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会社を立ち上げ、成功し、70半ばで相談役に退き、2013年、御褒美として、豪華客船飛鳥で世界一周の旅に出て、その徒然を書きとめたものです。高いもので、一人、23000000円、安いところで3900000円もかかります。105日間のクルーズで、船の中に従業員が470人、お客さんが500人、王族のような気分が味わえます。またオプションがあって、その土地その土地で、バスに乗ったりして見学ツアーもあります。その都度費用がかかりますから、船賃とはいかないまでも、また何百万円もかかるのでしょう。私がした三泊三日の格安ソウル旅行とはエライ違いです。5,6万でも高いと思っている私なのですが、世の中には何千万円出してもゆったりと旅行する御仁がいるのを知って、いかに私が小物かと納得した次第です。私にはこのような豪華なクルーズツアーはできませんが、それを行った人の書き物を通して、タダで再体験できます。船で出された端午の節句の粽は食べられませんが、彼が撮った写真で食べた気になります。
何と私はチープで費用のかからない人間なのでしょうか。船のプールで若いインストラクターの女性とこの著者とが写っている写真を見て、私も海水パンツの中で久しぶりで隆起したものを想像してみました。そうかといってマンションを買えるほどの大枚をはたいてクルージングに行こうとは思いません。
長見さんは呉の蒲刈町出身です。実家は回船業で、母を5歳の時に亡くし、母の妹の叔母に育てられました。
彼が仕事で成功したのはうまくITのさきがけを取り込んだことによります。後にコンピューターソフトの開発を担う会社になります。時代の先端をいつも行っていたということです。こういう次第ですから、訪れたローマの地で、イタリア人に苦言を呈しています。
「減価償却が済んでしまった住居に住みながら、世界遺産として過去の遺産に頼ることなく、富を生み出すために潜在能力を活性化すべきだとおもいます。何せこの街の合言葉がマンジャーレ(食べて)、カンターレー(歌って)、アモーレ(愛して)であります」
この後何も書いていませんが、私が推度するには、食べて、歌って、愛してだけではダメで、知恵を絞って、何かイノベーションを作り出さないといけないということではないでしょうか。これはイタリア人だけではなく、日本人にもいえることです。
会社を立ち上げ、成功し、70半ばで相談役に退き、2013年、御褒美として、豪華客船飛鳥で世界一周の旅に出て、その徒然を書きとめたものです。高いもので、一人、23000000円、安いところで3900000円もかかります。105日間のクルーズで、船の中に従業員が470人、お客さんが500人、王族のような気分が味わえます。またオプションがあって、その土地その土地で、バスに乗ったりして見学ツアーもあります。その都度費用がかかりますから、船賃とはいかないまでも、また何百万円もかかるのでしょう。私がした三泊三日の格安ソウル旅行とはエライ違いです。5,6万でも高いと思っている私なのですが、世の中には何千万円出してもゆったりと旅行する御仁がいるのを知って、いかに私が小物かと納得した次第です。私にはこのような豪華なクルーズツアーはできませんが、それを行った人の書き物を通して、タダで再体験できます。船で出された端午の節句の粽は食べられませんが、彼が撮った写真で食べた気になります。
何と私はチープで費用のかからない人間なのでしょうか。船のプールで若いインストラクターの女性とこの著者とが写っている写真を見て、私も海水パンツの中で久しぶりで隆起したものを想像してみました。そうかといってマンションを買えるほどの大枚をはたいてクルージングに行こうとは思いません。
長見さんは呉の蒲刈町出身です。実家は回船業で、母を5歳の時に亡くし、母の妹の叔母に育てられました。
彼が仕事で成功したのはうまくITのさきがけを取り込んだことによります。後にコンピューターソフトの開発を担う会社になります。時代の先端をいつも行っていたということです。こういう次第ですから、訪れたローマの地で、イタリア人に苦言を呈しています。
「減価償却が済んでしまった住居に住みながら、世界遺産として過去の遺産に頼ることなく、富を生み出すために潜在能力を活性化すべきだとおもいます。何せこの街の合言葉がマンジャーレ(食べて)、カンターレー(歌って)、アモーレ(愛して)であります」
この後何も書いていませんが、私が推度するには、食べて、歌って、愛してだけではダメで、知恵を絞って、何かイノベーションを作り出さないといけないということではないでしょうか。これはイタリア人だけではなく、日本人にもいえることです。
写真集かと思いましたが、イラストです。欧米の俳優とかミュージシャンとかモデルとかをイラストし、軽いエッセーを添えたものです。やはりここに出てくる古い美女は知っていますが、最近の美女はさっぱり見当も付きません。古い美女も今では60,70,80もなっていることでしょうから、昔のおもかげはないでしょう。中には死んでいる人もいます。マリリン・モンローは30代の一番旬の時に死んでいますから、美女の残像は永遠に残っています。ソフィア・ローレンは今では80歳になっています。いまだに「胸の開いたドレス」をきて、あの豊満な胸を見せびらかしているようですが、彼女が言っていることは含蓄のある言葉です。
