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デブライン系列とか、ギルブレスの原理、マンデルブロー集合といわれても何かなんだかさっぱりわかりません。カードマジックでは一定の法則でセットされたディックをよく使います。たとえば簡単なものでは、3差ことにクラブ、ハート、スペード、ダイヤと重ねたディックがあり、カットしたところから相手に選ばさしたカードを、ディックの底を見ることによって、そのカードをあてるというマジックがあります。何度カットしても、カードの並び法則は消えないので、何度でもカードを当てることができます。カードの名人になると、4枚のエースをディックの上に重ねておき、フリルシャッフルするごとに、その4枚のエースを特定の箇所にセットできることが出来ます。そうしておいて、カードを配れば、マジシャンのところにだけ、エースが集まってくるようなことも出来ます。このような技術はいかさま賭博にも使えますし、マジックにも使えることになります。人生楽しく過ごすためにはマジックで使ったほうが断然いいでしょう。いかさまなどをしてはトラブルのもとです。エースが一度に4枚集まるという確率は何万年に一回あるかないかでしょう。それが度々出るようではいかさまというのがすぐわかります。
数学やマジックの本を出しているマーチン・ガードナーは本来は哲学の先生だと、この本で知りました。
「マーチン・ガードナーは、何十人もの無邪気な子供を数学の教授に変え、何千人もの数学の教授を無邪気な子供に変えた」
なかなかいい文句です。マーチン・ガードナーは、ある若者のハーバード大学の入学の推薦文を書いています。
「私は数学についてはそれほどわかっていないが、この若者がこの10年間で最高のカード・トリックを二つも考案したしたことはわかる。彼には進学する機会が与えるべきだ」
これによって若者は入学でき後にハーバード大学の教授になっています。
暗記中心の日本の大学入試では、現況の日本の行き詰まった状態を打破できるような人材は育たないのかもしれません。ある程度は基礎は必要でしょうけど、それ以上に物事を新しく見る力とか、新しい発想が出来る人間が今からは是非とも必要です。
東農大の醸造学科は慶応大のお坊ちゃんよりもっとお坊ちゃんらしいお坊ちゃんが入ってきます。何しろ日本中の造り酒屋のボンボンが入ってくるからです。近畿からきたお坊ちゃんは執事と飯炊きのおばあさんがついていました。造り酒屋は地方では名手ですから、政治家になったり、親の裕福な財産で遊学して学者になったり、文学者になったりする人が多い。中には裕福から貧困に転落した人もいます。俳句の種田山頭火の酒造は破産しています。小泉先生は発酵学の博士になり成功した部類に入ります。種田山頭火のようにノイローゼになっては何事も人生ではうまくいかないようです。その点小泉先生は酒を愛し、缶詰を愛し、駄洒落をめでて、人生楽しく暮らし、この本も実に嬉々として書いていたということがよくわかります。私が思わず笑った箇所を抽出しておきましょう。
「なんとなく、体がイカの缶詰の中のタウリンを要求して、肝臓を保護していたのかもしれません。とにかくイカの丸煮缶は私をイカしてくれたというか、良かった(イカッタ)缶詰でしたねぇ」
「それ以降、学生の身だというのに、月に一、二度はアン肝の缶詰を買ってきて、実家の酒蔵から送らせた酒を燗にして、その肴にしていました。小さなスプーンで取ってアン肝をペロロンと舐めては、熱燗をコピリンコと飲む。こうして、ペロロン、コピリンコ、ペロロン、コピリンコ、コピリンコ、ペロリンコと飲んだ(やった)わけです。実に美味かったですなぁ」
「ホワイトアスパラガスを切り揃え、食塩と砂糖を加えて水煮にしています。そこからゆっくりと、甘味と特有のうまみを放ってくれます。そして、ああ、美味しいな。うれしいな。アスパラを食べて、明日(あす)パラダイスだ!と、まあ、そういうことになってくるわけです。」
「当然、モモの缶詰のシロップもまたうまくて、ハァァ~うめぇ、ハァァ~うめぇとため息をつきながら、味わっていました。桃色吐息というのはあそこからきたのかもしれません」
このようなオヤジギャクばかりではなく、本格的な教養も出しています。牛と豚とでは中国人にとってはどちらがえらいかという問題です。もちろん豚です。豚の豕に屋根を示す・うかんむりをつけると「家」になりますが、牛にうかんむりをつけますと「牢」になります。要は牛は柵のある牢屋のようなところで飼い、豚は家の中で飼うということで、断然豚さまさまなのです。
異民族の清朝に支配された中国人は買春のために長崎に危険を犯してやってきました。明代には中国にも遊女がいたのですが、清朝になって禁止されます。カネがあって閑を持て余している金持が日本に海路はるばるやってきたということです。
「快楽は 命もなんのその 千里飛ぶ」(正笑)
唐船はこのような酔狂な金持を運んでいたばかりではなく、砂糖、絹糸、書籍などを運んでいました。日本からは銅を持ち帰っていました。銅銭鋳造のために日本の銅が必要だったのです。いくら中国は広いとはいえ、銅は中国ではあまり産出されていません。この当時日本が銅の産出では世界一だそうです。
