エピクテトス、55年ごろ生まれ、136年ごろ死亡。ネロの解放奴隷であったエパプロディトスに奴隷として買われた。エピクテトスの母も奴隷であった。エピクテトスは後に奴隷を解放され、ストア学の先生になった。足が悪かったが、エパプロディトスの虐待か、生まれながらのものかわからない。エパプロディトスはネロの自殺を幇助したことで、後に死刑になる。この人生談義は弟子のアリアノスがエピクテトスの講義を聞いて、要点を書き溜めたもの。
西欧ではキリスト教と関連付けてエピクテトスを論じていますが、この人生談義に出てくる神はギリシャ・ローマの神々であるようです。エピクテトスが生きていたころのキリスト教はローマ帝国に広がりつつもあるが迫害もされていました。一神教のキリスト教は多神教のギリシャ・ローマの文化とは合わないからです。やがてニーチェの言うところ、価値の転倒が起こり、弱弱しいものが強者のギリシャ・ローマのオリンピック競技者を打ち負かしたという歴史です。
「哲学する人の最初の仕事は何か。自分の思い上がりを捨て去ることだ。人が知っていると思っていることを学び始めることはありえないからだ」
ソクラテスが相手と対話することによって、相手が自分の知らなさ加減を知ることになるように、大概の人間はぼんやりした考えしか持たないものです。エピクテトスが言うように、哲学の最初は自分の無知さ加減を知るということになるようです。ここで初めて哲学の端緒につけるということです。