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後継者の問題でどこの国でも頭を悩ましています。最近の日本では後継者不足が問題ですが、明の時代ではおりすぎて、兄の息子が二代目の皇帝・建文帝と、兄の弟の叔父とが戦って、叔父が簒奪してしまいます。甥の建文帝は妃ともに宮殿に火をつけて自殺したそうです。
明の創始者の朱元璋は飢饉で流浪した農民の子供です。養いきれないで寺に捨てられます。寺でも養われないので乞食坊主になって、あちらこちらとうろつき回り、紅巾の乱によってチャンスを掴み、あっという間に元を倒し、外来の皇帝ではない、真に中国民族の皇帝になります。馬皇后と間に数人の男の子が生まれ、それぞれ各地に派遣し支配を万全にします。長男は手元に置き、皇太子として育てます。ところがそうと決まったとたん、皇太子のもとには将来性をかって人が集まってきて、不穏な状況になってきます。それで朱元璋・洪武帝は皇太子を幽閉し、皇太子の資格を剥奪します。一度は許しますが、また同じような状況になって、長男は幽閉され、精神的におかしくなって死んでしまいます。やがて朱元璋・洪武帝が死ぬ時がやってきます。孫可愛さに次期皇帝に孫を指名して死にます。孫のブレーンたちはこの政権を安定するために、各地の叔父たちの粛清を始めます。何らかの理由をつけて追い落としをはかります。四男の朱棣(後の永楽帝)は始め恭順の姿勢をとっていましたが、反旗を翻し、明三代目の皇帝になっています。永楽帝は北ではモンゴルを何度も打ち負かし、鄭和を使って、アフリカ東海岸まで大艦隊を派遣しています。日本に対しても足利義満に日本国王の称号を与え、勘合貿易を許可しています。日本は明の家臣になったのですが、足利義満とっては儲かればよれでよかったのでしょう。
現中国の習近平の理想像は永楽帝ではないかと思われます。まさしく「中華」を表現しているのですから。