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瀧川政次郎 日本奴隷経済史

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瀧川政次郎 日本奴隷経済史


          清少納言は初詣の時、農民と出会って、このように書いています。

「蓑虫のようなるものの、あやしき衣着たるが、いとにくき、たちゐ、額づきたるは、おしたおしつべき心地こそすれ」

この小生意気な女官は下々に対する同情心がないのでしょう。いくら本邦初の女性随筆家であっても、意地の悪さ、狭量な考えしかないことがわかります。平安時代仏教も深く浸透していたにもかかわらず、たかが漢籍が読めるくらいで、思いあがって、人々をあげつらうのは品がないというほかありません。現在ではさしずめ炎上し、泣いて詫びを入れる口の出すぎたタレントのようになるでしょう。そうはいっても今から1000年以上も前の話。古代ローマ帝国のようにローマの人口の半分が奴隷であったほどではないにしても、日本の古代にも天皇家、豪族、寺院などに奴隷がいました。奴(やつこ)とよばれるものです。語源はいろいろ説がありますが、瀧川は「家の子」ではないかといっています。家長の権力に服する使用人ということらしい。戦争捕虜、犯罪者、債務者、中国・朝鮮から来た渡来人などが奴隷になっています。24歳の男の奴隷の値段は稲900束、19歳の女は稲1000束という書付が残っています。普通は男の奴隷が高いのですが、この19歳の女は美形であったということらしく値段が高くなっています。稲900束の値段ですが、これは「駿河の中馬二匹」に相当する値段だそうで、今の軽自動車くらいとすると、300万円から400万円くらいかもしれません。男の奴隷で最も高かったのは、今も昔も変わらずハイテクな技術をもつ人です。車輪を作る職人でありました。

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