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平安時代は安定していて、貴族たち、その大本の天皇家も荘園を多く持ち、京都に居ながらにしてそれらの富を享受していまいた。荘園には守護代を雇い、その経営を任せていたのです。時を経て、その守護代が力をつけ、武士団を形成し、京都で安楽に暮らす貴族たちの言いつけをきかなくなります。15世紀は小寒冷期で、作物も不作で、貴族の要求通りにはできなかったし、下剋上が意識に上り、今まで通り貴族に従うという気配もなくなったのでしょう。室町時代はその弱肉強食の始まりで、そのうち天下人を決める戦国時代の前触れの時代だったということがわかります。室町時代に出てくる姓名も未だにあるということは、合戦で敗れて家が断絶したと言っても、中国のように一家親戚その家の関係者すべて皆殺しをするといったことがなかったということです。古い苗字を持っている人がいるということはその証拠です。源頼朝もその一人です。父親は殺されましたが頼朝は流刑で済まされています。