間の欲が揉め事の始まりです。仏様のように欲を滅却することはできません。しかし世の中に仏様ばかりになるなら、ドラマなどなくなるでしょう。平和かもしれませんが退屈な日々がつづきます。やはり欲欲しい人間が織り成す、揉め事紛繁の世の中こそ、面白くて、当事者でない限り、傍目には何とも興味の尽きないものであります。石川五右衛門に倣って、「浜の真砂は尽きるとも、世の揉め事の種は尽くまじ」といえるでしょう。