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周海嬰 わが父魯迅

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周海嬰 わが父魯迅


        周海嬰は魯迅と許広平との間に生まれた唯一の子供です。朱安とには子供が生まれませんでした。魯迅は50歳前後、許広平は大学生で20歳くらいですから不釣合いの夫婦だったのでしょう。許広平が30歳のころ難産で周海嬰を産みました。周海嬰が7歳の時魯迅は死んでしまいます。以後母親と苦労をともにし、共産国になって母親は魯迅の妻ということで高い地位にあがります。周恩来の陰の力もあったからです。周海嬰も魯迅の息子ということで北京大学の物理学科に入学でき、子供のころから鉱石ラジオを作ったりしていたので、そこに入れたのでしょう。卒業してから放送局に就職します。

第二次世界大戦後、魯迅の弟・周作人の嫁、羽太信子は魯迅が買った家にまだいて、周海嬰が挨拶しようとすると、反対に怒鳴られたそうです。戦争に負けても日本人というプライドの高さはまだ残っていたのでしょう。

母親許広平がなくなったのは紅衛兵運動のさなかです。毛沢東の妻・江青が魯迅の1930年代の思想を問題視したのです。これも周恩来の力で抑えられましたが、もともと心臓を悪くしていたのをこれで決定的なダメージを受け急死します。これ以上に周海嬰の息子や娘たちに被害が及び、まともな学校生活はできなくなります。現在でいうと70歳から60歳くらいの中国の人たちはまともな教育を受けていません。学校に行けず、畑を耕したり、軍隊の真似事をしていたのです。紅衛兵運動が終わると、周海嬰の長男と長女は日本に留学します。ところが大変な問題が起こります。長男がよりによって敵対する台湾の娘と結婚したのです。これで一時周海嬰と彼の妻(学校の先生)の仕事を休止させられます。しかしこれも魯迅の息子ということで、何とはなしにおとがめなしのようになっています。

母親や息子が書いた本を読むと、なんやら腑に落ちないものを感じます。魯迅も許広平も周海嬰も貧乏だという割には、お手伝いさんを雇っているのです。日本人の羽太信子の五、六人とはいかなないまでも、常時二人くらいは魯迅の代では雇っているのです。息子の代になると一人になりますが、共産党政権下でお手伝いさんを雇うとは不自然な気持ちになります。もともと魯迅は地主階級なので、日本にも留学でき、根っからの貧乏人ではないということです。たとえカネがなくなっても、貧乏人のレベルまで質を落とすという考えははなからないのでしょう。隠然たる階級制度があって、高い階級は下から支えられるものだと無意識のうちに感じているのではないかと思われます。

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