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みのもんたの次男の日テレコネ入社やテレビ局の正社員の給料が普通のサラリーマンの二倍だというのはこの本からの受け売りです。どの大手メディアも、表向き、公正をうたっていますが、入社からしてコネだらけで、政治家や有力者の子弟が「ゴロゴロ」といるのです。お手盛りで入った息子が、政治家の親や経済界の親の不正を本気で追及できるでしょうか?大本営発表以来、政、官、財、メディアは癒着していたのです。敗戦によってメディアは自分の生き残り計り、政、官、財を非難し始めますが、プロレスのようなもので、一種の八百長です。戦前は記者に免許を与えていました。それが現在の「記者クラブ」になっています。大手メディアの記者だけに解放されています。おまけに内閣調査室の秘密費でそれらの記者たちを饗応しています。うまいものは少ない人数でということです。
明治維新は実力があるものが世の中を引っ張っていきました。世の中が落ち着いてくると、維新の勝ち組の子弟たちが、親の七光りや、親の財や情報の豊かさで、受験に勝ち残り、官、財、軍、メディアに滑り込みます。伊藤博文のように刀で切られそうになったりした修羅場など経験していません。キャリアであると若いときからおだてられて、バカ殿の誕生です。これらが後の大本営の無能な将軍たちです。敗戦後アメリカのCHQにこの体制のとどめを刺されそうになりましたが、大手メディアと官、財が猿芝居をして、ようするにプロレスのように八百長をして、この体制を温存します。ドイツではナチの関係者は戦後復帰できません。ところが日本では満州国の大幹部・岸信介が戦後総理大臣になり、その兄弟の佐藤栄作も総理大臣になり、いま孫の安倍晋三が総理大臣になっています。
今日本は中国の共産党よりも「コネ社会」になっており、おいしいところはすべて政、官、財、大手メディアの幹部とその子弟たちによって食い荒らされています。一種のガラパコス楽園です。この地に適応したものだけが楽園を楽しめるのです。しかしいつまでもこのような楽園は続くはずがありません。最も適応したものはもっとも環境激変に弱いものです。人工的に純系を作り続けると病変します。みのもんたの次男はその見本の最たるものでしょう。このような組織では自浄能力がなくなります。
本や雑誌が売れなくなっているのがよくわかります。橋本はフリーライターです。2006年ころからライターの仕事がなくなっていきます。仕方なく深夜にアルバイトをしますが月10万円くらい、育ち盛りの子供3人抱えている家庭ではとてもじゃないけどやっていけないでしょう。生活保護を受ければいいのではないかと、彼もよくいわれたそうですが、家賃は5万円以下の物件でないと許可してくれません。この地域でこの家賃では部屋は一つくらいしかないでしょう。中学生の男の子がいるのですから、子供部屋も二つはあってほしいものです。おまけに自動車も持ってもいけないのです。神奈川県の相良原市では自動車がないと生活しぬくいところだそうです。50過ぎの男には正社員になる可能性はゼロです。アルバイトかよくて派遣社員です。悪い時は悪いことが重なります。通勤の自動車が壊れます。夕食時は、彼は外で食べてくるといって家から出て行きます。彼は図書館などへ行き、水を飲んですませます。チェーン店の牛丼屋でも白ご飯と味噌汁ですませます。このように節約しても月末家賃も払えなくなります。いま最も取り立ての厳しいのは金融会社ではありません。公務員です。自動車税の残り分の5000円をわざわざ職員二人して家まで取りに来たそうです。国民年金は猶予がありますが、国民健康保険は滞納していると、振り込まれたアルバイト料から直接有無を言わせずふんだくるそうです。金を貸してくれと言い出すと、人はだんだん離れていきます。それか説教をする人もいます。説教した後で貸してくれるかというとそうではありません。自助努力せよということです。反対に無償でライトバンをくれて人もいます。貧乏すると相手がどういう人間であるかよくわかるようです。私もある人から金を貸してくれといわれた経験があります。私は即座に断りました。私は冷たい人間なのでしょう。その人は店に来なくなりました。かっちんさせてくれと言ってもかっちんさせません。いつもニコニコ現金払いと言って、顔は笑っていますが、断固つけにはさせないぞという目つきになっています。そうせざるを得ないのも私が貧乏からです。多分カネが有り余っても、人には金を貸さないでしょう。長く貧乏を続けるとこれが性分となるのでしょう。
