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私は以前外付けハードディスクを重ねて置いて熱で何台ものハードディスクがだめになりました。電子の記憶媒体は脆いものだと感じます。CDやDVDも作って残しているものもありますが、果たしてこれが何年もつやらわかりません。何年前作ったDVDでも中には再生できない動画もありました。音は出るのですが、画面がでてきません。クラウドも外付けハードディスクの一種のようなものです。ちゃんと管理しているようですが、会社というものはいつなくなるかわかりません。私は店のホームページを無料のサイトで作っていますが、最近2ヶ月もサイトがダウンし、私のホームページが消えました。ホームページは作るのは面倒くさいが、一瞬のうちに消え去るということもわかりました。電子も光ですから、非常に心もとないものだと感じます。もし電気でもなくなると一切何も出来ません。やはり紙で残さないと危ういものだとおもいます。電子でいいのは軽いということだけです。コンピュータの世界は何もかも早いがあっという間に消え去るということも肝に銘じて居なければなりません。小山はクラウドを一箇所に固めていますが、私の意見では最低3箇所くらいに分散しておかないと、いざというとき何もかも消え、泣き目に合うのではないかと心配しています。国家レベルでも電子記憶に頼っていますが、日本は地震などが多いのですから、衛星でも2,3個打ち上げ、そこに格納しておかないと役に立たないのではないかと、思ったりもしています。
我々日本人は、外国人から、とくに欧米系の人間からどう言われているのかを気にする民族だと思われます。明治時代以降日本人の目標は欧米を乗り越えることにあったのですから、欧米は先人、先生であるということになります。江戸時代までは孔子や仏陀が先生でありましたが、大いなる財貨をもたらすような先生ではありません。その点欧米の先生たちは、世界に植民地を作り、人間を売り買いして、自国の富を形成した国々の出身者ですから、豊かになれるノウハウを身につけている存在です。勤勉な日本人は先生のやり方を学び、朝鮮や中国や東南アジアでそのやり方で行動しましたが、途端に先生たちの反発をくらって、元の木阿弥になりました。だから「聡明なのになぜか幸福になれない」というのは、欧米の先生たちが阻止していると考えられないこともない。一般的な欧米の先生たちの日本人の評価は「オリジナリティがない」ということで、猿真似の文化であるということになります。日本人は長い間「素読」という学習方法を身につけていました。先人たちの教本を意味もわからず声を出して暗唱していたのです。日本人の強みは「教本」があれば、何とかなれるのです。残念ながら日本人の欠点はその「教本」が自ら作れないことです。今様の言葉で言えば、「インプット」は早いが、「アウトプット」は苦手だということになります。また日本では「アウトプット」をはしたないととる傾向があります。むやみに意見を言うと生意気だと噂されて、自然と潰されるようになっています。目立たないことで保身を図るのが日本人なのです。イタリア人のリオ・ジャッリーニはそのようなことで日本人は幸福になれないのだと主張しています。「均質主義」が不幸の元凶だということです。その点イタリヤでは一台何十億円のランボルギーニのスーパーカーを作って会社が成り立っています。日本のマツダのように一台百数万の車を何万台も作ってフウフウといっているのとは大違いです。一台何十億円の車に乗れる幸せな一人がいいのか、「幸福度」は薄められるけど、マツダの大衆車に多くの人が乗れるのがいいのか、一概にどっちがいいのかわかりません。
室町時代の浦島太郎は玉手箱を開けると爺さんになったというのではなく、鶴になって大空に飛んでいくということになっています。爺さんになるのは江戸時代で、朱子学からの影響で、若いときからチャラチャラ遊んでいるとトシをとったときに大変な目に合うぞという脅しの話に変わります。室町時代の浦島太郎では亀が女性に化けて、助けたお礼に妻になっています。玉手箱を開けて鶴になったのも、鶴は千年、亀は万年という長寿のことで、他者を親切にすると、いいお返しがくるのだという教訓談です。このように古典を読むことは、その時代のいろいろなことを知る結果になるのです。橋本治はそれを「智解」といっています。この「智解」は愚管抄を書いた慈円が使っていた言葉です。
