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大正9年(1920年)に三宅雪嶺の雑誌「日本及び日本人」という雑誌で、100年後の日本はどうなるかと、当時の識者にアンケートし、その答えを集めたものです。100年後といえば2020年でちょうど今頃です。当時の識者は四,五,六十代ですから、彼らから見ると孫の時代になります。いいところをついている人もいますが、ほとんど間違った推量をしている人もいます。大正9年は第一次世界大戦が終わり、景気が悪くなった時期です。日清日露と戦い抜き、第一次世界大戦は対岸の火事でしたが、これから先米国と事を構えることになるだろうという漠然たる予感が蔓延しつつありました。間違いの元は、日本のこの勢いをたのんで、やがて満州、シベリアを占領し、あまつさえアメリカのハワイ、それを越えて西岸地域までも日本の領土になるのだと言った人もいます。そこまでも思わなくても中国に進出し、膨張する人口を移植しないと日本のこのせまい領土ではやっていけないという考えの人が多いのです。当時の人口の急増から100年後には一億五千万人から2億人になるだろう予想しています。天皇は世界の盟主になるといったことまで予言していますが、残念ながら当たりませんでした。少数ですが、これと全く逆のことを言っている人もいます。
「次のことだけは断言することができる。もし現在のごとくわが軍閥が国論を無視して侵略主義を行なうときは、遠からず日米戦争を惹起し、その勝敗如何により、日本の百年後の運命は定まることになる。勝てば英国と相並ぶ大国となり、いよいよアジアの主人たるを得るけれども、負ければ日清戦争前の小日本に成り下がることになる。しからば、来るべき戦争において日本は勝算ありや。残念ながら私は結果を危ぶむ。私が多年侵略主義に反対しつつあるのはこれがためである」(法学博士末広重雄)
当時の日本の実力を冷徹に読みぬいています。いづれにしても欧米の圧力がのしかかってきていたということがわかります。アメリカの日本人移民の排斥などを知ると、大概の人は、 そこまで冷静でいられなくなります。
「百年後は世界の於ける銀色人種(白人)と金色人種(黄色)との大戦争これあるべく候。しかして、わが大日本帝国は、それまでにシナ国民をはじめ。あらゆる有色人種と融合和熟、一致団結して、この大戦争に打ち勝ち申すべく候・・・」(厳島神社宮司 高山昇)このような負けおしみを言いたくなるでしょう。