「40をすぎた女性の立つ位置は、その人が若い女の子を見る目でわかる。ちゃんと生きた女は彼女たちをかわいいと思えるが、そうでない女はその若さに嫉妬する」
これは女だけには限りません。男もそうです。
「自信のない美人は自信をもった醜女より美しくないもの。自信を持てば美しく見えるんだ」
YOU TUBEの中でTEDの一つに、エール大学かコロンビア大学かの大学院に入ったばかりの女性が自分が研究者として不適合ではないかと心配していましたが、しかしその場所に居つづけることでそれなりに研究者としての風格が育ってきたと言っています。つまり能力とか美人とは思い込みそのものだということです。そう思い続けることが、論文の生産を上げ、美人だって自分がそう思えば、他人もそう思ってくれるということです。だから阿呆もしこめも自分がそう思うからそうなのであって、そう思わなければ世の中すべて賢者と美人になることができます。
そうかといって賢者と美人ばかりでは少々退屈します。やはり多様性があったほうがいいと思いますが、時には賢者も美人も阿呆になったりブスになったりしたら面白く人生を過ごせるのではないかと考えます。
私の朝食は7時ころから8時頃までに食べます。ご飯、味噌汁、鮭か干し魚、塩こぶ、、味噌汁がないときは、ご飯に納豆、海苔、ソーセージなどを繰り返し食べています。このパターンはここ20年間変わりません。休みの日にはあと5時ごろに夕食をとるだけで、日に2回しか食事しません。仕事をしているときは、昼過ぎに店で菓子パンを食べながら、コーヒーを飲み、5時ごろに店で出来たものをちょっと食べ、あと10時ごろに食パンを齧ったりしています。
ソウルに旅行をしたとき、ホテルでの朝食は粥か、トーストにコーヒー、ゆで卵かでした。アジア圏では粥が多い
この本では特に欧米の文献から朝食の記述を抜き出して、解説しています。古いところではトロイア戦争から10年後のギリシャのイタケ島でのオデュッセウスが食べた朝食です。その中身は昨日の晩の残り物のあぶり肉とパンとワインです。聖書にもイエスが漁師のペテロらに網の打ち方を指示し、魚を取り、水辺でパンと焼いた魚を食べています。いずれにしても朝早くから凝った料理はしていないということです。古代ギリシャでは朝食のことをアリストン(ariston)といい、ariは現代ギリシャ語のeriに照応し、つまりこれは英語ではearlyになり、「早い食事」を意味しているのだということです。ギリシャ語も英語もサンスクリット語もインドヨーロッパ語族に入り、何かしら似ていることになっているのでしょう。
「忠臣蔵」の話は何ら目新しい話はないと思いましたが、驚愕の真相が隠れていました。徳川幕府そのものがあだ討ちを後押しし、吉良家の殲滅を図ったということです。その根拠は、四十七士の赤穂浪士の内、16人も江戸城の足下、半蔵門の先の麹町に潜伏しています。半蔵門の先に潜んでいたということは、今で言えば「過激派が警視庁のすぐ裏をアジトにしていた」ということになります。このことは幕府と赤穂浪士は裏では通じていたということになります。吉良家ももともと江戸城近くにありましたが、松の廊下事件後、江戸城から離れた本所に移転を命じられています。まさしく江戸城の近くであだ討ちは具合が悪いので、遠くでやってくれということです。おまけに赤穂浪士が吉良家を襲った後堂々と夜間には締められる木戸を通り抜けて、高輪の泉岳寺に帰っています。町々の木戸は犯罪者の移動を封じ込める役割をしていますが、赤穂浪士が通るたびに木戸が開けられたということは、上からの指令があったということになります。この高輪の泉岳寺は徳川幕府の祖廟であり、赤穂浪士は切腹斬首のあと、この寺に埋葬されました。ということは赤穂浪士たちの振る舞いを公認していたということになります。
徳川が日本の覇者になる前、徳川家と吉良家は愛知県矢作川を挟んで隣同士だったのです。川の利用で昔からもめていました。吉良家は足利から血を引く名門であり、朝廷との太いパイプをもっています。どこの馬の骨ともわからぬ徳川の田舎侍とは違うのです。ところが運よく徳川が天下を取ると、吉良家は「高家」として取り立てられます。かつての「征夷大将軍」の系譜を引く吉良家は徳川にとって利用価値があったのです。吉良家を通して「征夷大将軍」を授かると、すぐに家康は引退し、息子にその地位を譲ります。この称号は徳川の連綿と引き継ぐという慣例を作ったのです。ここまで来ると、もはや吉良家は不用になります。それ以上に、いては具合の悪い存在になりました。ちょうどいい具合に松の廊下事件が起こり、吉良家の取り潰しにかかります。吉良家の嫡男は「父親を守りきれなかった」という理由をつけて流罪、この事件から3年後死んでいます。一方浅野家は復活し、赤穂浪士の息子たちは諸藩に召抱えられることになりました。