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1000年以上にわたるローマの歴史と言っても結局は指導者の歴史になります。指導者の良し悪しで時代の特徴が際立ちます。歴史が面白くなるのはとてつもない指導者が出た時です。それも悪い指導者です。当時生きていた人民には耐え難い厄災ですが、後世の人間には歴史を学んでみようという気になります。古代ローマ史にはこれら人物の不足がないことはありません。往々にして賢帝の親父にアホ息子が生まれやすい。裕福に育つと、何か一本芯が抜けるのでしょう。そうかといってあまりにも貧しく育った人間も何か癇みたいなものがあって、虎の尾を踏めばというごとく、彼の癇に障ると逆上してしまう人間もいます。木村凌二もこう言っています。
「カエサルヤアウグストゥスは、そのような善悪の紛らわしさを自覚していたのではないだろうか。というよりも、善悪を超えたところに、彼らの精神は住んでいたかもしれない。少なくとも絶大な権力者に上がり詰めていくには、善悪の超人にならなければならないだろう」