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諸国了介 世俗化論の生成

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諸国了介 世俗化論の生成


      「世俗化論」とは、たぶん、近代になって欧米の諸国ではキリスト教を信じる人が少なくなり、教会の儀式も神秘性がなくなり、日曜日になってもお参りに行かない状況のことを言っているのでしょう。多くの社会学者が「世俗化論」のことを定義づけようとしているのですが、数学の定義づけほどうまくいっていないようです。言葉の定義づけほど難しいものはありません。言葉は曖昧なものだからです。それでも欧米の学者は何とかしようと頑張るのです。察しのいい日本人はこのようなものだろうと、適当なところで切り上げます。私も察しがいいのでこの本を適当に読み流します。でも現在世界の覇権を握っているのは、この融通の利かない欧米人たちです。彼らの時代背景を考えてみると、基底部分の古代ギリシャ文明と古代ローマ帝国とそれに付随したキリスト教が存在します。シーザーはこれら欧米人の先祖たちーノルマン人やゲルマン人など体がでかく戦闘好きだが頭がトロイと言っていました。これら野蛮人たちがキリスト教に触れると、トロイ頭で考え始めます。とうとう「神学」などの論理の煮詰まった理論体系を作り始めます。要領が悪いながら論理のブロックを積み上げていったのです。これがルネッサンスを経て産業革命に行きつき、ヨーロッパ北方人は世界を牛耳るようになります。察しのいいだけでは論理のブロックは作れません。この「世俗化論」の欧米学者の拘泥も、論理のブロックを積み重ねていると、思わぬところから道が開けるかもしれません。察しのいいだけでは真珠湾攻撃を考えるしかできません。一時いい目を見ることがありますが、長い時間では論理の圧力に手も足も出なくなりました。

 

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