[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
古事記や日本書紀の話は案外史実を表しているのではないかと言っています。天照大神が岩戸に隠れたという話は皆既日食からの連想で、248年に皆既日食が起こり、その年に卑弥呼が死んだと魏志倭人伝に書かれています。2世紀の末ごろから「倭国大乱」が起こり、神話でいうところの須佐之男命が姉の天照大神の領地で乱暴狼藉を働くというのは、狗奴国と卑弥呼の国との戦いを暗示しているのではないかということです。戦いのその時に皆既日食が起こり、卑弥呼は責任を取らされて自殺したのか殺されたのかしたのでしょう。男の王が続きましたがうまくいかず、卑弥呼の一族である台与が女帝になりやっと安定したということです。卑弥呼とそっくりの台与が現れて、まるで皆既日食のように、岩戸が開いて天照大神が再び現れたような気分になったのでしょう。大和政権になっても女性の天皇は何人も出ていますから、今日のように天皇は男に限るということはないようです。
日本人のDNAは現在どこのアジア人種とも毛色が違っているようです。その原因は日本がガラパゴス諸島と一緒だということです。アフリカからさ迷い出た原初の人類が寒冷期で海水が引いて陸続きになった日本列島に入ってきました。これらの人々が縄文人の基盤になっていて、温暖期になって海水が満ちると日本は絶海の孤島になり、しばらくの間原初の人類だけで過ごしていましたが、また寒冷期が来て、陸続きになった北方のアリューッシャン列島から、朝鮮半島から、また南海から船に乗って人々が入ってきます。その頃のアジア人にはもはや縄文期のDNAをもったものはいなくて、ユーラシア大陸の人種の攻防の激しさで淘汰されたか駆逐されたのでしょう。やがて日本の縄文人たちもこれらの新しい人種と混合したのですが、ユーラシア大陸と違ってやや平和的に混合したのでしょう。現在でも日本人のDNAの2割ほど縄文人の遺伝子が残っています。朝鮮人にも中国人にもタイやベトナムの東南アジア人にも縄文人の遺伝子は見当たりません。まるで日本人は正倉院の文物のように他国ではもう見られなくなった古いものが残っているということです。
工藤會の親分が裁判で死刑判決が下った時に発した言葉「「公正な裁判をお願いしたのに全然公正じゃない。生涯後悔するよ」と喋ったそうです。この調子で何人もの人を殺したり傷つけたりしたのでしょう。自分の力に酔いすぎて調子に乗りすぎたというほかありません。もはや暴対法では子分が犯した犯行は即親分が命令したということになるのですから、めったなことはできなくなっているはずです。親分の意向の為に人を殺し自分が刑務所に入るという割の合わないことは現代の若者はしないようです。この方面の計算高いことはいいことです。高倉健の世界はもうないのです。またあってはなりません。義憤に駆られて他者の喧嘩に割り込むというのは愚の骨頂です。せいぜいそれが広がらないように遠くから見守るべきです。ロシアウクライナ戦争、イスラエル対ハマスの闘争も同じことです。肩入れしすぎて火のこがこちらに舞い込むとも限らないのですから。