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応永27年(1420)に李王朝の官吏宋希璟が来て、「老松堂日本行録」という本を書いています。前年に起こった、対馬での李王朝の軍の征伐に対する言い訳のためです。対馬の漁民たちが度々朝鮮に来て人さらい、泥棒や不法行為をしたからだそうです。中国人の奴隷までもいたそうです。これはこれとして、宋希璟は日本の細々のことも記しています。どこの街でも男性より女性が多くいて、それも娼婦が多いと。おまけに乞食が多くいるとも。当時は寒冷期でたびたび飢餓が起こっています。このような時代では働き手の男子の方が好まれ、女子は間引きされるのだと思っていましたが、当時の記録からたびたび男の子を生むよりは女の子を産んで正妻になれなくても妾でもいいから裕福な男に世話してもらうほうがいいという考えもあったと書かれています。今までの常識が覆させられました。また常識がひっくり返ったのは、新米と古米の値段です。現在では新米の方が同じ分量であれば古米より高いのは常識です。それが室町時代のずっと以前から、古米の方が新米より高いのです。それはなぜか?それは古米の方が乾燥しているから炊くと新米より量が増えるのです。
現代でも難民でヨーロッパ諸国は悩んでいますが、室町時代では京都がフランスのパリのようなものです。干ばつや冷害なった地方の食い詰めた難民が京都に押しよしています。清水克行はアフリカから収奪したもののおこぼれをもらいに難民は行っているのだろうという解釈になります。日本でも、自分たち百姓が作り出した財貨が集まった京都に行けば何とかなるのではないと思っていたのでしょう。何にもならなく、ただ餓死するだけ。そのうちカネがあっても食料が買えなくなる時代が来るかもしれません。