忍者ブログ

読書

私の履歴書2

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

私の履歴書2


  富安風生:役所ではよく海外に留学することを命じられることがある。風生も逓信省で1年間海外視察をしている。目的はあるのだが、視察の成果を何かに書き留めて書くということはなかった。最近でも女性国会議員がパリのエッフェル塔の前で飛び上がってうれしがっていたけど、これも視察という名目で、単に遊覧がてら旅行をしていたのであろう。もしも公費でも出ていたなら問題であろう。風生は戦前であるので、役人にはほしげもなく予算を使っている。高級国民にはたっぷりと予算を回し、下々の者には、カネを与えて援助するという気持ちはなかったようだ。

川田順:一高に入学できたのも、彼の親戚に一高の教授がいたからで、昔はこのようなことが度々あったのでしょう。それから順調に東大に入っています。今でも私立など大いにあることでしょう。

西條八十:天婦羅屋をやったり、株屋をやったりしています。フランス語教師もなったりしています。歌謡曲で印税を得られるようになったのはこの人のおかげです。

長谷川如是閑:中学3年のころアメリカに行って英語でも学ぼうとしています。明治の中頃で

アメリカに行って皿洗いをしても成功する人はあまりいないというと言われていました。いまでも皿洗いをして英語を学ぶという人がいるかもしれませんが、まさしく成功する人はいないようです。麻薬や覚せい剤のとりこになる人が多い。

尾崎士郎:中学生ころから投書をし、ある有名な作家にも手紙を書き、その人から「尾崎老兄」と返信をもらっています。当時の写真を見ても生意気そうな少年です。

水原秋櫻子:医者の息子で当人も東大医学部を出て医者になります。最終的には俳人。一高の野球部は地下足袋でスパイクなど穿いていませんでした。

大仏次郎:兄が野尻抱影。自分の欠点を言っています。「我慢と辛抱がない。町育ちだけあって才気はあるが多少オチョコチョイで地方で育った人間のように重厚なところがない」

林房雄:戦後のパージで苦労しています。当時は共産党の天下で、戦前軍に協力した作家などの書いたものを新聞や雑誌に載せない運動をしています。GHQのケーディスと殴り合いになる一歩手前までなったこともあります。

PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R