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青山和夫 マヤ文明の戦争

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青山和夫 マヤ文明の戦争


   

マヤ文明、アステカ文明、インカ文明と名は知っていますが、我々ははっきりと知っているわけだはありません。ここで整理してみましょう。この手助けには、
Bing のチャットを利用しました。それぞれの場所が違います。マヤ文明はメキシコのユカタン半島、アステカはメキシコ盆地、インカ文明は南アメリカのアンデス地帯に広がっていました。年代もマヤ文明は紀元前2000年から1600年、スペインによって滅亡、アステカ文明は1350年から1532年、スペインのコルテスによって滅亡、インカ文明も1533年スペインによって滅亡。たかが300人程度のスペイン人によって何十万人のマヤ文明の人々が滅ぼされたかというと、マヤ文明の戦争の在り方が問題になります。マヤ文明の石作りの建築物に多くの壁画が彫られています。征服した王が捕虜の上に立っている像が多くあります。武器としては石器の矢じりや石器がついた槍で戦うので、何万人が戦ったわけではありません。せいぜい2,3人の位の高い人間を生け捕りにすることが戦争だったのです。生け捕って裸にし、勝利者の王が負けた戦士の髪をつかんでいる図もあります。殺すこともありますが、許されることもあります。要するに自分の強さを表現したがっていたのでしょう。だからスペイン人との戦いでも、石器の粗末な武器で接近を挑んだのです。それも生け捕るために。相手はピストルがあるので、たやすく相手を殺せます。おまけにスペイン人はアメリカ大陸に病原菌を持ち込み、アメリカ大陸では人口が5%まで落ち込んだということです。また植民地政策の分断も利用しています。スペイン人は現地人同士を戦うように仕向けました。

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