「ジーパンをはいて、ティシャツを着て、なめてんのか。スマートホーンをかざして、今からの商売はここにつまっていると、いやがってのー、ようこんなもんをよびゃあーがったよ」
まさしくこの本の表紙に載っているような格好で堀江は講演をしたのでしょう。一時は「ホリエモン」と言われて一世を風靡した堀江はいま講演会で稼いでいるのでしょう。上杉も「記者クラブ」の攻撃で名を挙げ、多くの毀誉褒貶を受けています。どちらとも事件の渦の中にいたりして、その裏を知っているようです。
政治家は相続税対策に政治資金団体を利用しています。これだと一切税金はかからなく、親から子供に莫大な財産を渡すことが出来ます。小渕も安倍も福田も一銭も相続税を払っていないと上杉は言っています。子の能力がどうであれ、無傷の遺産を貰い受けると、それなりに政治家になれるというのがわかります。認可企業であるテレビも政治家の息子や娘が「ゴロゴロ」いるそうです。縁故入社が当たり前の世界です。公正をうたうNHKだって「ゴロゴロ」だそうです。みのもんたの箸にも棒にもかからない次男が日テレに入社したのも人気者のみのもんたのおしがあったからで、一応慶応出ではありますが、入社試験では住所と名前しか書けなかったそうです。それでも縁故から日テレに入社できています。最近テレビ界の凋落の激しいのはこのような無能力なものばかりを入れて、運営しているのではないかと疑われます。そのくせ、賃金は平均サラリーマンの二倍の1千2百万から五百万円をもらっているのです。常識の通じない世界になっているのでしょう。NHKにしろ民放にしろいろいろと事件を起こす人が多いのも、もともと能力や品格のないものが多数入っていると考えられます。
最近朝日が問題になっていますが、ここの記者もみのもんたの次男とあまり変わりがないようです。福島の原発事故で、「30キロ圏内は安全」と言いつつも、朝日新聞の記者は50キロ圏内には入らないようにしています。下請けにあとは任せているのです。事件記者のイメージとして、どんな場所でも事件があれば進んで行くと思っていましたが、このようなことでは真実の報道などできっこないと思われます。テレビ局も新聞社もかつての大本営の無能な将軍たちの集まりになりおおせているのでしょう。アメリカのキャスターなどエジプトで大騒動が起こるとそこの行き、ぶん殴られて帰ってきてから放送に出ています。日本でキャスターと自任する人でそのようなことをした人が一人でもいたでしょうか。みんな安全な場所にいて、しったげなことを言っているだけです。
ツタンカーメンが統治した時期は紀元前1336年から1327年です。19歳で死んだのですから、10歳で即位したことになります。彼の父親は自分の姉か妹と結婚してツタンカーメンを産んでします。少年王ツタンカーメンの妃は父親が別の妃とこしらえた娘です。このような近親結婚でツタンカーメンは足に欠陥があり、足の骨折から、蚊に刺されマラリヤになって死んだと検視されています。彼の墓には使い古された杖や、新しい杖が何本もありました。あの世でも歩けるようにとの思いでしょう。ツタンカーメンと妃アンケセバーメンとの間には二人の子供が生まれましたが、「早産か死産」で、やはりツタンカーメンの墓に埋葬されています。ツタンカーメンが死んだ後、この王妃は敵対するヒッタイトの王に手紙を送っています。ヒッタイトの王の息子の一人を私の夫として迎えたいという手紙です。この時期エジプト王朝には韓国時代劇ドラマにまさる陰謀に渦巻いていたことでしょう。史実では王族の一人である60代のアイが10代の王妃の夫になります。これは王妃の希望ではなかったでしょう。強いられた結婚ということになるでしょう。もともとツタンカーメンの墓はこの貴族のアイのための墓だったのですが、アイが王になったため、この小さい墓に埋葬されたのです。一回盗掘にあいますが、犯人は捕まり、ほぼもとのままで封印されます。この小ささが3000年間盗掘を免れたのです。3000年前の盗掘した犯人の足跡が遺跡の中に残っていました。慌てていたのでしょう、指輪など布にまいて隠そうとしたとことも見て取れます。穴を掘って入ったところ、見つかり、何も持ち出せないで穴から出る羽目になったのだと思われます。