「本を読むということは、なにが書いてあるのかよくわからないことを、探り探り読んで行くことでもあるのです。探り探り読んで行って、探り探り読んで行くことになれる――そうやって身につけるものが、愚管抄で慈円の言った、わかって行く能力、つまり智解です」
古典も外国語の一種と思い、辞書を引き引き読むことで、本の中味以外に、その時代に関わる諸々の知識も手に入れることができるのです。浦島太郎の話の内容が変って行ったのは、江戸時代になり武士政権が確立すると、衆生の救済よりは、殿に対する忠義のほうが重きを置かれることになったのでしょう。
最近YOU TUBEで「深夜食堂」という、漫画からドラマになったものを見ました。ゴールデン街というところで歌舞伎町の一角にあるのでしょう。もともと赤線青線の場所だったところです。表の華やかな歌舞伎町とは違って、狭い路地に倒れそうな木造の家がつながっています。「メニューはこれだけ、後は勝手の注文してくれりゃあ、できるもんなら作るよっていうのが俺の営業方針さ・・・」といって、ドラマの最初のナレーションで目に疵のある店主が言っています。店に来た若者が竹さんに似た店が東京にもあるよということで知ったわけです。30分ドラマ20巻分を全部見ました。さすが東京だけあって種々雑多なお客さんが「深夜食堂」にきてドラマが展開します。かつてゴールデン街もバブルの時地上げ屋がやって来て、店子を追い出すために家に火をつけらりたりしていました。バブルが弾けてこの流れも終息しました。半分くらい減りましたが、今は雑草の如くまた少しずつ増えつつあるそうです。どこもかしこも新しいビルが出来て、取り澄ました店が出来ますが、ゴールデン街のこの地域は「昭和」の遺産として、それ以上に世界遺産として残してもらいたいものです。作家・中上健二もこのゴールデン街で殴り合いの喧嘩をしています。昼間は文化人の顔をもっていますが、夜ゴールデン街に来ると、みな野生がもどって夜毎立ち回りを演じます。文化人ですらそうですから、一般人はもっと過激にこの地区で昼間では表現できない怨嗟をおらびあげていたことでしょう。
アインシュタインの公式でエネルギーは質量と光速度の二乗であるというものがあります。はたと思いつきました。時間とはエネルギーとは逆等価であると。エネルギーが充満すると時間は遅くなり、エネルギーが枯渇すると時間は高速度になるのではないかと。人が死ぬほどの危険な目にあったとき、瞬時に彼の一生を俯瞰するといいます。彼が40歳なら40年分の人生が1,2秒に凝縮されていますが、彼の脳の中では40年間分がゆっくりと流れているのです。死を眼の前にするとエネルギーが噴出するのではないでしょうか。歳をとれば一年が短くなるような感じがしますが、これもこの公式で説明できます。子供はエネルギーが漲っていますから、時間の流れは遅いのです。年寄りはエネルギーがあまりないのですから時間は早く過ぎ去ります。
好きなことをやっているとあっという間に時間が過ぎてしまうというのも、この公式で説明できます。好きなことをやっているときは実は時間はゆっくりと流れているのです。好きなものにはエネルギーを充満さしているからです。それが終わると、その時点でエネルギーは極端に減っていますから、それを思い返すと短く思えるのでしょう。
もっとわかりやすく言うと、時速80キロで走行する自動車に乗っているとして、時速90キロの自動車が並行して走っているとしたら、徐々にその自動車に追い抜かれてしまいます。ところが歩いている人と時速90キロの自動車ではあっという間に追い抜かれます。時速90キロが時間であり、自分のエネルギーを高めると時間を追尾できますから、時間が遅く感じられるのです。歩くだけのエネルギーではあっという間に時速90キロの自動車は追い抜いていきます。