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野間秀樹 日本語とハングル

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野間秀樹 日本語とハングル


        韓国ドラマを見ていると、時たま日本語と同じ発音する言葉が飛び出てきます。「正直」とか「約束」とか漢字の場合が多い。「約束」といった後、日本でいう「指きりげんまん」ということをしています。隣国ですから似ていることもあるのでしょう。1678年には釜山に「10万坪」の「草梁倭館」なるものができていて、これはもう大使館というよりは町という規模です。古代からずっと対馬海峡を両者は行き来しています。言語の分岐説なるものがあって、英語、ドイツ語、フランス語などもともと同一なものが何千年かして分岐し、今のような状態になったということを言っています。日本語も韓国語も膠着語の仲間であり、語順も変わりません。弥生時代から、それ以前から徐々に日本語と韓国語は分岐して行ったのかもしれません。

私が中学生の時はじめて英語を学び、英語は主語が必ずあり日本語と比べて論理的な言葉であると教えられました。だから科学など欧米主導で日本は立ち遅れて、今回の第二次世界大戦で負けたのだと、暗にほのめかされて納得していました。文豪の志賀直哉は敗戦後のドサクサ時代にもう日本語はやめて、フランス語を導入したら良いと言っていました。そうかといっていつも主語があるというのもおかしいものです。「雨が降る」という自然現象でも、英語では「It rain」であって「rain fall」とはなりません。単に雨が降るという問題に「それが」という単語がつかないといけないのか?よく言われるようにあちらでは一人の創造主・神があって、この世の不可解な現象はすべて神のせいであると説明したがっているのでしょう。日本のようにそこらじゅうに神さんがいるのとは大違いです。インド・ヨーロッパ語族は「原因」がるから「結果」が生まれ、雨の降るのも、雨を降らせる「原因」つまり「神」がいるから、そういう「結果」になるのだという考え方だと思われます。私たちから見れば、非常にまどろこいしい考え方をする人たちに見えます。日本の俳句のように「五月雨を集めてはやし最上川」という心境になれないものか思ってしまいます。

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