今私はNHKの番組の立花隆の臨死体験を見ながらこれを書いています。膀胱ガンを患って死を目の前にした立花の言動の中に、「あの世」があるのではないかとかすかな希望が見えて取れます。エジプトのミイラも生き返るのか、またはあの世で生きているのだろうという思いがあるのでしょう。死んだらゴミだという人もいましたが、これではあまりにも寂しい。死んだ後も何かあってほしいというのが大方の考えでしょう。「肉体」は滅んでも、「魂」はいつまでも残っていると思いたいものです。「魂」はもし子供がいれば子供に残り、子供がいなければ、その人に関わった人々の記憶に残っていると思えばいいでしょう。昨日亡くなった季香蘭・山口淑子は映画に、「シナの夜」の歌で私の頭の中でちゃんと生きています。
ビートルズが好きだといっても、古賀政男の曲のギターの音が流れ出すと、やはり私は日本人だと感じ入ります。ジャンジャンジャンという大騒音よりも、ピロンピロンと奏でられる前奏で、しんみりとした気持ちになり、「まぼろしの 影を慕いて 雨の日に・・」とくると、おうおう、これは貧しい日本人がビフテキを食えないもので、わびさびにかこつけて、質素な生活をよしとしたもので、人生楽しいことはあまりなく、悲しいことばかりで、自分の思いなど実現するはずがないといった諦念の気持ちを表しているのだと思うと、我々先祖たちの肥え壷を抱えて来た農耕民族としての、辛苦努力の歴史が前面に広がってきて、切ない気持ちになります。
古賀政男と二人の千代子は東洋と西洋の構図であるといってもおかしくない。はやくから父をなくし、貧困ため朝鮮に渡り、兄たちの助力で明治大学予科に入り、マンドリンクラブを創設し、やがて編曲や作曲も手がけるようになります。音楽を正規に学んだことはなく、我流で歌謡曲を作っていきます。二人の千代子はともに東洋音学校(現在の東京音楽大学)の出身です。小林千代子は歌謡界にも入りますが、後にオペラを主にいきています。もう一人の中村千代子は歌謡界からシャンソンのほうへ転進します。二人とも古賀が自分の母をイメージした女性・忍従しどのような愚痴も漏らさないけなげな女性とは違って独立覇気の強い自立する女性だったということです。
結婚したのは中村千代子でしたが、古賀は最初小林千代子の方を好きになり、淡谷のり子に仲介を頼みましたが、小林には「旦那」つまりパトロンが付いていてだめになり、コロンビアレコードの斡旋で中村千代子に代わったということです。中村千代子は裕福な家庭の娘であったので、貧乏育ちの古賀とは合わなかったのでしょう。森進一と大原麗子のようなものです。11ヶ月で別れています。古賀がなぜこの時期結婚を急いでいたかは、この著者の推量では、スランプになって正規の音楽教育を受けていないというコンプレックスから音楽学校を出た才媛と結婚すればその影響を受けて、作風が変わりスランプを脱出できるのではないかと思ったからだそうです。ところが古賀はこの才媛を目の前にすると、手も足も、またパンツも脱げなかったそうです。千代子が自分の母親に古賀が男としての務めを果たさないと言って、嘆いていたということが記されています。また古賀のオカマ説もあり、しばしばオネエ言葉を使う癖がありました。両人とも死んでいますから真相はわかりませんが、私はこれを日本と西欧の対立とみます。三味線一本とオーケストラの対立です。沢庵とチーズの相違です。貧しさの中に小さな喜びを見つける日本の文化に対し、西欧では贅沢のなかに驚愕の快楽を求める西欧の文化の違いです。
戦後古賀は森進一にリバイバル曲の「人生の並木道」を教えていたときのエピソードを披露しています。
「泣くな妹よ、妹よ泣くな、泣けばおさない、二人して、故郷を捨てた、甲斐がない」と歌うところで、森進一は泣きだしてしまったということです。森も母子家庭で九州から集団就職して都会に出ています。古賀と同じような境遇であったのでしょう。たとえ何億円稼いでいても、「高価な時計や指輪をし、金のステッキをつき」歩く一億円と言われていた古賀にとっても、森を見るとかつての自分を見るような気がしていたのでしょう。
成金趣味ぷんぷんのいでたちにたいして古賀はこのように弁解しています。
「いやらしいと思うだろう。しかしこうでもしないと気が紛れないんだ。じっーとダイヤモンドを見ている。・・・淋しいんだよ」