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宮崎市定 隋の煬帝

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宮崎市定 隋の煬帝


       歴史家が小説風に、物語風に煬帝について書いたものです。だからそれぞれの登場人物のセリフも歴史的な事実に基づいて書かれたものだと思われます。

昨日「立皇嗣の礼」が行なわれました。日本では歴史上はっきりとわかるのはおおよそ1500年前から天皇家が続いているということです。中国では長くて300年間くらいの王朝しかありません。無頼漢や軍人などが成り上がって王朝を作りますが、創始者本人か、子、孫たちの女狂いや贅沢三昧で100年も持たない王朝がたくさんあります。面白いといえば面白いのですが、孔子が論語を作ったというのも、中国人の節操の無さを嘆いていたので、その戒めのためだったと思われます。

隋の創始者・楊堅は自分の娘を北周の皇太子の嫁にしていましたが、この皇太子が宣帝となり、20歳で死ぬと、北周の王族関連者を全て皆殺しにし、隋を作ります。楊堅とその妻独孤氏は北周の性的乱れから国が亡びたということを見て、第二夫人や妾を置かず、二人だけで5人の男のこと5人の女の子を育てています。楊堅はそれなりに慎ましく生きていたのですが、息子たちは違います。贅沢に慣れて、女狂いもします。妻の独孤氏は長男より次男(後の煬帝)を好いていました。というのは自分が長男にあてがった嫁をないがしろにし、やがて嫁が病死すると、自分で別嬪を探し嫁にします。そういうことで長男が気に入らなかったのです。やがて独孤氏と煬帝と大臣楊素と組んで長男が謀反を企てているといって長男を幽閉します。やがて父の楊堅が死ぬのですが、これも煬帝が殺したのではないかと噂されています。二代目のなった煬帝は自分の兄弟に難癖をつけて殺してしまいます。まるで創始者の楊堅が北周の王族関係者を皆殺しにしたように、孫に至るまで男子を全て殺してしまうのです。やはり子供は親がやっていることを真似るということでしょう。やがて煬帝は自分の警護兵に首を絞められて殺されます。権力者ほど孤独なものはいないようです。失職しそうなトランプ大統領も悪あがきをしています。煬帝も皇帝らしく毒杯で持って死なせて欲しいと願いましたが、毒杯が見当たらないものですから、刀で殺すよりは一等減じて首を絞められたのです。

 

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