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百閒の家族がインフルエンザにかかり、看護婦を雇ったのですが、その看護婦の給料が百閒の月の給料を上回り、湯河原温泉で養生していた漱石に借金を頼みに行きます。行きがけの交通費だけを持ち、湯河原に行き、漱石からは快く借金を快諾され、今日は飯を食ってここに泊まっていけと言われました。そこで図々しくも百閒はビールをつけてもいいかと聞きます。もちろん漱石は断りはしません。あくる日、交通費までもらって帰っていったのです。精神的に暗い漱石はものにこだわらない、図太い弟子の百閒を見て、自分にないものを感じ、それ故目をかけていたのでしょう。漱石はまた質屋の利用方法も百閒に教えています。質草を流れないようにするためには利子だけを追加補給をすればいいのだということです。百閒は世間の常識に疎い人でした。また百閒は小判を質屋に入れ、カネを借り、この行為を不思議がっています。経済学の初歩、カネとは架空のものでしかないということに気づきます。要するに「信用創造」、流通するおカネはみなが信じているから通用するのであって、小判は価値はあるが、骨董としてあるのであって、流通するというものではないということです。百閒はこれに開眼し、ますます借金をします。カネは回さないといけないのだ、貯めて動かさないのは経済の低迷をきたすということまでの考え方に至ります。まさしく現在企業は内部保留をし、老人は将来不安からカネをため込んで使わないようになっています。これではいつまでたっても景気は良くなりません。百閒のように借金をしてまでもうまいものを食ったりする人が多く出ないと日本の経済はよくならないでしょう。