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早く死のうが遅く死のうがその原因は老化ということで、奇跡を期待できないようなあけすけな言葉です。医学の進歩は計り知れないもので、やがてガンは征服され、なおかつ老化した細胞も若々しいものに取り換え人間死なないようになると言っていますが、いまだにがん治療でこれといった決定打はなく、相変わらず人々は死んでいます。このような自然の摂理に従い、死ぬべき時が来たら従容として死ぬしかありません。下手に逆らって高額医療を施してもらっても体がきついだけで何らメリットはありません。萬田緑平は緩和医療を推進し、残り少ない人生に痛みを感じさせなく、それ故生活の質を落とすことなく、死の着地のソフトランディングを願っています。病院内でチューブをつけ胃婁の手術までして、寝たきりの1年長生きするよりは、家庭で寿司でも食って三か月で死ぬ方がよっぽどいい。
世界と言っても欧米中心です。イギリス流ユーモアを以って語っているのですが私にはその意味がよく分かりません。ヨーロッパの歴史を熟知していればその意味を理解することができるのでしょう。受験でも落ちそうな歴史理解では到底立ち向かうことはできません。
コロナもそうですが人間はいろいろな病気にさらされています。ウィルスや細菌によって大量に死んでいます。それにもかかわらずいま世界の人口は80億人にもなるそうです。こうなると人類そのものが細菌ではないかと思われてきます。地球そのものを侵食する無秩序な生命体。無目的に拡大するガン細胞ともいえるでしょう。これだけの人間がいると温度もあがります。人間が吐き出す排気ガスは自動車以上なものがあるでしょう。
産業革命が起こってロンドンに人が集まりだし、便所はおまるで、朝方夜溜まった糞便を窓から道路に放り投げたということで、汚い臭いというのがロンドンの街です。その点江戸は糞尿を百姓が買い取っていったので、ロンドンよりは衛生的な町だったでしょう。にもかかわらずコレラや赤痢が何度も蔓延したということは目に見えない細菌を想像できなかったからです。医学の進歩はこれらの原因を突き止め、やがて不老不死の妙薬を作り出すかもしれません。
表紙の写真に奥田昌子の和服姿が載っています。多分出版社の意向によるのでしょう。医者という堅い職業を持っている女性に銀座のホステスまがいの恰好をさせることで意外性を持たせ、本の売り上げをねらっているのでしょう。本人自らこれを願って写ったのだとすれば、医療とは科学的なエヴィデンスだけではなく、呪詛的要素もありとする考えの持ち主なのでしょう。銀座のホステスも最近は高学歴なものも多く、自分の美貌と知的会話で、毎晩自信を喪失した経営者たちのマインドを解きほぐし、明日につながる自信を取り戻してやっているのですから。病院で白衣の女性医者もいいですけど、内科医など和服の女医さんもいてもいいと思うのですが・・・
1920年頃からチャールストンなどを踊る短髪で新奇なファッションに身を包んだ女性が、欧米の地や。欧米や日本などに侵略された居留地で増えてきた。欧米の女性たちはまやかしの騎士道精神にうんざりしていたのでしょう。実際は黒人奴隷と同じようなレベルで、権力は白人男性が握っていたのです。子供を産んで家事をし、旦那の言うことを聞くというのが女性の生きかたでした。その旦那がどうしようもない奴でも我慢を強いられたのです。ましてや東洋などでは孔子の影響かしれませんが、3界に家無しということで、朝鮮のフェミニストは離婚した後路上生活者になり野垂れ死にしています。現在でも離婚して子供を育てている女性の生活は苦しいものです。女性の権利は徐々に回復されていますが、給料や待遇の差があります。最近の国際会議をみますと女性の議員がとりわけ欧米の女性で見られます。日本の国会議員で女性の数は100人も達してないでしょう。日本では政治家は家業になっているので長男相続で女性がなるのが難しそうです。北朝鮮でも外務大臣は女性です。プーチンなど大権力を握ったものは世界はどうにでもなるといった思い上がりの錯覚にとらわれるので、大根一本の値段すら気になる女性の現実味のある政治性を取り入れた方がより世界は安定したものになるのではないでしょうか。
日中戦争から太平洋戦争まで日本の映画界の動向が書かれています。ある人によると終戦の1、2年前までは、ドラマで観るような重苦しさはなく、結構みんな楽しく暮らしていたという証言もあります。現在でもウクライナで戦争が起こっていても、そこは遠いい他国の地であり、モノの値段が上がり困っているようですが、渋谷のハロウィンのバカ騒ぎを見ても、これから先どうなるかあまり考えてはいないようです。とにかく大衆は毎日楽しければ満足するのであり、戦争中も戦場は中国大陸や太平洋であり、目に見えなければそれはないものと錯覚したがるのでしょう。軍部など何とかして民衆に関心を持たせるため国策映画を作りましたが、ほとんどフィルムの無駄遣いということになっています。ましてや敵対国の中国や東南アジアの連中を日本になびかせることはできませんでした。かすかに成功したのは女優・季香蘭(山口淑子)です。中國で育った季香蘭は中国語も達者で、中国人は同胞と思っていました。広島や長崎に原爆が落とされた日には中国のコンサートで歌っていたということです。敗戦後季香蘭は祖国の裏切り者と糾弾されましたが、自分の戸籍謄本を示し日本人であることを証明し1946年に日本に帰っています。後に国会議員になっています。