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前にも言っているように、日本の大会社の社長はあまりにもITを知らなさすぎるからです。ジョブスのように自社製品を自らプレゼンテーションすることができず、やっても開発者の文章を読むだけで、理解しているような雰囲気はありません。もともと日本の大会社の社長は神輿の上に乗っているようなもので、何もかも部下がお膳立てし、ただそこに座っているだけの人です。立派な大学を出て、長年ミスもなく、そうかといって角の立つような仕事も言い草もせず、みんなから親しみを持たれるような人物が選ばれます。高度成長時代の、ある程度先のビジョンが想像される時代には、適所の人材かもしれませんが、現在の「複雑系」の時代になると、絶えず手遅れになる結果になります。社長自らお膳立てをしないと他社に後れを取るのです。のほほんと座って待っている時代ではないのです。
この本の結論。温故知新という孔子の言葉を引き出して、温故とは過去の歴史を知ることであり、知新とは現在今我々が生きている時代で、傍観者として歴史の流れに身を任すのではなく、「サイコロを投じるように」、かつてはった言葉で言えば、社会にアンガージュマンして、過去の歴史を参考にしながら、「自由に」占ったり、選択したり、ある知見を手に入れたりすることであるということになります。
日本の歴史を通観してみますと、「勢いに乗っかる」だけの安易な生き方の歴史観を持っているようです。要するに強いものには巻かれろという主義です。太古では天皇、平安では天皇と藤原一族、戦後になると武士団、それから豊臣徳川と続きます。明治維新になって薩長の武士が天皇と組んで徳川家を終わりにし、昭和になると軍部が威張り散らします。戦後は何と言ってもアメリカ様にべっとりです。日本はユーラシア大陸と違って海の孤島であり、縄文時代人と後から少しつつ入ってきた弥生人と多少な争いはあったかもしれませんが、同居し混合します。反対に陸続きのユーラシア大陸では民族の興亡が激しく、戦争に負けたのなら、ジェノサイドか奴隷かになります。日本式の穏やかの方がいいかもしれませんが、このようなことを続けると、第二次世界大戦のような破局を迎えるか、今現在日本の企業の前例主義でにっちもさっちもいかない状況になっているのかもしれないのです。
1954年昔観音にあった広島総合球場に来たマリリン・モンローとディマジイオです。
「あどけなくて、両方の耳につけた直径5センチもありそうな大きな円形の金のイヤリングがまぶしく輝き、Mはただただ夢見心地でみつめた」
この写真を見るとまさしく大きなリンクの耳飾りをしています。Mは当時修道高校生で、「最高にチャーミングなマリリン・モンローを陶然と目のあたりにした高校生の童貞坊やの脳髄に、生身の光景が鮮烈に焼き付いた」というほどの感激ぶりです。それから間もなくしてMは童貞を失います。呉で友達とバーに入り、酔いつぶれて、目が覚めると、連れ込みホテルの一室で、バーのマダムに押さえつけられて、童貞を奪われたそうです。その後早稲田に入り、映画会社に就職します。つまり今子正義の経歴そのものです。
ノーパン喫茶ははじめ京都からだそうです。それが大阪のド派手なやり方で発祥の地を奪われたのだと井上章一は悔しがっています。京都近郊生まれの井上章一はいち早くノーパン喫茶に行っています。当時コーヒーが一杯200円のところが600円もしたということです。パンティーは穿かないでも、パンストは穿いていたようです。
大阪神戸の地域でミスコンテストに出る子女の出身地を調べてみますと、えらく偏りがあることがわかりました。当時は個人情報が緩く、ミスコンに出た子女の出身地や大学の名前まで見ることができたそうです。それによりますと阪急神戸線の沿線でミッション系女子大の子女が多かったそうです。まあまああか抜けていて、裕福な家庭の子女だったのでしょう。
「キンキ」と発音するとアメリカでは性的変態の人を指します。近畿大学ははじめ英語名でKinki Universityと記名していましたが、あまりにもアメリカで有名になりすぎたため、Kindai Universityと改名したそうです。敗戦後のプロ野球の名前で近鉄グレイトリングという球団名がありました。このグレイトリングもアメリカでは女性器を意味しています。駐留軍は大喜びしたそうです。よくTシャツなどに英語の文章などが記載されていますが、全く恥ずかしいことが書かれているかもしれません。外国の子供が着たTシャツに漢字で「痔」と書かれていました。