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古来、国家の成り立ちを見ると、まず腕力が強いものが支配者になり、人が増えると、強いだけではだめで、それを補佐する神官や役人が出てくる。単純に考えて、権力と宗教ということになるだろう。同時に二つを兼ねていた天皇のような存在もいたが、室町鎌倉に至り祭祀に限られてしまった。カノッサの屈辱も、織田信長の比叡山焼き討ちも権力者と宗教者の対立である。時には両者は仲良くエリート層を形作っていたこともあったが、人間の性格のマウント性で修復不可能な対立を呼び込むのだ。中国でも佛教の停止が皇帝の命でなされている。446年北魏の太武帝に、574年北周武帝に、841~845唐の武帝、955年五代後周世宗によって廃仏が行われた。これらの対立の主な原因はカネである。織田信長や中国皇帝の宗教弾圧も寺に田畑を寄進し税金を免れ、僧侶たちは贅沢な暮らしをし、あまつさえ軍隊をも持つようになってきたからだ。カノッサの屈辱も司祭の人事権を持つと、いろいろなメリットがあると王は思ったのだろう。哺乳類のオスは自分の生存圏を広げることに邁進し、それが諍いのもとになっているのは間違いない。