南蛮船も来ていましたが、オランダ人の彼らは日本の小判・即ち金を目当てにやってきています。当時日本と中国とでは銀で決済していましたから、金は銀よりも価値が下だったのです。金の流出で幕府は小判の金の含有量を少なくします。もちろん文句が出ました。
長崎の唐人屋敷と同じように、朝鮮の釜山にもこれと似た「倭館」というものがありました。豊臣の朝鮮出兵のことを教訓に、日本人の朝鮮での自由な行動を規制して、倭館に閉じ込めていたのです。日本では遊女は唐人屋敷に行き、商売が出来ました。ところが朝鮮ではそれらが一切禁止されていました。ところが倭館で朝鮮人の女を入れて一緒に住んでいるのがわかって、大問題になります。倭館ではこの日本人をこっそり日本に帰しましたが、朝鮮の女はその後捕まり、首を切られ晒されています。
そうかといって日本の遊女も唐人や南蛮人を好き好んで行ったわけではありません。日本人相手の遊女が一番位が高く、つぎに唐人、最後が南蛮人(オランダ人)となります。唐人はよく遊女に砂糖とか、飾り物とかを与えていたそうです。唐人屋敷を出るときには番所で検査があります。密貿易の禁止です。川柳で「丸山に珊瑚珠を生む女あり」というものがあります。遊女が贈り物の珊瑚珠をあそこに隠し持って出ようとしたのです。やることは今も昔もかわりありません。麻薬密貿易も同じことをやっているでしょう。
イタリアの意味は「子牛がたくさんいるところ」だそうです。インド人は自分の国を「バートラ」と呼んでいます。中華人民共和国の「人民」と「共和国」は明治に日本人が考え出した漢語です。古代中国が日本のことを「倭国」と呼んだのは、謁見された日本人が「われ」と言っていたからだという説があります。中国の名の変遷は、まず秦があり、サンスクリット語で「チーナスタン」、それがなまって、「支那」や「チャイナ」になったということです。朝鮮は古代「高句麗」があり、それが「高麗」、「コリア」に変わっていったということです。
日本の地名の由来も、「陸奥」は「道の奥」のことであり、「毛野」は「草が多い」ことで、「武蔵」とは「むさくるしく草深い」という意味から来ています。戦艦武蔵もこれを知ると少しも強くないような気になります。「相模」は「坂見」で「傾斜地」をあらわします。「若狭」は読んで字の如く「狭い土地」、「美濃」は「三野」で「広い野原」、「三河」も「三つの川」、「大和」は「山の近く」、「紀伊」は「木が多い」、「吉備」は穀物「黍」、「隠岐」は「奥」、「出雲」は「雲が立つ」。「安芸」は「魚に由来」と書いていますが、何の魚なのでしょう?
ほとんど読めない難解地名を記しておきましょう。「斑鳩」(いかるが)「我孫子」(あびこ)「各務原」(かがみはら)「匝瑳」(そうさ)「宍粟」(しそう)。福岡県の京都郡(みやこ)山門郡(やまと)。「鹿角」(かづの)「新発田」(しばた)「羽咋」(はくい)「四条畷」(しじょうなわて)「門真」(かどま)「交野」(かたの)「香芝」(かしば)「養父」(やぶ)「朝来」(あさご)。京丹後市にある「間人町」(たいざ)、ゆわれは聖徳太子の生母・間人皇后(はしうど)がこの地を去った、つまり「退座」したので、「間人町」を「たいざ」と呼ぶのだそうです。まるでパズルです。
イタリアの意味は「子牛がたくさんいるところ」だそうです。インド人は自分の国を「バートラ」と呼んでいます。中華人民共和国の「人民」と「共和国」は明治に日本人が考え出した漢語です。古代中国が日本のことを「倭国」と呼んだのは、謁見された日本人が「われ」と言っていたからだという説があります。中国の名の変遷は、まず秦があり、サンスクリット語で「チーナスタン」、それがなまって、「支那」や「チャイナ」になったということです。朝鮮は古代「高句麗」があり、それが「高麗」、「コリア」に変わっていったということです。
日本の地名の由来も、「陸奥」は「道の奥」のことであり、「毛野」は「草が多い」ことで、「武蔵」とは「むさくるしく草深い」という意味から来ています。戦艦武蔵もこれを知ると少しも強くないような気になります。「相模」は「坂見」で「傾斜地」をあらわします。「若狭」は読んで字の如く「狭い土地」、「美濃」は「三野」で「広い野原」、「三河」も「三つの川」、「大和」は「山の近く」、「紀伊」は「木が多い」、「吉備」は穀物「黍」、「隠岐」は「奥」、「出雲」は「雲が立つ」。「安芸」は「魚に由来」と書いていますが、何の魚なのでしょう?
ほとんど読めない難解地名を記しておきましょう。「斑鳩」(いかるが)「我孫子」(あびこ)「各務原」(かがみはら)「匝瑳」(そうさ)「宍粟」(しそう)。福岡県の京都郡(みやこ)山門郡(やまと)。「鹿角」(かづの)「新発田」(しばた)「羽咋」(はくい)「四条畷」(しじょうなわて)「門真」(かどま)「交野」(かたの)「香芝」(かしば)「養父」(やぶ)「朝来」(あさご)。京丹後市にある「間人町」(たいざ)、ゆわれは聖徳太子の生母・間人皇后(はしうど)がこの地を去った、つまり「退座」したので、「間人町」を「たいざ」と呼ぶのだそうです。まるでパズルです。