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おじさんの趣味と思われる将棋に若い女流棋士がたくさんいるということは喜ばしいかぎりです。昔は蛸島彰子か山下カズ子くらいしかいませんでしたが、美少女・林葉直子が出現すると一挙に将棋界は明るくなりました。タバコ産業が将棋棋戦を主催していて、その関係で広島にも来ていました。スポットライト中の林葉は何と可愛かったことか!それが、将棋以外のことでいろいろあって、酒の呑みすぎから、肝臓を痛め、いつ死ぬともわからない状況だそうです。いまは故郷の九州に帰って、タロット占い師なっています。相手の中原誠も脳出血で引退し、いまは後進の指導にあたっています。当時マスコミで騒がれて、二人は泥沼に陥ります。当時私は林葉をもてあそんだ中原に腹が立ちましたが、今考えると、マスコミが話を大きくして、面白がっていたとよくわかります。林葉も中原の優秀な才能を受け継ぎたかったんでしょうから、妊娠して中原の子をもうければ良かったのではないかと思います。サラブレッドもそうですが、やはり親が優秀だと、子の優秀なのが出てきます。林葉が中原の子を生んでいれば、今頃はその子は男の子なら、羽生に劣らないくらい強い将棋指しになっていることでしょう。女子なら、女子タイトルを総なめするでしょう。
つるの剛士は将棋を趣味として、それが成功に導いた数少ない事例の一つでしょう。アマチュアの世界では、将棋の強さは貧困と正比例します。強ければ強いほど、貧困度が増します。将棋で頭が一杯になると、ほかの事は考えられなくなります。会社員だったら首を切られたり、商売でもしていたら廃業することになります。私の場合、何十年やっても強くなれないということは、中庸を得てると言うか、無理して高段者になろうという気概がないということで、商売も発展しないが、衰退しながら辛うじて生き延びていると言う感じです。つるの剛士はNHKで将棋番組の司会者になり、将棋連盟から「将棋親善大使」の称号まで受け、またこのような女流との棋戦の企画も上がるようになります。素人がたとえ女流であっても、その人に一局お願いしたと思うと、費用は20万から30万円くらいかかるのではないでしょうか。地方に来ていただくなら、その宿泊代やら交通費も出さないといけないでしょう。つるの剛士はこれだけで恵まれているのですから、女流と不倫などをして第二の林葉を出さないようにお願いします。
「ハリマオ、ハリマオ」と勇壮に歌うテレビドラマがありました。怪傑・ハリマオという主人公に実在のモデルがいたそうです。マレーシアのクアラトレンガヌに移住した谷理髪店の息子で谷豊です。満州事変に激怒した中国人に襲われ、谷豊の妹が殺されます。一旦故郷の九州に戻りますが、再び谷豊は単独でクアラトレンガヌに帰ります。そこで子供時代につるんで遊んでいたマレー人と組んで「盗賊の首領」になります。街のチンピラだったのです。それが第二次世界大戦がはじまって、日本軍がマレーにもやってきます。防諜の藤原機関に拾われ、マレー人、中国人、インド人などの懐柔にあたります。マレーシア語ができていたのですから、それぞれの内部情報を藤原機関に報告していたのでしょう。谷豊は日本敗戦3年前、シンガポールの陸軍病院でマラリアで30歳で死んでいます。もし谷豊が敗戦後も生き残っていたら、B級戦犯として絞死刑で殺されていたでしょう。長く生きればいいというものではありません。手厚く看護されて死ぬほうが、吊るされて殺されるよりは幸せです。
アジアに残る日本人町は何かしら戦争と関係しています。韓国では日本人町を観光資源していこうという傾向もあります。反日教育は盛んですが、現代の韓国の若者は九龍浦の日本家屋をパシャパシャと携帯で写真を撮っています。中国の上海や大連では日本が作った建物をそのまま利用しています。若い中国人はこれらの建物を日本人がつくったものであると気づかない人が多い。北朝鮮と中国をつなぐ鴨緑江大橋は日本人が作ったものですが、中国人は偉大な共産党が作ったものだと確信しているようです。
フランスのパリ大学に留学しています。そのときフーコーの知り合いである神話学の学者・デュメジルに同性愛の行為に誘われています。フーコーも同性愛者であるということです。フランスではかつて浮世絵などで日本フィーバーがあり、フランス人は日本文化や日本人に興味があるようです。遠藤周作もフランスで、日本ではぶさいくと思われる女性でもフランスでは女王のように振舞って、フランスの男を何人も従えて遊んでいるのを目撃しています。その女性の目と遠藤の目があったとき、その女性の目は何か文句はあるのかという風な目つきだったそうです。若いフランス男にとって、黒い髪や、不均衡な顔立ちは東洋の神秘と写ったのでしょう。教養高いフランスの学者たちは女性よりは東洋の男の子に興味を惹かれるのでしょう。文化的に劣ったものを引き上げてあげようという親切心かもしれません。フランス語を教える代わりにホモ関係を持とうと言う提案に船曳は「棚上げ」という状態にして、婉曲に断ったということになっています。そのときデュメジルはこう言っています。
