[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
カレーが全世界に広まったのもイギリス人がインドでカレー料理に接し、自国に持ち帰り、またインド人を奴隷や使用人としてアメリカ大陸やアフリカ大陸に運び込んだことでその地にカレー料理が根付いたことによります。日本では明治時代、仮名垣魯文の「西洋料理通」(1872年出版)に「カレーの作り方」が載っているそうです。これは1861年のピートン夫人の料理書からの剽窃だとは言っていませんが、「よく酷似」していると言っています。明治時代は今の中国と同じで、著作権などお構いなしに西洋の事物を吸収していたのでしょう。今日もニュースで中国の食品会社が腐った鶏肉をミンチにしてチキンナゲットを作っていると報じられています。かつて日本でもアメリカに輸出した缶詰に小石を入れていたということもありました。いつの時代でも後進国はなりふり構わず金儲けに邁進していて、明日の評判よりは今日の現金を目指していたのでしょう。
昨日私はカレーを作りました。牛肉、たまねぎ、人参、ジャガイモの極普通のカレーです。夏の暑いときはカレーを食べたくなる時があります。子供時代兄弟と競ってカレーをほうばっていた時期を懐かしく思い出します。大鍋で作っていたカレーが一気になくなるのを見て、私の母親は充実した気持ちを抱いていたものだと推察します。それもあっという間に母も父も兄弟もなくなり、たった一人の妹しかいなくなりました。一人で食べるカレーはそれなりにうまいのですが、あの子供時代の、母のよそってくれたカレーを目の前にして、口にツバを一杯にした情熱はもはやありません。
「華麗なる カレーを食べても いま一歩」(正笑)
山陰本線そのものが野村正樹のサラリーマン人生と瓜二つであると言っています。ということは表の山陽本線に乗れなかったということになります。そこにはやり手の人材がいて、テレビの宣伝などで華々しく活躍していました。野村正樹は同じ宣伝課で雑誌とかといった地味な宣伝を担当していました。そのやり手の当の本人から、「俺は日の当たる道を走っているが、君はゆっくりと日陰の道を歩く人生だな。俺の人生が山陽本線ならば、君は山陰線かも」と言われています。喧嘩にならなかったのは野村正樹が相手の実力を認めていたからでしょう。日陰の人生であろうとも、「人の行く 裏に道あり 花の山」と思い、何も超特急で人生を突っ走るのが正しい人生であると考えなかったからによります。入社が京都で定年が下関、野村正樹は定年まで会社に残らず、彼が50歳の時に作家として独立しています。山陰本線でいえば益田あたりになるでしょう。益田からは山口線が連結していて、わき道に入ったことになりますが、山口線はやがて新山口で新幹線とつながります。野村正樹も試行錯誤しながらも推理作家として、新幹線につながったことで何とか食える作家になったのでしょう。可もなく不可もなくサラリーマン人生を続ければ、山陰本線で終着駅の下関にたどり着くのですが、野村正樹はそのようなサラリーマン諸氏に、関門海峡を潜れば、次に九州があるのだと鼓舞し、本州が此岸なら九州は三途の川を渡った彼岸であり、仕事がなくなり一個人に帰っても、また、いままでにもまして夢のような「新しい旅」は続くのだと言っています。
映画俳優のオードリー・ヘップバーンが痩せているのは少女期飢餓で苦しんでいたことが原因であるということがわかったような気がします。彼女はオランダの出身で、子供時代第二次世界大戦の末期に当たります。オランダの鉄道員のレジスタンスとそれに対抗するドイツ軍がオランダへの物資の輸送を阻止したからです。「飢餓の冬」で2万人もの人が飢えで死んでいます。「チューリップの球根」をすりおろしてパンにして焼いたということまでしています。叔父と従兄弟が銃殺されるのを眼の前で見ています。
「戦争を経験して、逆境に負けない強靭さが身につきました。また、戦争が終わって、もどってきたもののありがたみをつくづく感じました。食料、自由、健康、家庭、そして何より人の命に、深い感謝の念を抱いたのです」と、彼女は言っています。ローマの休日でのオードリーの天衣無縫の王女様の役柄とはまったく好対照の地に着いた物言いです。
