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宮崎市定 史記を語る

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宮崎市定 史記を語る


       私の趣味である「将棋」に纏わる話が史記に載っています。

一つは漢の文帝の時、文帝の太子と呉の太子が酒を飲みながら将棋をし、ケンカになり、文帝の太子が将棋盤を投げつけ呉の太子を殺したという事件がありました。宮崎市定の解説によると、これは単なる個人的な争いではなく、漢王朝が成立して30年ほど経つと、「漢王朝に対抗する反対勢力が次第に台等する形勢を示してきた」ということで、「殊に南方の呉王濞との関係が険悪」になっていて、この事件はその延長の中にあったということです。

もう一つは「魏公子列伝17」にある信陵君と兄に当たる安釐王が将棋をしていたとき、国境の司令官から、趙王が自ら軍隊を引き連れて侵入してきたという連絡が入ります。兄の安釐王は慌てますが、信陵君は狩をしているだけですと言って、平然と将棋を指し続けます。兄も仕方なく付き合っていましたが、また司令官から連絡があり、信陵君の言ったとおり、狩をしていただけだということがわかりました。信陵君には食客が多くいて、その一人がスパイのようなものであり、趙国の事情を良く知っていたということです。

将棋は酒を呑んでやるもんではありません。ミスも起こるし、気が荒くなってけんかになるのは当たり前です。呑まないでも将棋は争いごとであって、自制しないとすぐ暴力沙汰になるのです。私の店でも将棋をしている人がケンカし、私は証人として調書をとれられました。一人はもう死んでこの世にいませんが、もう一人はまだ生きているでしょう。結局事件にしないで和解しましたが、私ともう一人の客の目撃者は朝の4時ごろまで新天地交番で調書をとられました。

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