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井波律子 貴人と異才の中国史

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井波律子 貴人と異才の中国史


中国のテレビ番組で、二人の俳優が出て、一人は出稼ぎにきた労務者風、一人は上海の上流のお嬢様風が上海の街中で演技をし、隠しカメラでそれを見た通行人の反応を撮っているのです。お嬢様風が激しく労務者風のおじさんを面罵しているのです。お前はここにいるべきではない、早く田舎に帰れと。それを見た通行人はお嬢様風をたしなめていますが、はたと私は長年の疑問が解けたように感じました。たとえ共産国であっても、中国4000年の歴史を見ると、越えがたい階級差が歴然とあるのだということです。この前の魯迅もそうですが、たとえ地主階級でなくなっても、決してクーリーとなって人力車などひきません。もちろん魯迅は才能がありますからそのような肉体労働で金を儲けることはしなくてもいいのですが、魯迅の小説「孔乙己」の主人公は極貧になっても儒生の端くれであり、決して労働などしないのです。魯迅の二番目の妻も女子大出のお嬢様ですから、たとえ家計が苦しくなっても、女中を雇っており、炊事家事洗濯を任せていました。この本に出てくる清朝末期の革命家・秋菫も日本に留学しましが、子連れで、しかも子の世話をする女中までついて日本に来ています。肉体を使うきつい仕事を忌避し、それらの仕事は他人に押し付け、自分は好きなことをしていたいという階級が儒教によって確立されたのです。手っ取り早くは、科挙に受かり、役人になって賄賂で資産を増やす。科挙に受からなければ、官職を買ってこれも賄賂で買った分以上の儲けを出すことを企てる。それができなければ、小作から絞り上げることをしています。竹林の七賢者といえども、もともと資産があってそういうことができるのであって、なければ餓死するでしょう。中国が他国と違うところは、腕力よりも知力に重きを置いていることです。知的階級制度の唯一の国です。
顔氏家訓
「学問のあるものはどこに行っても心配ない。荒乱この方、多くの者が捕虜になったが、先祖代々、身分の低い出身者でも、論語、孝経の読み方を知っている者は、それでも人の先生になった。これに対して、先祖代々、貴族に家柄の出身でも、読み書きが不得意手な者は、皆田畑を耕し馬を飼育するほかなかった。この例から考えると、学問にはげまないわけにはいかない。つねに数百巻の書物を保有できれば,千年たっても身分の低い階層に落ちぶれることはない」
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