忍者ブログ

読書

光成準治 毛利氏の御家騒動

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

光成準治 毛利氏の御家騒動


      毛利元就の三本の矢は孫やひ孫の時代になると、利害や対立ができてうまくいかなくなります。戦国時代の元就の家訓は家の存続には有効であったが、孫の輝元が、豊臣から徳川に政権が移行するとき、その処置の仕方を誤ったため、天下を取った徳川から厳封されます。輝元は元就と腹違いの母とに生まれた息子元清の子秀元を養子に撮りますが、後年自分の息子秀就を後継ぎにさせたいために両者の確執が始まります。秀就は呑み助で昼間は酔っぱらって寝ていたそうです。たびたび輝元は諫言しています。秀元は藩の財政の立て直しを任されていました。最終的には慰留する形にはなっていますが、実際は罷免されます。毛利家は秀就の所業を隠しおおせて、何とか取り潰しにならなくて、明治維新までもったということです。

私が中学生のころ、同級生に小早川とか宍戸とか吉川とか名前の同級生がいました。毛利家重鎮の子孫でしょう。小早川君は殿様顔で、逆三角形のあごのとんがった形をしていました。先祖代々から柔らかいものを食べ、我々食いじの張った頑強なあごと違って、華奢なあごでした。宍戸さんはポチャとした女の子で、御姫さんと言ってもいいでしょう。吉川君はもう顔も忘れました。

PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R