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日本史は開けた時代と閉じた時代とが順番に繰り返す習性をもっているようです。蘇我氏の時代は開いている状況で、先進国朝鮮のもろもろのものを輸入していました。最も大きなものは佛教です。それに渡来人も多く来て、蘇我氏も渡来人ではないかと言われていますが、はっきりとはわかりません。蘇我氏とその家来ともども百済の服装をして、合奏曲をかなえ、踊ったという逸話が残っています。蘇我氏の家庭では自分の子を天子と呼んでいたそうで、さすがこれには天皇家もカチンと来たようです。「鞍作り」の家柄が何を言うかです。それにもまして、新羅高句麗などに追い立てられて流浪する百済の官女らを側室に仕立てたこともしています。要するに蘇我氏はあか抜けた国際派の外交官だったのかもしれません。今でも英語ペラペラなら皆も一目置くように、朝鮮語でも話して高官の朝鮮人と話したりすると、重く見られたのでしょう。現在では地球も狭くなり、近隣でなくても友好的な付き合いをしなければならないのに、ロシアという第二次世界大戦を思い起こさせるような国も出ていきます。生産力も韓国並みですが、ただ核兵器を何千発も持っているということだけで大国と自称している時代錯誤な国です。プーチンは雲隠れしてどこかの要塞に閉じこもっているようですが、核戦争をしても自分だけは生きられると思っているのでしょうか。