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「隋代より清朝晩年まで、千三百年の間実施」された科挙は、ヨーロッパでは高く評価されています。先進国のイギリスさえ官僚の公募は1870年からです。それまでは貴族が世襲で重要な地位についていました。中国で皇帝になるということは協力するものと一緒になって、敵対するものを根絶やしにするということです。ところが協力したものが貴族になり、力を持ち出すと、皇帝を簒奪する危険性もできます。それで科挙という制度を作り、一応建前では誰でもこの試験に通れば宰相になれるチャンスがあるということになれば、貴族の力は削がれます。有力な貴族であってもこの試験に通らなければ政治の表舞台には登場できないのですから。四書五経を丸暗記し、詩歌を作り、文章を作成する能力がないと重要人物になれません。若い頃からそれらに集中していると、エネルギーを吸い取られ、現政府に反乱を起こすという気力もなくなるでしょう。おまけに勉強の中味も儒教ですから、忠孝の教えで反抗しづらくなります。
難しい試験ですから、70歳過ぎてやっと殿試に受かる人もいます。南宋に陳修という人がいて73歳でやっと合格しています。子供が何人いるかと問われ、科挙のためにずっと独身だと答えると、「宮人施氏」を嫁として提供されています。このことをざれ歌にされています。
「新婦に貴郎の年はいくだと問われたら、50年前23の青年だと答えよう」
でも晩年裕福な暮らしができたそうです。
反対に悲惨なのは、魯迅の小説の「孔乙己」です。清朝末期、70過ぎても科挙に通らず、場末の居酒屋で酒を呑みながら、居酒屋の小僧に「回という字の書き片には四通りある」などと講釈をたれています。顔は傷だらけ、泥棒をしたりして殴られるからです。着物はボロボロ。最後、孔乙己は這って居酒屋にきます。泥棒にはいってその家のものに足を折られたのです。酒を一杯呑んで、去りましたが、その後来ないようになって、多分野垂れ死にをしたのではないかということで小説が終わっています。
日本の大学受験も科挙に似たものです。科挙も建前では誰もが勉強ができれば合格できるとなっていますが、実際は裕福な家庭で子供のころからカネをかけて勉強させないと受かりません。東大も年収1000万円以上の家庭の子弟が大半を占めているということで、科挙と変わりありません。清朝末期のように、この受験制度が国の衰退につながるのではないと心配です。科挙もそうですが似たもの同士が寄り集まり、独善的になっていくのです。年収1000万円以上の家庭の持ち主が現在安楽な暮らしをしているのに、あえて社会を変えていこうとは考えないでしょう。