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ダーウィンの性淘汰論が1871年、アインシュタインの相対性理論が1905年です。たった30年ちょっとの差しかないのです。ダーウィンの思想は古色蒼然としたものに感じますが、数年間はアインシュタインと同じ時代に空気を吸っていたことになります。1882年ダーウィンは心臓発作で死にます。アインシュタインは1879年に生まれています。
ダーウィンは一生これといった職業に就いていません。親の残してくれた遺産で貧乏することなく過ごしています。なおかつその遺産を株などに投資して増やしているほどです。青春時代、親に見習って医者になろうとエジンバラ大学の医学部に入りましたが、麻酔なしの子供の手術を見て、医者になるのが嫌になったそうです。兄もケンブリッジ大学の医学部にいましたが、卒業することもなく、ロンドンでアヘン中毒になって死んでいます。何もしなかった兄に比べて、ダーウィンは親の莫大な遺産がもたらした自由時間を有意義に使い、学問の一分野を打建てました。
私も若いとき宝くじでも当たって、一生困らないだけのお金が手に入ったら、何をしていただろうかと考えます。たぶんダーウィンの兄のようになっているでしょう。「小人閑居して悪を為す」という典型的なものになっているでしょう。いまもしジャンボでも当たって何億も入ると、もうあとがないのですから、狂ったように遊びまくるでしょう。しかしよくよく考えると、遊ぶのも時期があります。こうも体力を落ちてしまうと日に10万円ほどの遊びでも死んでしまうかもしれません。当たろうが当たるまいが、今のペースを崩してしまうと途端に体調がおかしくなりますから、相変わらず店でかぼちゃを炊いていることでしょう。根っからの貧乏性に生まれついているようです。
ダーウィン家とウェッジウッド家は代々関係が深く、ダーウィンはウェッジウッド家のいとこになる女性と結婚しています。ウェッジウッド家は陶器製作で財を成し、ダーウィン家よりも数倍金持ちの家です。結婚相手のエマはショパンにピアノを習っていたということですから、どんな大金持ちかがわかるでしょう。近親結婚の弊害から、10歳で、長女アニーが原因不明の病気で亡くなっています。カネがあればすべて幸せとは行かないようです。
漱石が死ぬまで住んでいた家は貸し家で、家賃は月35円。敷地は340坪で、今から考えると何と広い庭付きの家なのでしょう。漱石の、縁側で籐椅子に座った写真も残っています。この庭には死んだ猫を埋めて、猫の墓もありました。永井荷風の生家も牛込に1000坪もあり、半分の500坪を子爵入江為守に売ったとあります。後の半分と家もその後売り払ってしまいます。荷風の若い頃、落語家にならんとしたりして、正業につかぬ荷風に落胆した母親が、長男の荷風に相続させたくないと思い、蔵に密かに隠していました。それを荷風が見つけ、もはやこの家には住みたくないと思ったのでしょう。すべてを売り払って、麻布に偏奇館を作ります。ペンキを塗った外観ですから、洒落でそう名前をつけたのです。夏目の、貸家だとはいえ340坪の土地付きの家、荷風の、1000坪の敷地、明治の上流階級は広々とした空間に住んでいたということです。明治維新後大名屋敷がそのまま、時代の新しい覇者に乗って替わったといえましょう。時代が少し下って、寺田寅彦になると、少しは我々に近づいています。が、敷地は「189坪で床面積69坪」とあり、女中部屋もあり、やはり東京帝大の教授にふさわしい家といえましょう。漱石のように貸し家ではなく、土地も家も自分持ちです。現代のマンションのようにセキュリティが厳重ではなく、裏木戸から乞食が入ってきて、お金の無心をしたということを随筆に書いています。
反対に家で苦労したのは石川啄木です。恒産ないものが文学に打ち込むと、悲惨な目に会います。早く死んでよかったかもしれません。
私の記憶も漫才師・夢路こいし・喜味こいしのようになってきています。昔のタレントの3人娘の一人の名前を呼び起こすために、森進一のかつての嫁さん・森昌子を言い、おかしな宗教に入った桜田純子を言って、で、最後の女の子の名前はなんじゃったかいの?とお客さんに尋ねたものです。「百恵ちゃんでしょう」と言われて、やっと思い出したものです。しかし「百恵ちゃん」はわかりましたが、苗字が出てきません。苗字は次の日別のお客さんから言われて、やっと胸のつかえがおりました。二日もかけてもフルネームが思い出せないことに愕然としました。正真正銘の老人になったことを自ら認めないといけないようになりました。この本にも書いていますが、「老人はガクンと急に弱る」原因はこのように、たかが人の名前を思い出せないことでも、それを目の当たりにすると「自信」を失ってきます。私もこれで一挙に10年も歳をとりました。目がうつろになって、鏡を見ましたが、余り長くはないなと感じました。とうかさんの初日にも、安否確認できたお客さんもいます。がんばって長生きしてくださいと励まされました。生後六ヶ月で来た女の子もいまや小学5年生になって、店のパソコンでゲームして遊んでいます。月日のたつのは早い。おまけに低気圧の状態では私の三半規管ではうまく調整できなくて、新幹線がトンネルに入ったときに起こる症状・耳がつまったようになっています。私の細胞も分裂回数の限界がきているのでしょう。テロメアという分裂の回数券がなくなってきているようです。
