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清水義範の結婚生活ははじめから定年後の夫婦生活のようなものです。彼は物書きですから、ずっと家にいます。はじめのころは妻の方が働きに出ていました。彼が売れ出すと、妻も家にいて彼の秘書役になります。50代からは二人してよく旅に出て世界中を回っています。これも夫婦仲をよくする方法です。旅をし終わって二人で旅の回想記を書きます。いい気晴らしになるでしょう。夫婦は似ると言いますが、私の将棋友達の妻は旦那と雰囲気がそっくりです。長年寄り添うと、善玉菌も悪玉菌もほぼ一緒になるのでしょう。体によりつくそれらの細菌によって顔つきまで似てくることになります。清水義範の妻も義範そっくりではないかと思われます。子供がいないということで、体が言うことが聴けないようになると公共機関に頼るしかないでしょう。彼の本はよく売れていますから高級な養老院にもはいることができるでしょう。地獄の沙汰も金次第と言われるように老後の沙汰も金次第です。若いうちからよく考えないと4,50年はあっという間に過ぎ去ります。
現在の先進の企業はガキの程度に合わせたイメージを持たせようとしているようです。ディズニーのミッキーマウスのようにかわいいキャラクターを身につけにといけないのです。トヨタの社長が背広を着てテレビのコマーシャルに出るようではまだ駄目なのです。テレビに出るのなら、トヨゴンというぬいぐるみを着てでないといけません。そしてぴょんぴょんと楽し気に踊らないと企業のイメージの高評価にはつながりません。子供は将来の消費者、この年代から消費者をつかまないと未来はないのです。ニュースでもそうですが、バライティ化しています。ニュースすらエンターテイメント化しているのです。吉本興業化していると言っていいかもしれません。日々テレビに出るコメンテーターもしゃれたことを瞬時に言わないと、務まりません。考え込むようではだめです。自分の専門外でもシャーシャーと言えるようでないと重用されないでしょう。
嵯峨天皇時代、薬子の変で藤原仲成が誅されて以来平安時代死刑が執行されなかったということです。藤原伊周が花山院の矢を放った事件でも、死刑を減じて遠流にされています。嵯峨天皇も薬子の変で政敵の仲成を死刑にしたことで気分が滅入ったのでしょう。仏教も広まり、地獄絵図も見ているでしょうから、人を殺めることに恐れをなしたといえます。天皇が裁可して死刑を決める相手は身分の高い人々であり、今風に言えば上流国民であり、下流国民の盗賊やら強盗など検非違使が捕まえる時など矢を放ってそのまま殺されるか、生きて捕まえても適当に裁判もかけず殺されていたケースもあるのではないかと言っています。平安時代死刑が全くなかったとは言い切れないでしょう。平安末期になると武士が台頭してきて、その首領に一存で刑罰が決まるようになります。
真面目にやれば月に50万円ほど稼げるそうです。それ以上となるとどこか体が悪くなるか怪我をするそうです。渡辺雅史は公営の電動機付自転車を借りて料理の配達をしています。登録するだけでその日から稼げます。本職はメールマガジンの雑文書きですが、稿料も低く、また血糖値も高く、この数値を改善するためにも自転車に乗り、健康と収入を確保するためにウーバーイーツ配達員をしています。背中に背負うバックはウーバーイーツが貸与してくれるものではなく、買うのだそうです。抜け目のない会社です。このような暑い夏の配達では一回の配達料400円くらいで合うのでしょうか。チップもあるそうですが、ある学生寮に配達した時のチップは1円だったそうです。もらってかえって腹が立ったそうです。こうした中年のおっさんを馬鹿にした態度はやがて彼が中年になるころ若者にバカにされるだろう。情けは人のためならずということです。
犯罪者などをもった親、特に母親は責められます。愛情深く接してきていなかったのではないかと。これは特にフィクションにすぎない精神分析を巧妙に商売に結び付けた医者たちによります。彼らの話を聞くと納得されますが、悲惨な家庭に育ってもまともな社会生活をする人もいます。確固たる「エヴィデンス」がないのです。これでは検証不能で科学とは言えません。どうもこの本を読んでいる限り、罪を犯す人は脳の気質にどこか欠陥があるのではないかと思われて仕方ありません。親の愛情あるなしにそのような欠陥が発芽するのですから、精神分析のようにただ対話するだけで治るはずがありません。単なる脳内物質の異常かもしれないので、エディプスコンプレックスと言ったって、親でなくても他人に暴力的になる人はいるのです。またすべてがそうであるとも言えないので、本当に脳は理解に苦しむものです。