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最近よくニュースで犯人が「自分が犯したことは間違いない」と、自分では関心がなさそうな唇で言っていますが、本読みは本読みから情報を得ているということは本当は知られたくないのですが、間違いありません。読書案内ほど便利なものはありません。その分野の基本的な本が網羅されているので、それをたどっていけば何とかなるという感じです。各本の巻末にある参考文献も、次の本を読む参考になります。世界史読書案内から次に読む本をチェックしています。世界史読書案内では目次に本のタイトルだけは出ていますが、著者の名前は出ていません。少しの手間ですから著者の名前も書き入れてほしいものです。とにかく膨大な書籍からある一冊を選ぶということは手がかりがないと海で溺れるようなものです。時間潰しで本を読んでいる人間には浮き輪が必要です。専門にそれについて研究しているわけではなく、ただ興味本位に本を読んでいるのですから、道案内はその分野の専門家に頼ることしかないようです。学者なら本人が道案内人ですから、そういうことは必要ありませんが、日本の学者の論文の取り下げ件数がアメリカ、中国に次いで世界3位になっています。論文もカスが多いということがわかります。
世界史を学ぶ理由も、ソクラテスが多用したギリシャのことわざ「意見の衝突から真理が生まれる」ということだそうで、歴史の事実を知り、それに纏わる意見を聞き、自分でも考えることで少しでも真理に近づけるkとができるのでなないかということです。
スディール・アラディ・ヴェンカテッシュはインドから移民か留学してきた人でしょう。皮膚もこげ茶色ですから、黒人街に入っても違和感が無いと思われます。白人だったら、現地に入ってこのような研究はできないでしょう。多分殺されるか、重症を負うでしょう。大統領選のバイデン候補の副大統領にはインド系の女性がなっています。永らくイギリスの植民地であったことでもあり、英語もペラペラですので、アメリカへの流入もたやすかったのでしょう。インドは人口でも世界二位であり、近い将来中国についで大国になる予想がされています。現在アメリカでも医者、学者、コンピュータ関連の技術者が活躍しています。
アメリカの黒人街はギャングが仕切っています。違法薬物の販売、売春、その地域の商店や露天商などミカジメ料、銃の販売などが主な収入源になっています。ここでは公園を巡って一般住民とギャングの間で確執があり、その調整に牧師などが関わっています。昼間から薬の売人や売春婦が出入りし、学校も近くにあり風紀が良くないと一般住民は抗議しますが、一般住民も裏ではギャングとつながっていて、保護を受けたり便宜を図ってもらっています。浮浪者も一切関わりがないということはなく、ギャングに使われたり、商店主に使われたりして、その商店をほかの浮浪者に汚されたりすることを防いでいます。
時代の推移で段々薬物が売れなくなると、ギャングはあらゆるところからミカジメ料をとろうとします。一般住民との対立も深まり、牧師などの調整もスムーズにいけません。そのような状況の中で、ギャングの親分が例の公園で別のギャングによって銃殺されます。それからどうなるかでこの書は終わっています。多分二番手の子分が親分になり、相変わらず他のギャングとの闘争や、住民とのトラブルに明け暮れるのではないと思われます。
特にトランプ大統領になって著しいのですが、違反する外国企業に多額制裁金をかすことをやっています。米国法なのになぜ海を飛び越えて海外の会社まで制裁金がかせられるかというと、ドルが世界の基軸通貨からです。フランスの銀行では一兆円も取られています。日本でも銀行や自動車産業がやられています。アメリカとイランの対立で日本はイランの石油を輸入することができなくなりました。もしイランから石油を輸入したら、その金額の何倍も違反金をとられるでしょう。それらの金額はアメリカの司法が決めるので、政治家は司法に介入できないとシラを決めますが、それらの法律を作ったのは政治家であり、司法もその忖度を受け、なるべく高い制裁金を取るようにしています。得た制裁金は予算の足らないところに回しているようです。日本でもグーグルやアマゾンに多額の税金をかければいいのではないかと思われますが、アメリカと日本の協定でそれもできないようになっているようです。踏んだり蹴ったりですが、それもドルが世界の基軸通貨からです。最近中国はドルに頼らないスマホ決済の人民元の実験をしていますが、ビットコインなどの仮想通貨を試みているのでしょう。アメリカのこのような横暴な政策が続くと、世界はドルから離れていくのではないかと著者は言っています。
古代ギリシャでは欲望は別に悪いものではなく、オリンピックのために体を鍛え、公共風呂で裸になり、肉体美をひけらかし、またそれらを愛していたという世界です。それがイエスの誕生で、それらの健康美と大らかな欲望の世界を糾弾するようになったのです。その象徴としての神話が聖杯伝説です。イエスが最後の晩餐でぶどう酒を飲んだカップが聖杯で、この聖杯で西欧男たちの神経症が始まります。フィッシャーキングとパーシファルの物語です。バイキングなどの荒ぶれる蛮族の男たちも古代ギリシャの男たちと同じようにイエスの出現に衝撃を感じます。それまでは他国に侵入し、男たちを殺戮し女たちを陵辱して喝采をしていた男たちも果たしてこのような弱いものいじめをしていいものかと疑問を感じ始めます。フィッシャーキングが焼かれた鮭を食べようとして火傷をおいます。この火傷はその疑問の象徴です。いままで天真爛漫に鮭を食べていたのが、食えなくなりました。また欲望のままのフィッシャーキングは神を求める騎士と対決し、その騎士を倒しますが、自分も太ももに傷を負います。それ以降寝たきりになるのです。欲望のままに生きていることに自信をなくします。そこに表れたのがマザコンのパーシファル(道化)です。マザコンゆえにフィッシャーキングを癒すことができません。パーシファルは放浪の旅に出ていろいろな人と出会います。フィッシャーキングについで二代目の神経病みの誕生です。やがてこれはゲーテの自己成長小説につながります。
警察官も検察官も調書を作成します。事実だけを書けばいいのですが、今までの冤罪の多くを見ると、思い描いた「ストーリー」を調書にしている人もいます。まるで小説家気取りです。これで有罪になったりしたら目も当てられません。広島でもあるアナウンサーが銀行で他人の封筒から現金を盗んだという嫌疑を受けましたが、裁判をしてやっと無罪を勝ち取りました。捜査した警察官の謝罪は一切なかったようです。こういった警察などのような大きな組織のおそろしいところでもあります。
中山咸男はこの本が出版された昭和63年には博多警察署長になっています。署長ですからもはや調書も書くこともないでしょうが、この本では手馴れた文章が書かれています。若い時の調書の訓練が基礎になっているのでしょう。この時代暴力団が華やかなりしころで、博多山笠の担ぎ手から暴力団員を排除したり、山口組が大挙して博多に乗り込んで来た時、停電さして一挙に踏み込み銃刀法違反で逮捕したという手柄話を書いています。