「私は20歳のころ、第一次世界大戦の塹壕の中で、数ヶ月間男だけと暮らしたがそうした感情は起きなかった。だからおまえも50歳になってからそうなるかもしれない。だから、いま、そうでないことは構わない」
フーコーの講義をデュメジルと一緒に聴きに行き、講義の後、三人で歓談したということになっています。その後船曳はフーコーにも会って教えを乞えています。
船曳は50になってもホモの発芽はなく、女性と結婚して子供までもうけているので、健全な性生活をおくっているのでしょう。文化人類学の学者になり、いまや東京大学を退職し、年100日くらいは海外旅行をしています。
英語で書くと、William Shakespeareであり、Willは「意志」と言う意味でありますが、また「性欲」、「男根」に意味も内包しています。日本語的に解釈すれば、ウイリアム・シェイクスピアとは男根(will)をシェイク(shakes)してピヤー(peare)と漏らしたいと言う意味になるのでしょう。シェイクスピアが活躍していた時代は西洋が世界の覇権を目指し始めたころです。
「彼女の乳房は、海に囲まれた象牙色の二つの球体のようで、
他人に征服されていない一組の処女世界だった。
二つの乳房は主人とだけ子供を生む契約をしていたし、
貞節の誓いを立てているのは主人とだけだった。
だがこの二つの世界がタークィンの心に新しい野心を生んだ。
いまわしい王位簒奪者のように、この麗しい王座から、
所有者を追い出そうとしたのだ」
この詩句から著者は「東西二つの半球を征服する当時のイギリスの拡張主義とも響くように描かれている」と言っています。どの国も拡張から停滞になり、やがて衰亡していきます。今は日本もイギリスも停滞か衰亡の時代に入っているのかもしれません。中国、インド、ブラジルなどが拡大の時を迎えているのでしょう。インドは火星に衛星を巡回させることに成功しました。やがて中国は月に人間を運ぶでしょう。
乳母がジュリエットに言っています。
「四つんばいだったのが、仰向けになって殿方の相手をするようになる」
ジュリエットが14歳手前の時です。昔ははやくから結婚をし、子供を生んでいます。平均年齢が40も達していなく、あっという間に亡くなるのですから、早く子供を生まないと家系が絶えるでしょう。ジュリエットの母親も「高貴な身分で、あなたより若くて、母親になっている方もいるのよ」と結婚をあせらしています。
「終わりよければすべてよし」の戯曲でヘレナと軍人との会話。
ヘレナ「男性は処女の敵ですよね。どうやって、私たちは男性に対して防衛線を築いたらいいですか」
パローレス「遠ざけておくことだよ」
ヘレナ「でも襲ってきます。そして私たち処女は、勇敢ですが、防衛しても弱いのです。私たちに戦術的抵抗をなにか教えてくださいな」
パローレス「じゃあ処置なしだ。男って言うのは君たち女の前に座り込んで、下のほうを掘り崩すと、爆破して吹き飛ばしてしまうよ」
ヘレナ「掘り崩し係りや爆破屋の手から処女をお守りください。処女たちのほうが男を吹き飛ばす軍事的な戦術はないんでしょうか?」
膨張したダイナマイトをちょん切るしかないでしょう。
自分の嫁さんの死顔を撮っています。棺桶に花とともに写った陽子さんです。1990年に亡くなっています。1971年に結婚したということですから20年近く一緒に居たことになります。元気なころの写真もあります。ヌードの写真もあります。ことの最中のような表情の写真もあります。1988年にチロという猫を飼います。チロと妻の写真もあります。チロも2010年、猫としては長寿で22歳で亡くなっています。チロが老衰で死んでいく過程が写真に撮られています。痩せていき、毛並みもつやがなくなり、ささくれ立っているように感じられます。私も自然と鏡を手にとって、自分の顔を眺めています。「往生」が近いことがうかがわれます。最近不整脈があり、いつ倒れてもおかしくない状態です。今後私も死に行く自分の顔をデジカメで撮っておこうと考えました。以前寝ているところの顔をデジカメで撮ったことがありましたが、まさしく死人の顔つきです。老人にしては顔色がいいと言われますが、たぶんそれはお世辞も入っているのでしょう。長生きしてねと言われますが、反対のことを言っているのではないかと、年寄り特有のひがみ根性も出てきています。
ベランダの上から路上を定点的に撮っている写真もあります。なにげのない日常から、ドラマが生まれるときもあります。警察官が4,5人来ている写真もあります。これをヒントに、私も商売する日には店の前を同じアングルから写真を撮って、ホームページに載せてみては思うようになりました。写真は絵画と違って省略することがありません。写す人の意と違って、現前にあるものを見境なく取り入れます。玄人の写真家は絵画のようなところもありますが、素人ではそんなに構図を意識しているわけでもなく、思いがけないものが写ったりしていることもあります。なにげなく撮った写真の中に幽霊だって写っているかもしれません。