最近私も使った「埒(らち)があかない」という「埒」は「馬場の柵」のことです。祭りなどで柵などをもうけて、その柵をあけると祭りの場に入れるということからきています。
「どさくさ」は昔の流刑地「佐渡」をさかさまにしたものです。行きたくない場所で、「どさ回り」も「佐渡」を示しています。
「とばっちり」は「ほとばしる」からきていいます。
「どんちゃん」は想像通り、太鼓と鉦(かね)です。「てんてこ舞」は小太鼓の軽快なリズム。
「ちゃきちゃきの江戸っ子よ」のちゃきちゃきは「嫡々(ちゃくちゃく)」の漢字ですから「正統」「嫡男」の意味になるのです。
「がたぴし」は仏教語の「我他彼此(がたひし)」で、「自分と他人、彼岸と此岸」といった対立するものをいっています。仏教関係からは、「伽藍」が客の入りが少なくて「がらん」としていたという「がらん」のもともとの意味です。「ごたごた」は鎌倉時代南宋から呼ばれた僧・兀菴普寧(ごつたんふねい)の説教のわかりにくさからきています。「おあいそ」勘定をしてくれとは仏教語の「愛相」のことで、「愛らしい様子」が「愛想」になり、「愛想を振りまき」になり、それが過ぎると「愛想尽かし」になり、「尽かし」が抜け落ちて「お愛想」が「これっきり」の意味になり、「ご勘定」になったということです。「タンカを切る」のタンカは「維摩経」の「弾呵」で意味は「誤りを正し、叱る」ということです。「あうんの呼吸」の「あうん」はサンスクリット語の最初の文字と最後の文字をさしています。「オシャカになった」のオシャカはお釈迦のことで、飾り職人が金属を溶かすときに失敗して、「火が強すぎた」が江戸っ子のなまりで「シが強かった」になり、「しがつようか」になり、4月8日は御釈迦さんの生まれた日で、「オシャカ」になったということです。「粗相」も仏教語の「麁相」からきています。要は人間は煩悩のかたまりだということです。「放蕩三昧」の「三昧」はサンスクリット語の「サーマーディ」で「不動の境地に至る」という意味です。放蕩も三昧に至れば、悟りに達するかもしれません。
キリスト教からも「目からウロコが落ちる」というものがあります。新約の「使途行伝」からです。
飛行機が自動車より死亡の確率が低いといっても、地上から1万メートルの上空からおっぽり出されるとどうあがいても助かりそうもないし、地上に激突するするとグチャグチャになると思うと、確率だけでは安心できないものがあります。御巣鷹山に激突した日航機の機長と副機はよくがんばったと思います。油圧系統が破壊されて、方向舵などが吹っ飛んだ機をエンジンの噴射のコントロールだけであそこまで持っていったのですから。この事故でタレントの坂本九が死んでいます。嫁さんの柏木由紀子のインタビューは涙をそそりました。今は娘二人、それに孫までできて幸せそうです。この事故からもはや30年近く経っているのです。月日の流れは早い。機長の「あー、だめだ」というボイスレコーダーの声がいまだに私の耳には残っています。
1903年にライト兄弟が飛行機を飛ばして、この百年ちょっとでこんなに進歩するとは誰もが予想できなかったでしょう。いまや無人機もでき、コンピューターで操作できるのです。飛行機自体もコンピューターで自動運転ができます。笑い話ですが、グーグルのマップを作るための無人車が公開されています。無人での事故率は0%、人間が操作したら事故をしてしまったそうです。そうかといって何百人もお客を乗せている飛行機に機長や副機長がいらないとはいえません。コンピューターが対処できない緊急時には人間の力が必要となります。「想定外」は何らしかあるので、コンピューターではすべてを網羅できません。人間の力ではこのような事態に対処できないかもしれませんが、最後まで何とかしようとした努力を示して、関係するすべての人々の納得を得ようとしているのでしょう。
随筆家で有名な寺田寅彦も航空機事故調査に加わっています。「災難雑考」でその様子が書かれています。バラバラになった破片を集め、その壊れ方から、原因を推定し、なおかつ風洞実験をして確かめたそうです。
星の王子様の作者・サン・テグジュペリは飛行気乗りであり、「航空郵便ラテコエール」の操縦士なり第二次世界大戦ではアメリカ製の偵察機に乗り、1944年地中海に墜落し死んでいます。歳だから地上勤務に変えたらと言われていましたが、根っからの飛行機好きで、飛行機を棺おけにしたということで、人生を全うしたのでしょう。