戦争では日本が作った泰麵鉄道では「枕木一本に人の命一つが失われた」と言われています。捕虜やら地元人をあわせて10万人ほどがこの鉄道の建設で死んだということです。映画「戦場にかける橋」のクワイ河マーチのメドレーが私の頭に流れています。ここでは日本は悪役にされていますが、ミッチ・ミラー楽団の口笛のメドレーを聴くと戦争などするものではないと思ってしまいます。人の喧嘩もそうですが先に手を出した方が悪く言われます。今回の戦争ではいろいろ事情はあるでしょうけど、満州国を擁立したあたりから日本はおかしくなってきたように感じられます。列強諸国がやってきたことを日本も真似てやったのですが、どこかで歯止めがきかなかったかと悔やまれてなりません。
日本は大陸の文化の吹き溜まりであるように、人間も同じことであります。大陸からの「落ちこぼれ」が縄文時代と弥生時代に二度にわたってやって来て、それほどの軋轢を起こさないで、ということは相手を絶滅に追い込まないで、生活していたということになります。だから日本の男のY染色体には縄文系の二種類と弥生系の二種類が仲良く存在しています。ところが大陸では現在日本人男性の四種類のY染色体はなくなっています。駆逐されたのか絶滅されたのでしょう。だからY染色体を見ると世界史がわかるということになります。モンゴルのユーラシア大陸制覇はチンギスハンのY染色体の拡散でわかり、植民地時代にはヨーロッパ民族のY染色体の拡散でわかります。言葉は悪いが、勝ち誇った男たちは負けた男たちの国の女たちを強姦したということになります。その点日本では同じ「落ちこぼれ」である故にそれほど対立が先鋭にならなかったのでしょう。
私は手相の説明でいつも言っていることですが、この本でも人差し指と薬指の長さの違いで男度、女度を示しているということを言っています。胎児期に「アンドロゲンシャワー」が多いと薬指が長くなるのです。男性になるためのホルモンが薬指を長くするのです。もともと女が「原型」でそれから男が作り出されていきます。脳でも男性ホルモンによって男脳に変化していきます。
Y染色体はもともとX染色体と同じ長さのものであったものが、段々短くなって、そのうちなくなるだろうと予測があります。もともと男は余談なもので、ウィルス対策でできたようなものです。感染しないために多様性なることで男性が必要だったいうことです。ワクチンがウィルスにあわせて作れるならもはや男など必要ありません。女にとって、めんどうな性交などして子供を作るなど鬱陶しい限りです。そのうち女だけで子供を生むようになるでしょう。
老人は荒野を目指すといった心境になっています。日本には文字通りの荒野はないかもしれませんが、人工的なものが乱立都会こそ、人間が密集する荒野だと考えられます。都会でなくてもひなびた温泉地であろうとも、毎日同じことをしているところから脱出したいという気持ちで一杯です。老人は長く生きているから、毎日生きていることすらうみ疲れを感じます。リフレッシュするために違った場所にいることが必要だと思います。いつものパターンを変えてこそ、心の垢が落ちるような気がします。それも費用は安く、です。一日2300円の青春切符一枚で、「片道141キロ以上、往復71キロ」でもとが取れるということになっています。単純に計算すると、時速50キロの列車に24時間乗っていると、1200キロの遠くまでいけることになります。これでは日常生活以上に疲れるでしょう。そうまでもしなくても広島から少し離れたところに行けば、気持ちがさわやかになるでしょう。何事もプロは飽きることを知らないでそのものに集中する能力がありますが、私はすぐ飽きるので、たとえ長く生きていても人間の素人だと思います。将棋のプロも強い将棋ソフトができて、自分の存在を脅かされそうになっています。一概にプロがいいとはいえないような状況になっています。才能がふんだんにあればいいのですが、ない才能で一つのことでプロになってみても、つぶしがきかないようではなんとも惨めな状態になります。そうはならないためには若い頃からあちこちらフラフラするのがいいのかもしれません。