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明智光秀から石原莞爾まで近世、近代までの日本史で重要な27人の簡単な履歴か素描を書いています。それも「侠」に関わる人で、大石の説明のよるとこうなります。
「社会の指導者であっても、逆に社会を外れたアウトローであっても、その時代の体系や秩序に矛盾・限界を感じ、新しい秩序や枠組みを生み出す役割を果たしたり、弱者を救い強者を正すなどの役割を果たした人々である」
高山右近、キリシタン大名、江戸幕府からところ払いになり、長崎、それから家族でマニラに移住します。それも60歳のときです。マニラに渡ってたった40日で熱病で亡くなっています。家族はその後どうなったのでしょうか?誰も知り合いのいないところで信仰だけで生きていけるのでしょうか、私などとてもそのようなことはできません。
忠臣蔵の大石内蔵助は「預置候金銀請払帳」という会計簿を残しています。それによると、討ち入りまでの1年9ヶ月間の費用が697両(1両12万として8292万)もかかったそうです。47士の生活費に振り分けたのでしょう。1年と9ヶ月の間よくもこのような少ない金額ですごしたものです。あっぱれだといいたいところですが、浅野匠頭長矩のような切れやすい殿様をもったということがそもそも不幸の始まりです。
今も日々歴史は形つくられていますが、大方が忘却の彼方に遠ざかります。そのなかで燦然と名が残っているということはその人がいいも悪いも普通の人とは断然と違っているからでしょう。