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現在チェコスロバキアはチェコとスロバキアに分かれています。言語もチェコ語とスロバキア語もあるということで、民族も少し異なっているのでしょう。ヤロスラフ・ハシェックの経歴を見ると、第一次世界大戦で、ロシアに投降し、共産党員になったりしています。小説にもなっていますが、チェコでの共産党政権の不成立のため、犬販売の商売をしたりしています。小説では雇った男がクリスマスの飾りつけに、子犬を木に吊るしてショウウインドウに飾ったことによって、非難を受け失敗したということになっています。「卵を柔らかくゆでる方法」では、まるで筋肉をゆでればゆでるほど柔らかくなるというイメージから多くの卵を長時間ゆでてますます固くなっていく笑い話です。現在ではYouTubeを見れば一発で解決することです。「皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の肖像画の物語」では戦前の日本の天皇の御真影の意味合いがあって、チェコでも皇帝の御真影の粗末な扱いは刑罰に値するということになっています。日本の後進性を笑っている進歩人もいますが、ヨーロッパの周辺国では日本とさして変わりがなかったということがわかります。
この前菅総理とバイデン大統領が会い、晩餐はハンバーガーだったそうです。大体民主党はルーズベルト、クリントンなど日本を馬鹿にしているか、日本が損を強いられる注文が多い。バイデンはアジア人ヘイトの事件で自国民に冷静さを呼び掛けていますが、今度ヨーロッパの国の首相や大統領が来たとき、ハンバーグで晩餐をすますかどうかを注目すべきでしょう。もしホワイトハウスで豪華な晩餐会を催すなら、バイデンの言う人種平等は嘘になるし、日本から見ればバイデンは「不埒」な人になるでしょう。
読売新聞夕刊コラムで書いたもの。2012年1月から2015年3月まで。27か月間で150冊くらいについて書いていますから、毎月5,6冊ということになります。週に一冊以上は読んで、中身を精読し、もろもろのことを調べ、気の利いたことも書かなければならないとなると、結構な重労働です。読むことが好きなので、できることです。これが命じられたとなると、「女工哀史」以上のブラックな仕事となるでしょう。ただ本の最初の一行と最後の一行を書きぬくだけでは面白みはありません。作家、その時代背景、歴史、等々調べ上げて書くとなると莫大な時間が必要です。バルザックの全巻を読んでいるわけではないでしょうが、「ゴリオ爺さん」でも一日で読めるものではありません。
「わずか二ページで紹介できる物語内容など、逆立ちしたところでタカがしれている」と謙遜しています。たいそうな大家でも斎藤美奈子の手にかかれば、ナボコフのように、「少女にとってはサイテーのオヤジだが、文学という病理の研究にはうってつけ」と評価されて、文学崇拝のインチキ性に目が開かれる思いがします。
森永卓郎の「年収300万時代を生き抜く経済学」で斎藤美奈子の視点が私とそっくりなのをうれしく思いました。貧乏になるといっていても著者だけは金持ちになっているのを揶揄しています。印税を計算して卓郎は3750万円の収入を手にしたことになります。本の趣旨はこの300万円で、無理して働かないで人生をいかに楽しんで生きるかを考えるべきだという発想転換ですが、このような発想ができるのは生活に余裕がある金持ちだけで、貧乏人は長時間働いて、休みといえバタンキュウといった状態では何らアイディアなど浮かぶことはないでしょう。毎日遊んでいる人が投資などで金持ちになり、歯を食いしばって長時間働く人ほど貧しくなっていく。これでは貧乏人はむくわれません。
タレント本はかつての私小説だと斎藤美奈子は言っています。かつての文豪たちも現在のタレントと同じように、自惚れ、弁明、自慢、自虐に明け暮れているようです。
誤読日記と称して、批判をかわそうとしたふりが見えますが、それは朝日とか大メディアに載せるからであって、世の中には冗談すら目くじらを立てて問題にする輩が多いので、本も売れないのに、書評という仕事も大変なことだと思われます。
私たちが高校の時に、ソフィストは黒でも白と言い含める詭弁者であると習ったものです。ところがデルベによりますと、世界各国を渡り歩く能力のある仕事人か、多国籍企業のCEOといったところになります。
「ソフィストは諸国遍歴の思想家であった。もっとも、彼らの成功の一番の魅力的な舞台となったのはアテナイなのではあるが、ポリスからポリスへと教えまわるうちに、ソフィストは鋭敏な感覚を養い、歴史上はじめて、批判的思考をわが物とすることができた。自らの一種の国際的な立場のおかげで、ソフィストはポリスの狭苦しい枠を脱することができたのであり、ソフィストによる個人主義の発見も、この国際的な立場によって説明がつく。ソフィストはいわば自らの身を運ぶことによって思想の流通を促進したのであり、プラントンがソフィストの特徴を叙述するにあたって、好んで貿易および通過の比喩を用いたのもおそらく、ソフィストによるこの種の流通を念頭に置いてのことであろう」
世界史など通り一遍のことしか習わないのですから、個々のものを深く探っていくと、今までに思ってもみなかった風景に出会うということになります。常識は絶えず改変されると思っていたほうがいい。
エピクテトスは奴隷であったので、奴隷であることについて鋭く考察しています。たとえ元老院のお偉い方であっても奴隷にすぎない人もいます。エピクテトスの論理はこうです。
「妨げられるkとのない人は自由である。いろいろな事柄はその人が欲するように前に置かれている。これに対して、妨げられ、強制され、邪魔され、心ならずも何らかの状況の中に投げ込まれる人は奴隷なのである。では、妨げられないのはどのような人か。自分のものでもないものを何一つ求めない人だ。では、自分のものではないとはどのようなものなのか。それを持つにせよ持たないにせよ、どんな性質のものとして持つにせよ、どのような仕方で持つにせよ、我々の力が及ばないようなもののことである。したがって、身体も身体の諸部分も、財産もまた、自分のものではないことになる。だから、もし君がそれらのうちの何かに対して、まるで自分のものでもあるかのように愛着を示すならば、自分のものではないものを願う人が受けるに値するだけの罪をこうむることになるだろう。」
心の自由、つまり心が奴隷でないために、たった二つの行動が示されています。「耐えよ」「控えよ」
「したがって、これら二つの言葉を心にかけて、これを遵守することを自らに課し、監視するならば、たいていは罪過なくきわめて平穏な人生を送ることができるだろう」